トロッコが走った酒蔵を、レールづたいに巡る。女城主の城下町で、静かに醸される酒に恋をしよう

2016.05.27

戦国時代、女性の城主が治めた国・岐阜県恵那市岩村町。今も往事の姿を留める城下町の一画に、その酒蔵はある。「岩村醸造」、この地で200年以上にわたり日本酒をつくりつづけたきた蔵元である。酒蔵を見学させていただける蔵元は多々あるが、蔵の中をかつてトロッコが走り、今も残るレールに沿って歩く酒蔵というのは、全国的にも珍しい。酒を愛する人だけでなく、子供の目だってきっと輝く酒蔵見学へ出かけよう。

信玄も信長も、攻め落とすことはできなかった
日本三大山城の一つ岩村城を彩る、女城主の物語

山が視界に入らない場所はない、というほど岐阜県は山がちな土地だ。今回の訪問地・恵那市岩村町もまた、幾重にも連なる山の中にある。
その地形を天然の要害として、源頼朝の家臣である加藤景廉(かげかど)が山城を築いたことから、城下町・岩村の歴史は始まった。文治元年(1185年)の築城以来、難攻不落の山城として諸将に恐れられた岩村城は、主を変えながらも鎌倉・室町・戦国・江戸と4つの時代を生き延びる。幾度も戦の舞台となりながら、688年におよび存続し続けた城というのは、日本史上ほかに類を見ない。
▲時として濃い霧に包まれる岩村城は、別名「霧ケ城」。石垣の美しさから、「東洋のマチュピチュ」と呼ぶ人もある(写真提供/岐阜県)

岩村城は日本三大山城の一つとしてだけでなく、女性の城主が治めた城としても知られている。それが織田信長の叔母、おつやの方。信長の妹、お市の方と並び称される絶世の美女であったそうだ。
戦国の時代、甲斐の武田・三河の徳川と、信長が治める美濃が接する岩村の地は、戦略上の要所。しかし攻めるに難い岩村城を掌中に納めるため、信長は武力ではなく知略に拠った。叔母であるおつやの方を、岩村城主・遠山景任(かげとう)に嫁がせたのだ。

ここまでは、よくある戦国時代の政略結婚だ。だが、武田方との戦で負った傷がもとで景任が病没したことにより、おつやの方の運命は一転する。二人の間には子がなかったため、信長は当時6歳だった五男・御坊丸を養子として迎えさせ、さらに御坊丸が成人するまでの間、実質的な城主としておつやの方に岩村城を託したのだ。
景任の死を好機と見た武田方は、再び軍勢を岩村城に仕向ける。この時、幼い御坊丸に代わり鎧兜で身を固め、おつやの方は家臣と共に城を守ったという。

残念ながら岩村城は明治6年(1873年)の廃城令により取り壊されたが、「六段壁」の異名を持つ本丸虎口の石垣など、往事を偲ばせる遺構を今も見ることができる。

女城主の町・岩村は、江戸・明治・大正・昭和が
モザイク模様を織りなす、不思議な城下町

時の主の意向により転々とした城下町の所在が、現在の場所に定まったのは江戸時代初期の寛永15年(1638年)。城の本丸が位置するのは、江戸諸藩の中で最も高い標高721m。どこの家臣よりキツイ坂道を登らねばならなかった岩村藩士が、内心ぶつぶつ言いながら歩いたかもしれない道が、現在は岩村町散策のメインルート「岩村本通り」となっている。

車で向かうなら、岩村振興事務所の無料駐車場を利用するのが便利だ。車を停め、小道を歩くこと数分。なまこ壁が美しい屋敷の脇を通り過ぎると、岩村本通りに出る。
緩やかな坂道沿いに続く町並みは、一部が文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。一見したところ、江戸の風情を残す城下町の佇まいなのだが、ゆっくり歩いて眺めているうちに、不思議な感覚に気づく。
江戸時代そのままの商家が軒を連ねる向かいでは、美容室が年季の入ったサインポールを回転させている。明治時代に建てられたモダンな銀行は観光案内所で、現代の銀行は古い町屋調のデザインで営業中。黒光りする木枠にはまったガラスを覗くとそこは精肉店で、格子の美しいカフェもあれば、どっしりとした石造りの昭和レトロな洋品店もある。その全てが今も現役で、町で暮らす人々の生活と共に生きているのだ。
歴史の教科書そのままの商家に圧倒された次の瞬間には、子供の頃に親しんだ懐かしい光景に出くわす。あねさまかぶりのおばあちゃんが出てきそうな軒先もあるし、カイゼルひげの紳士が現れたって違和感のない一画もある。
言ってみれば岩村本通りは、江戸から現代にいたる時の流れが、途切れることなく一本の通りの上で混然一体とつながっている空間なのだろう。今回の訪問地「岩村醸造」もまた、そうした町並みに違和感なくすっぽり納まっていた。

