琉球王国の聖域「斎場御嶽」と神の島「久高島」、巡礼の心得と方法
遡ること千数百年。遥か遠い東(南東の方角)の海の彼方、異界であるニライカナイからやってきた神アマミキヨによって作られたとされる琉球の国土。その神話に基づく信仰と歴史を伝えるのが沖縄県各所に残る「聖地」と呼ばれる場所だ。今でも現地の人々に厚く信仰され、大切に守られている聖地。その崇高で厳粛な雰囲気を感じるひとときを体験すれば、雄大な自然からパワーをもらえるはずだ。

~斎場御嶽~琉球王国で最も敬われる聖地
厳かな自然に囲まれて悠久の時間を想う

琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高(くだか)島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめて行っていたという。その中で最も大きな行事と言われるのが、聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼と言われるお新下り(おあらおり)。聞得大君とは「最も名高い神女」という意味で、お新下りは最高位の神女の就任式である。
斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(あがりうまーい)の参拝地として、現在も多くの県民から崇拝されている。

御嶽内へ入るには、まず参道の入り口である御門口(うじょうぐち)を通る。各拝所(うがんじゅ)に至る道は、石を敷いてあるものの舗装されている訳ではないので足元には要注意。特に御門口から最初の拝所までは急な坂になっているため、ヒールなど底の高い靴は控えたい。入り口の案内所でも歩きやすい靴を貸してくれるので、履き替えてから進もう。

拝礼者を迎える最初の拝所は大庫理。大広間や一番座という意味を持ち、前面に磚(せん※灰色に焼いた煉瓦)の敷かれた祈りの場(うなー)がある。ここではかつて聞得大君の「お名付け(霊威づけ)」の儀式が行われていたという。
木々が重なり合いトンネルのようになっている御嶽の中で、うなー上部は木々が抜けていて光が差し込むため神聖な雰囲気はひとしお。ちなみにここに上がって良いのは祝女(のろ)と呼ばれる巫女のみ。柵やロープで仕切られてはいないので、うっかり上がってしまわないように気を付けたい。


さらに奥に進むと二手に道が分かれるが、まずは御嶽の奥側にあたる寄満へ。寄満とは首里城では国王のために食事を作る「台所・厨房」の意味。国内外から海幸・山幸が集まっていたことから、「豊穣の寄り満つる所」と理解されていたのだとか。



分かれ道の分岐点まで戻り、もう一方の道を進むとその先のエリアは開けている。一際目を引く三角岩の手前には二本の鍾乳石があり、その真下には「シキヨダユルとアマダユルの壷」が据え置かれている。この鍾乳石から滴る水滴は聖なる水とされていて、手前側の壺は聞得大君の就任儀式用の霊水として、そして奥側の壺は首里に運び王子の健康祈願に使用されていた。後の世になってからは水の量で世継ぎの吉兆を占うための儀式に霊水として使われていたのだそう。とても神聖な水なので、お賽銭の投げ入れや水に触れるなどの行為はもちろん厳禁。


三角岩が作り出す空間を抜けると「久高島遥拝所」がある。琉球王国の絶対的な存在であることから太陽と位置付けられていた国王。その太陽が昇る方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへの「お通し(遥拝)」所として沖縄各地から崇拝されてきた。首里と久高島をつなぐという意味においても久高島の姿を臨める斎場御嶽は琉球王国の重要な祭事の場なのだと理解できる。

琉球王国の時代から沖縄の人々に大切に守られてきた斎場御嶽。拝礼所はもちろんのこと、豊かな自然もその姿を変えずに悠久の歴史を今に伝えてくれる。沖縄の史実と合わせて、パワースポットとも言われる聖地を巡るなら、絶対に外せない拝礼地だ。
但し「斎場御嶽」を含め、沖縄に伝わる各聖地は沖縄の人にとって本当に大切な場所。訪れる際は観光気分で騒ぐなど不敬な態度はご法度。敬いながら拝礼するように心がけよう。
斎場御嶽(せーふぁうたき)
沖縄県南城市知念字久手堅地内
[営業時間] 3月~10月9:00~18:00(最終チケット販売17:15、最終入館17:30)、11月~2月9:00~17:30(最終チケット販売16:45、最終入館17:00)
[定休日]6月5~7日、10月31日~11月2日(2016年度)
[入館料]大人(高校生以上)300円、中学生以下150円(全て税込)
098-949-1899
~久高島~アマミキヨが降り立つという
ニライカナイに一番近い“神の島”を巡る

