学芸員さんに聞く!長崎「グラバー園」の見どころはココ

2016.06.09

幕末期にトーマス・グラバーをはじめ、ウィリアム・オルトやロバート・ウォーカーなど数々の貿易商たちが居住した長崎市。彼らが居住した邸宅を見学し、当時の暮らしを体感できる人気のスポットが「グラバー園」です。「旧グラバー住宅」は2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界遺産に登録され注目されていますが、園内には他にも見どころがたくさん!この地に残る歴史や逸話など、他の人に話したくなる面白い話が満載ですよ。

色んな歴史がこの地で誕生
グラバー園ってどんなとこ?

古くから国際貿易港として栄え、日本近代化の礎を築いた長崎。遠く海外から訪れた外国人貿易商や維新志士などに代表される日本の若者など、この地には夢を抱いた人たちが集まり、活気にあふれていました。
そんな当時の長崎において、幕府より正式に外国人の居住が認められていた居留地。その当時の区画の中にあるのがココ「グラバー園」です。
このグラバー園の1万坪を超える敷地に、“日本初”や“日本最古級”の建物やものがたくさん!
今回は特別に学芸員である横山精士(せいじ)さんに案内いただきました。
▲私の質問攻めにも笑顔で対応してくださった、心優しき横山さん

そもそも「グラバー園」とは、「長崎市に点在していた外国人居住邸宅を一堂に会した施設」のことで、<元々この土地にあった建物>に<ほかの場所から移築した建物>を加え、昭和49(1974)年に開園しました。
その内訳は下記。

<元々この土地にあった建物>
・旧グラバー住宅(世界遺産・国指定重要文化財)
・旧リンガー住宅(国指定重要文化財)
・旧オルト住宅(国指定重要文化財)

<ほかの場所から移築した建物>
・旧ウォーカー住宅
・旧三菱第2ドックハウス
・旧長崎高商表門衛所
・旧長崎地方裁判所長官舎
・旧スチイル記念学校
・旧自由亭
▲「旧長崎高商表門衛所」。こんな門衛所が高校にあったなんて、当時はさぞかしハイカラだったでしょうね

もともと、この敷地内は6区画に分かれていたそうで、当時から現存する「旧グラバー住宅」「旧リンガー住宅」「旧オルト住宅」を除いた部分に、「旧ウォーカー住宅」や「旧自由亭」などの建物を移築しています。

建物以外にも幕末の兵学者・高島秋帆の指導により造られた「高島流和砲」や、明治時代の水道共用栓、旧英国領事館跡に建てられた「旧スチイル記念学校」などがあり、歴史ロマンと当時の暮らしぶりを感じられる施設になっています。
▲水道共用栓は、貯水を使用しているので今でも水がでます!取材時はちょろりとでしたが、いつもはもっと勢い良くでるそう

さてさて、では主要である4つの邸宅を、
居住した人物とともに紹介していきましょう。

現存する日本最古の木造洋風建築
世界遺産にも登録されている「旧グラバー住宅」

▲手前のガラス窓の中は温室。庭も季節の花々で彩られています

まずはやはりココから。
「旧グラバー住宅」は文久3(1863)年に建てられた、現存する日本最古の木造洋風建築です。
玄関を設けていない建物、とされていましたが、現在では、温室のある側の扉を当時は玄関として使用していたのでは、と考えられているそうです。
建物は日本の寸法で作られ、洋風の装飾が施されているそうですが、まぁ素敵なこと!広く窓を設けた温室に、部屋に面した庭、レンガ製の煙突…。まだちょんまげ姿も多い日本において、この建物はどう映ったんでしょうね。
▲庭の花々も見どころの一つ

居住していたのは、トーマス・ブレーク・グラバー。
安政6(1859)年の「安政の開港」と同時に来日し、グラバー商会を設立。造船・採炭・製茶など幅広い事業を行ったことで知られます。坂本龍馬らが設立した亀山社中と銃器の取引をしたことでも有名ですね。

幕末期には、日本の若者へ援助したことも歴史に刻まれています。伊藤博文や井上馨らの留学を支援したほか、五代友厚らが訪欧する際にも多大な協力をしたといわれています。若者支援と近代技術導入という二つの面で、日本に貢献した人物と言えるでしょう。

当時この地域に住んでいた貿易商たちの中でグラバーは、スーパーバイザーのような立場だったようで、後述する「麒麟麦酒(キリンビール)」に関しても、現在の麒麟のデザインへの変更をアドバイスしたと言われているのは有名な話。
一方で、グラバーが建物裏手の空き地でダイナマイトの実験をして、近隣から苦情が出たというちょっぴりヤンチャ(?)なエピソードも残されています。

坂本龍馬をかくまった?
隠し部屋だったといわれる噂の真実

「旧グラバー住宅」の廊下を見上げると、天井の奥に隠し部屋が。
「幕府から追われる坂本龍馬を、この隠し部屋でかくまったらしい」
…そんな噂もささやかれていますが、横山さんどうなんでしょう?

「残念ながら、ここはただの物置部屋として使用されていたにすぎません」
とのこと。あらら、残念。

実は、坂本龍馬がグラバーの住宅を訪れたかどうかも資料として残っていないそう。当時ここは日本にありながら「居留地」と呼ばれる外国人が居住する場所。だからこの地は領事裁判権という(現在で言う治外法権)が存在していました。それに当初は領事館や奉行所が承認した特別な人物しか居留地の中にあったグラバーの住宅を訪れることはできなかったそうなんです。何の後ろ盾も無かった坂本龍馬が承認されたとは想像しがたいですよね。

また、当時討幕の動きがあったのは長州藩だったため、坂本龍馬をかくまう必要はなかったという歴史的背景もあります。
ただ、長州藩士である桂小五郎は、グラバーがかくまったという資料があるそうですが、残念ながらその場所はこの隠し部屋ではないそうです。
グラバー園のすぐ下を通る大浦海岸通りを少し南下すると、「旧グラバー住宅」と同じ「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である「小菅修船場跡」があります。この小菅修船場もグラバーが五代友厚らと協力して作ったもの。その他、佐賀藩と共同出資で採掘を始め、蒸気機関による竪坑を日本で初めて導入した「高島炭坑」の経営など、グラバーが現在の日本に与えた影響は計り知れません!