“鬼平”の時代から酒をつくり続ける
美酒「女城主」の蔵元、岩村醸造

岩村醸造の歴史は長い。創業は天明7年(1787年)、同じ年に「鬼平」こと長谷川平蔵が火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためかた)に任ぜられている。創業時の主業は岩村藩御用達の運送業、酒造りは副業だったのだが、明治維新により岩村藩が消失してからは酒造りが本業となった。
店舗の一部は、築300年に達すると言うから途方もない話だ。しかし何より目を引くのは、入口から奥へ奥へと続く2本のレール。岩村醸造の酒蔵見学が独特なのはこの、「トロッコの軌道に沿って蔵を巡る」ことだ。
原料である米や、出荷される酒瓶を運搬するため、25年ほど前まで現役で活躍していたトロッコ。上写真の古風なガラス扉も現在で言う「スイングドア」、レールの間は土間敷きで枕木も渡されていた。
動力は「人力」で、一升瓶なら一度に100本積み込み可能。便利ではあったが、いかんせんレールの軌道から外すことはできない。このため、トロッコの荷台まで一升瓶10本入りのケースを人の手で運ぶのだが、これは大変な重労働。7代目の蔵元である渡會 充晃(わたらい みつてる)氏も子供の頃から手伝っていたが、一升瓶10本を苦もなく運べるようになったのは、ようやく高校生になってからのことだったそうだ。
従業員の負荷を軽減し、また衛生上の懸念材料となる土間を撤去するため、トロッコは引退。現在は縦横無尽に走行可能な台車が、運搬の役目を担っている。
「女城主」「ゑなのほまれ」など、国内外で多くの受賞歴を持つ岩村醸造の酒。さっそくレールをたどりながら、渡會氏にその酒造りについてご説明いただいた。

酒造りにおいてまず重要なのが、水。岩村醸造では、水道水は一切使わない。400年前、敷地内に掘られた二本の井戸から汲み上げた地下水だけで、酒は造られる。仕込みの時期には井戸が空になることもあるそうだが、3時間もすると再び冷たい地下水で満たされる。それほどに岩村町は、地下水に恵まれた場所なのだ。
岐阜県名水50選にも選ばれた天然水は中庭にも引き込まれ、見学の途中で喉を潤すこともできる。伺ったのはちょうど、新芽が芽吹く時期。山葵の花咲く心地よい緑の中庭で、ひんやり冷たい天然水をひとくちいただいてみた。
触れた時の冷たさに反して、味は非常にまるい印象だ。優しいお酒になりそうだな、と思わせるまろやかさなのだが、事実この井戸水は酒造りに適した軟水。しかし、なぜ酒造りには軟水なのか、渡會氏に伺ってみた。

カルシウム塩・マグネシウム塩といった、ミネラル分の質量によって測られる水の硬度。硬度が高い=硬水ほど、ミネラル分を多く含んでいる。そして酒の発酵に欠かせない酵母にとって、ミネラル分は栄養源。つまり、ミネラル分を多く含む硬水ほど発酵は早く進む。
しかし渡會氏に言わせれば、「酒になるのを急ぎすぎると、いいお酒にならない」。発酵は低温でじっくり、ゆっくり進んだ方がいい。こうした酒造りの哲学を持つ人物が、軟水が湧き出す地に生を受けたのだから、実に絶妙な天の采配である。
次に向かったのは、暗くひんやりとした空間。ここが仕込みを行う場所で、巨大なタンクが並んでいた。タンクひとつに仕込まれるのは、1,500kgの米と2,000リットルの水。それが麹と酵母の働きで、約1ヵ月後には3,000リットルの酒となる。
酒造りの敵である鉄を避けるため、タンクはすべてホーロー製。製造年を見ると、昭和30年代が多い。おそらくその頃に、木製から切り替わったのだろう。今このサイズのホーロー製タンクを入手するのは、ほとんど不可能らしい。