とはいえ、この島のあらゆるものは神に関係していると考えられているので御嶽と同じように、神聖な場所ということを忘れずに訪れていただきたい。ちなみに島内の石や砂、サンゴなどは絶対に持ち帰ってはいけないのでご注意を。

久高島への唯一の移動手段は海路。斎場御嶽から車で約10分の場所にある知念安座真(あざま)港から久高島の徳仁(とくじん)港までフェリーと高速船が交互に1日合わせて7往復(時期によって変動有り)しており、島で暮らす人たちの生活を支えている。



徳仁港から最初に向かったのは、ニライカナイから五穀の種が入った壺が流れ着いたという伝説が残ることから農耕の始まりの地と言われるイシキ浜。
「イシキ浜は久高島の中でも特に神聖な場所の一つで島の中央付近、方角では東南側ですね。ニライカナイから神が来訪するときは、この浜に船を停泊させたと言い伝えられています。」



「かつての琉球王朝時代には、2年ごとに聞得大君と一緒に琉球王がこのイシキ浜に巡礼で訪れ、豊作と国の守り神でもある女性たちへ祈りを捧げる儀式を行っていました。」
今でもその儀式の一部は引き継がれている。旧暦の2月中旬にウプヌシガナシー(健康祈願)という儀式が行われ、男性1人につきイシキ浜の石3つを拾いお守りとして各家庭に持ち帰る。そして旧暦の12月にその年の感謝を込めてまた浜に石を返すのだという。



島ではウプヌシガナシー以外にも多くの祭祀が行われるが、旧正月の3日間と8月の祭祀以外は基本的に見学ができない。場所によっては観光客の立ち入りが制限されるので、訪れる際にはスケジュールを確認するようにしよう。

イシキ浜の次はカベール岬を目指す。道の両脇に自生するのはクバの木。
「家の2階ほどの高さを悠に超えるクバの木は数ある神木の中でも最も位が高く、神が伝ってくる木と言われています。そんなクバの木が立ち並ぶことも神の道と呼ばれるゆえんですね。」車を走らせながら西銘さんはそう教えてくれた。

琉球の祖神アマミキヨが降り立ったとされるカベール岬は久高島の最北端にある。先ほどの神の道も含め、まさに楽園と呼ぶにふさわしい光景が広がる。


「カベール岬から臨む海の向こうが異界の楽園ニライカナイと考えられています。ニライカナイからやってきたアマミキヨはカベール岬から久高島に降り立ち、南下して首里へ向かったとされているのです。」
地元では「はびゃーん」とも呼ばれるこの岬には、透き通る海と爽やかであたたかな風が吹き抜ける、心地よい空間が広がっていた。

島の中心部には沖縄の七獄でも最高の霊地であるフボー御嶽がある。斎場御嶽と同じく御嶽の最上位に位置するフボー御嶽は、先祖の魂が宿る「聖地」として草木の一本も獲ることが許されない場所で、島の神女が祭祀時にのみ入れる。男子禁制としても有名な御嶽。

「琉球国王でさえ立ち入ることが許されなかったこの御嶽は、女性の駆け込み寺的な役割もあったそうです。たとえ権力者であっても御嶽内に入ることはしなかったほどその影響力が強い聖地です。」
現在は女性であっても神女以外は立ち入り禁止。拝礼するときは入り口で行うようにしよう。

