“ものの始まりみな堺”をゆく。「かん袋」「南宗寺」「深清鮓」

2015.06.17 更新

16世紀後半に国際貿易都市として栄え、鉄砲や銀貨鋳造、包丁、線香、和菓子、ゆかた、酒造、自転車などの産業も興し発展させていった堺。中心部には往時のにぎわいはないものの、かつての「町割り」や「環濠(かんごう)」も見受けられる。何よりも「うまいもん」は受け継がれていて、その代表的な店「かん袋(ぶくろ)」と「深清鮓(ふかせずし)」、そして千利休ゆかりの「南宗寺(なんしゅうじ)」を訪ねた。

チン電であの「かん袋」へ

旧堺市街には南海本線(堺)や高野線(堺東)などでも行けるが、ここはやはりチン電「阪堺線」を使って行こう。あべのハルカスの立つ天王寺駅前から大体30分強で「寺地町」電停へ(なんと210円!)。プラットフォームがかわいらしい。
▲チン電といっても車両のバリエーションは多彩で、これは最新式。昭和っぽいものや、ド派手なボディ広告のものもある
表通りから1本東側に入り、さらに南に1本下ると、見えてきました。
鎌倉時代末期の元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が「和泉屋」という称号で御餅司の店を開いたのが始まりの「かん袋」。コロンブスによる「新大陸発見」の100年以上前の話です。
入るとそれぞれのテーブルでみな美味しそうに食べている。奥のカウンターで何を食べるかを決め、料金を払って注文すると…
20センチほどのこんな木の札が渡されました。私は「三十四番」。食券みたいではないのがさすが!
待つこと数分。「三十四番と三十五番(よその人)の方~」とお姉さんが運んでくる。ええ感じです。
左側の台は「お持ち帰り」の引き取り用の台。おみやげも大人気だけど、作りたてを食べたいですよね。
そしてやって来ました。手前が冬でも大人気で、明治に入って製氷技術が進んだことで生まれた「氷くるみ餅」、奥は室町時代(!)からある「くるみ餅」で、いずれも「シングル」の1人前(各360円・税込)。
▲上に氷がのっているので、こうやって掘りながら氷をまぶして。シャリシャリ、もちもち、甘さが氷で中和されてたまらん。後口がまたさっぱりとしています。
ちなみに「かん袋」という屋号は文禄2年(1593年)、当時の主人・和泉屋徳左衛門が大坂城築城の瓦葺き工事を手伝う際に餅作りで鍛えた腕力を生かして瓦をほいほいと屋根の上に放り投げていた様子を、秀吉が見て「かん袋が散る様に似ている」とその腕の強さを讃えたことからきていて、この後は秀吉の命に従って、「かん袋」が和泉屋の商号になった(かん袋HPより)。
店の歴史も気が遠くなるほど長いが、命名者が太閤さんとは恐れ入ります。

千利休ゆかりの寺であり家康最期(!)の地「南宗寺」

そのあとに訪れたのが、三好長慶(みよしながよし)が創建し、大坂夏の陣で消失したのち、沢庵宗彭(たくあんそうほう)によってこの地に再興された「南宗寺」。「かん袋」からは歩いて10分もかからない。
武野紹鴎(たけのじょうおう)や千利休が修行をした寺で、茶道の「三千家」が必ず訪れ、一堂に会する場所(世界でもここだけ)でもある。
▲ここが三千家の代々家元を祀る供養塔。向かって右が表千家、左が裏千家、そして手前が武者小路千家である。
そしてさまざまなしつらえが古田織部好みと言われる方丈枯山水の庭(国指定名勝)。平庭枯山水形式の庭と石組造形を組み合わせた美しさで、この縁側に座って和んでいると、すぐ近くを高速道路が走っていることなど忘れてしまう。
南宗寺には「徳川家康の墓」もある。大坂夏の陣で「真田幸村の奇襲を受け、輿に乗って逃走中に後藤又兵衛の槍で一突き。家康は南宗寺で絶命、遺体は密かに日光東照宮に運ばれた」と語り継がれるが、堺ではこれ、まったくの「常識」。観光ボランティアの方の名調子の説明をぜひ聞きましょう。
▲NPO法人堺観光ボランティア協会理事長・川上浩さん。「岸和田だんじり祭の彫り物にも、家康が後藤又兵衛の槍で刺される場面が彫られています。岸和田って三河のお殿様の城下町ですよ。こちらではみんな分かってるんです(笑)」
御陵前の大きな交差点をはす向かいに渡って、紀州街道を少し下ると、ほどなく船待神社(ふなまちじんじゃ)に出る。太宰府に流される菅原道真が船を待つ間に腰掛けていたと言われる「菅公腰掛石」がある。
司馬遼太郎の『街道をゆく4(郡上・白川街道、堺・紀州街道)』(朝日文庫)では、近くに住む理髪店の主人に出会い、船待神社を案内してもらうくだりがある。地元人の気質を知る手がかりになるかと思うので、ぜひ一読を。

とろける穴子はここにあった「深清鮓」

そして再び御陵前の交差点に戻り、海の方に5分ほど歩くと本日最後のお楽しみ、お持ち帰り専用の穴子寿司の名店、「深清鮓」に到着。
かつて堺の出島港では穴子の延縄漁が盛んで、あたり一帯は「穴子屋筋」と言われていた。その歴史を受け継ぐ店で、この地で60年以上営業している。
▲先代の深井貞彦さん。相変わらずええお顔です。
とにかく地元の人から観光客まで休む間もなく注文が入り、先代の息子さんで店主の深井壽光さん(下写真・手前)たちがムダのない動きでうまいもんを完成させていく。その流れは木の枠越しに見ると動く絵のようで、「わざわざ買いに来る」「注文したお寿司を取りに来る」ことが楽しい理由もこれかな、と。
しかし、ここで立っているとお寿司の香りでいっそうお腹が減ります。
この日は上穴子にぎり(下の写真・1人前半3,100円・税別)と箱寿司(1本630円・税別)を注文。深清秘伝のタレの輝きに注目! 帰って開けた瞬間の皆の顔も楽しみだし、「口の中がとろけるというのはこういうことだったのか」と改めて知ることになります。
▲穴子は卸業を営む先代の兄上のところから仕入れ、ずっと変わらぬ味を守る。穴子巻(1本372円・税別)や穴きゅう巻(1本402円・税別)もぜひ。
ひっきりなしにやって来るお客さんの注文をさばき、「ありがとうございました」と言ってでき上がったお寿司を渡してくれる奥様の笑顔に「堺はええとこやったなぁ」とあらためて実感した次第です。ごちそうさまでした。
中島淳

中島淳

編集者。京阪神エルマガジン社時代にSAVVYとMeets Regionalの副編集長、Lmagazine編集長を歴任、2006年に独立して編集出版集団140Bを立ち上げ、代表取締役に。小学6年の秋に九州から堺に引っ越し、高校までを過ごす。当時は歴史の深さや伝統ある地場産業を誇る堺の街が何より苦手であったが、最近は「今まで知らんかった堺のええとこ」探しが趣味。堺市のミニ広報ハンドブック『堺小ネタ帖』や堺市ホームページの連載企画「堺をおもえば…」を編集。

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