タンクから天井までの距離は、1mあるかどうか。仕込み作業には少々不便なのだが、岩村という土地で酒をつくるには、この天井の低さが不可欠なのだそうだ。というのも冬の岩村町は、雪こそ少ないもののその分、猛烈に冷え込む。酒造りがピークを迎える1~2月ともなれば、外気はマイナス15度を記録することもある。古い家なら屋内であっても、蛇口が凍りつくことさえあるのだ。
しかし、生物である麹や酵母が機嫌よく働いてくれる温度は、おおむね5度。厳しすぎる冷え込みを和らげるため天井を低くし、それでも間に合わなければストーブを焚く。作業効率よりも、仕込みの空間で優先すべきは、麹と酵母にとっての快適さなのだ。
▲7代目蔵元、渡會 充晃氏

水同様、酒造りに重要な「米」。岩村醸造では、95%が同じ岩村町で育てられた「ひだほまれ」、残る5%は大吟醸用に兵庫県産「山田錦」を用いている。
地元の米を使い始めた時は、地産地消に貢献しようという以外、特に深い意図はなかったそうだ。しかし、フランスの著名なパン職人から聞いた話が、渡會氏の考えを一変させる。

日本でパンをつくることになったその職人。小麦粉・イーストなどフランスから持ち込んだ材料と、浄水器を通した日本の水で生地をつくった。いよいよ発酵の段階となったが、何度試しても生地は膨らまない。そこでフランスのミネラルウォーターを買い求め試してみたところ、ようやくふっくら膨らんだいつものパンを焼き上げることができた。

パンの小麦、日本酒の米。どちらもその土地の水を、多量に吸収しながら成長する。いずれも発酵というプロセスを経て分解されるが、その過程が自分の体を構成するのと同じ水を用いて行われるかどうかで、結果はかくも大きく異なる。
よい酒米は「よく溶ける」と表現されるが、岩村の水で育った米は岩村の水によく溶ける。地産地消という以上の必然性がそこにはあると気付いて以来、渡會氏の岩村産の米に対する思い入れはいよいよ強くなったそうだ。

酒税法では「吟醸」でも、ここでは違う
法律より厳しい「職人のプライド」で吟味される酒

天候など様々な条件の影響を受け、同じ水田でも品質は年により異なる米。その年の出来具合が最初に分かるのは精米の段階で、適度に粘度があり磨いても割れないものが上作とされる。

我々が食する飯米の場合、精米歩合は90%前後。しかし岩村醸造では、平均精米歩合52%。「精米歩合60%以下で吟醸」と定める酒税法に則れば、蔵の酒はすべて吟醸酒ということになるのだが、店頭に並んだ商品のラベルを見るとそうではない。
何を以ってして「吟醸」あるいは「大吟醸」を名乗るか。決めるのは他人の定めた法律ではなく、自らのプライド。だから岩村醸造では、精米歩合50%以下でようやく「吟醸」と認めるし、40%以下でない酒を「大吟醸」などとは呼ばないのだ。
岩村醸造では目指す酒の味に応じて、麹は3種類、酵母は5種類の中からそれぞれひとつを選び、仕込みに用いる。発酵が始まるとタンクの周りは、麹と酵母の発するシューシューという微かな音で満たされるそうだ。その音を聞きながら、杜氏と4人の蔵人が酒づくりに向き合う。
早い時は朝6時から作業は始まり、搾りの時期には食事の途中であっても、最高のタイミングを逃すまいと駆けつける。省力化のため導入された設備はあるが、工程のほとんどは今も手仕事だ。

岩村醸造の場合、杜氏は常勤の従業員ではない。酒造りが始まる10月上旬に現れて、3月下旬には去っていく。普段は農業に従事しており、遠く岩手県からやってくる蔵人もいるそうだ。
おそらく古い時代の杜氏はみな、こうしたものだったのだろう。組織に縛られることなく、自らの技量と意思で務める酒蔵を選ぶ。蔵元をはじめ共に働く杜氏が性に合わなければ翌年からは現れないし、目指す酒の姿に得心がゆくなら長く務める。
どんな専門家より厳しい目を持つ、昔ながらの杜氏に選ばれ続けていることが、岩村醸造の真価を物語っている。そう思えてならない。