そんな厳かなフボー御嶽から北東には、一変して穏やかな景観を楽しめるロマンスロードがある。「地元の恋人が愛を語らう場所でもあるんですよ。そんなところからもロマンスロードという名前が定着したんですね」とにこやかに話す西銘さん。

ロマンスロードの先の岬には180度のパノラマビューが広がっていて沖縄本島も見ることができる。天気の良い日はゆったりと散歩するのがオススメ。

久高島の南部には人々が生活する集落があり、その大半が古民家。そんな街並みの中に馴染むように存在するのが外間御殿(ふかまうどぅん)。
「外間御殿には久高島の祖先である百名白樽(ひゃくなしらたる)と島の七守護神が祀られています。外間御殿は久高御殿庭(くだかうどぅんみゃー)と共に様々な儀式が行われる重要な島の祭祀場なのです。」



外間御殿の内部は琉球畳が敷かれており、かつて琉球国王と聞得大君が儀式のときにここに座ったという。ちなみに聞得大君は20代目として今も引き継がれ現存している。

外間御殿の正面には、女性を意味する岩とタムトゥ座がある。儀式を行うときは女性の神人がこの岩に背を向け外間御殿に向かって立ち、更にその女性の前に男性が立つ。女性を意味する丸い岩と女性の神人に守られながら男性は、外間御殿に向かって祈ることになるのだが、女性を守り神とする考え方は今でも引き継がれているのだ。

久高御殿はイザイホーと呼ばれる祭祀が行われる主祭場。イザイホーとは久高島で生まれ育った既婚女性が神女となるための就任儀礼で、12年に1度、午年に開かれていたそうだ。
イザイホーの際にはカミアシャギの奥の森「イザイヤマ」に女性達が籠り、祖先の霊力を授かり神女として生まれ変わるという重要な儀式。西銘さん曰く、「残念ながら1978年から対象となる女性がいないため現在は行われていないのです」とのこと。ちなみにイザイヤマは聖域とされているので一切立ち入りが禁止されている。
奥にある天井が低い建物はタルガナーと呼ばれるイラブー(海蛇)の燻製小屋。イラブー漁は久高家と外間家が採取権を持っていることからこの建物で管理するのが慣習となっている。

琉球王国時代のある時期から久高島の祭祀は外間家と久高家が司るようになったが、元々は外間家の前に久高家と祭祀を司っていたのはこちらの大里家だという。
ではなぜ大里家に代わって外間家が祭祀を司るようになったのか。それは第一尚氏王統の最後の王・尚徳(しょうとく)が大里家の美人祝女に恋をしたからという一説があるそうだ。
尚徳王は政治を怠り久高島で祝女と暮らすようになり、その間に王府でクーデターが起こり第一尚氏は政権を奪われてしまったそうだ。それを知った尚徳王は首里に向かう船の上から祝女とともに身投げしたという。しかし、それは悲観しての事ではなく、王位や天下よりも愛するものと一緒にいることに喜びを覚えてのことだという逸話が残っているそうな。ちなみに尚徳王は悪政を敷いていたとする記述が多いがその真偽は定かではないという。
そんな政変を経て誕生した第二尚王統の初代・尚円(しょうえん)王は家臣たちの絶大な支持のもと、以後400年以上続く第二尚王朝の基礎を築いたのだそう。

旅の終わりに「長年の時を経て、伝統を継承し続けるのが久高島です。それは自然と調和して生活する人々が、万物や神への感謝を忘れずに暮らしていることの表れでもあるんですね」と語ってくれた西銘さん。あるがままの姿を大切にする久高島を訪れれば、肩肘の力を抜いて本来の自分と向き合えるひと時を過ごせるのかもしれない。

NPO法人久高島振興会
沖縄県南城市知念字久高249-1
[営業時間]9:00~18:00
[定休日]なし
[ガイド料金]人数により変動、要問合せ
098-835-8919

飯塚鉄平
1980年生まれのフリーライター。ファッション雑誌「Fine」や旅行情報誌などの他、WEBメディアや企業系webサイトなどで執筆。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。
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