大人が嗜む酒は、
つくり手の思いも一緒に味わうもの

見学を締めくくるのは、待望の試飲。洒落たバーカウンターへと変身したトロッコの上に、ずらり並んだ岩村醸造の酒のほか、ノンアルコールのあま酒も試飲させていただける。

車で来たため、残念ながら私は飲むことができない。そうお断りしつつ未練がましく、せめて匂いだけでもとお願いし、注いでいただいたのは「女城主 純米吟醸」の生酒。リンゴのような香りが特徴で、豊かな酸味を持つフレッシュな味わいは、春から夏にかけての時期にぴったりな味わいなのだそうだ。
匂いだけ、匂いだけとブツブツ言いつつ、顔を近づけた私の鼻が感じたのは、飲みたい欲求が細胞レベルで覚醒する感触。この香り、誘い感が半端なく強い。
飲みたい欲求を制御し、買って帰ることにした「女城主 純米吟醸」には、生酒と火入れしたものの二種類がある。試飲して生酒の方が口に合ったとしても、自宅で本当においしくいただくには冷静な一考が必要。生酒は精肉・鮮魚と同様、一度でも温くなるとダメになる。お店に保冷剤の準備はあるが、移動中ずっと低温状態を保つことができないなら、火入れした「女城主 純米吟醸(720ml 税込1,910円)」を購入するのがいいだろう。
右側、白く輝くあま酒は一口いただくなり、その甘さに驚愕する。原材料は米と麹だけ、甘みは一切加えていない。あるのは、麹によって引き出された米のブドウ糖のみ。自分がこれまで飲んできたのは「あま酒風」の液体で、本当のあま酒はこういうものだったのかと、この歳になって初めて知った。
こちらは試飲の対象ではないが、お勧めの一品「ゆずジュース(税込260円)」。岩村町の北西に位置する恵那市笠置町で育った柚子と、酒づくりに用いられるのと同じ天然水からつくられている。
パッケージに「すっぱーい」という文字が躍っているが、恐れるほどすっぱいということはない。むしろ、大衆に迎合しない自然の甘みと酸味の中に、柚子特有の爽やかな苦みも感じられる。とても素直に柚子らしい「ゆずジュース」なのだ。
酒にはすべて寿命があり、世の中には一夜明けるともう、味が変わってしまうものもあるそうだ。しかし、そういう酒をあまりいいとは思わない、と渡會氏は語る。
晩酌を楽しみに毎日を生きる普通の人が、翌日の仕事に障りのない程度に少しずつ飲み、1ヵ月ほどして瓶が空になるその時まで、最初の一杯と同じ味が続く酒。渡會氏が目指すのは、そういう酒だ。

なけなしの順法精神と克己心を振り絞り、試飲を断念した「女城主 純米吟醸」をいただいたのは、月のきれいな夜だった。香り立つ冷えた酒を口に含むと、驚くほどにするすると喉を通って行く。そして胸のあたりまで来ると、何かが溶けて流れてゆく。
1ヵ月をかけ、ゆっくりと醸された酒。その優しい味が、月の光のように静かに沁み入る。気の合う仲間と楽しく飲むのもいいが、美しいものを愛でながら一人静かに盃を傾ける。そんな飲み方が、この酒には合っていると私には感じられた。
どんな人が、どんな思いでこの酒をつくったか。知った上で飲むからなのか、酔うほどに嬉しくなって、なのになぜだか泣きそうになった。
現在は「女城主」で知られる酒蔵となったが、その誕生は30年ほど前のこと。創業以来つくり続けてきたのは「ゑなのほまれ」で、往年のファンも少なくない。「女城主」の人気にやや霞んだ「ゑなのほまれ」の存在感を復活させたい、渡會氏はそう考えている。

私は酒を飲むのが好きだ。けれど次の春、その蔵元がどんな酒をつくるのか心待ちにする。これもまた、酒の楽しみ方の一つなのだと、あなたもきっとこの旅で気づくだろう。
船坂文子

船坂文子

農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。

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