木と石が調和した木骨石造
バンガロー風の「旧リンガー住宅」

▲ベランダの床石はウラジオストクの御影石を使用

「旧リンガー住宅」は、三方にベランダを設けた木骨石造の建物。
この家にはイギリス人のフレデリック・リンガーが住んでいました。リンガーは、慶応元(1865)年に来日し、グラバー商会に勤務。その後、イギリス人のホーム氏と「ホーム・リンガー商会」を設立し、製茶・製粉・石油備蓄・発電などの事業を手掛けます。
その後、国外退去する際、従業員のために海外からも給料を支払い続けたという人格的にも優れた人物だったそうです。
▲「NHL(NAGASAKI HOTEL LIMITED)」のイニシャルが入った美しい皿やカトラリーの数々

リンガーは、明治31(1898)年に長崎市の大浦海岸通り(旧香港上海銀行長崎支店横)にホテルを建設したことでも知られています。そのホテルとは、当時アジアの一流ホテルとして名を馳せた「ナガサキ・ホテル」。
鹿鳴館を手掛けたイギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計したホテルで、全客室に電話を引いていたというから、その豪華さがうかがえるというもの。結局10年ほどの営業を経て明治41(1908)年に閉館するのですが、なんと2013年6月、改装中の奈良ホテルで「ナガサキ・ホテル」のカトラリーが発見されたのです!
純銀製のカトラリーは英国王室御用達の食器メーカー「Mappin&Webb社」製のもの(かのタイタニック号の一等船室でも使用されていたそうです)。奈良ホテルからその一部が長崎市に寄贈され、現在では「旧リンガー住宅」で目にすることができます。

これは
1.「ナガサキ・ホテル」閉館の翌年1909年に奈良ホテルが誕生したこと。
2.奈良ホテルを設計したのが、ジョサイア・コンドルの弟子である辰野金吾であること
などから、辰野金吾が「ナガサキ・ホテル」から奈良ホテルへ持っていったとみられています。
100年の歳月をかけ、リンガーのもとに帰ってきた金銀のカトラリー。往時数々の要人をもてなしたであろうその気高く美しい佇まいに、ロマンを感じえずにはいられません。

花に囲まれ、庭には噴水も!
メルヘンな造りの「旧オルト住宅」

江戸時代末期に天草出身の職人・小山秀之進が施工した「旧オルト住宅」。ポーチ横にある日本最古・最大級のモッコウバラが建物を覆う姿は、絵本から飛び出したかのようなメルヘンの世界!

ここはイギリス人、ウィリアム・ジョン・オルトの住宅ですが、なんと住んでいたのは慶応元(1865)年~明治元(1868)年の3年間のみ。その後、活水(かっすい)女学校の校舎や米国領事館として使われたのち、明治26(1903)年からはリンガー家の所有としてフレデリック・リンガーの長男一家がここで生活をしました。

オルトは、開国と同時に長崎にわたりオルト商会を設立。長崎の大浦慶とともに、日本のお茶を海外に広めた人物です。オルトは土佐藩と親交が深く、土佐藩はオルト商会から多くの船や武器を購入しました。
三菱の創始者である岩崎弥太郎の日記によれば、坂本龍馬が乗った船が紀州藩船と衝突した「いろは丸事件」の際、龍馬は弥太郎や後藤象二郎とともに相談のためにオルトを訪ねています。
▲モッコウバラが見頃時の「旧オルト住宅」。旧長崎地方裁判所長官舎を利用した「レトロ写真館」では、30分600円~(税込)で、たくさんのレトロ衣装の中からお気に入りの1着を選んで写真撮影・園内散策ができます。自らもメルヘンの世界に入ってみては?

キリンビールの前身を設立
親日家ウォーカーが暮らした「旧ウォーカー住宅」

「旧ウォーカー住宅」は、もともとは南山手にある大浦天主堂の近くに建てられていましたが、昭和49(1974)年、この地に移築されました。現存しているのは本来の敷地の1/4程度だそう。(残念っ!)

ここは、イギリス出身の船長ロバート・ネール・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアの住宅。ロバート・ネール・ウォーカーは、1898年に長崎でR・N・ウォーカー商会を設立。日本の海運業に大きな業績を残し、長崎外国人居留地の実業界における中心的人物として活躍しました。清涼飲料工場を開業し、サイダーを大量生産。製品に「バンザイ」と日本名を付けたほど親日家だったそうです。
なお、その30年程前の1868年にはネール・ウォーカーの兄、ウィルソン・ウォーカーが来日し、グラバー商会(後ホーム・リンガー商会)で船長を務めていました。その後、横浜でグラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニーを設立します。この会社こそ、麒麟麦酒株式会社の前身。

ウォーカー一家は日本の清涼飲料のパイオニアなんですね。
ちなみに、そのひ孫にあたるウォーカーさんは、現在グラバー園の職員さんでいらっしゃいます!運が良ければ、ウォーカーさんに会えるかも?
▲グラバー園で乾いた喉を潤すのは、コレ!「BANZAIサイダー」350円(税込)。すっきりとした飲み口で爽やか!

数々の日本初に触れる?ジンクスや噂を確かめる?
色んな楽しみがあります

「グラバー園」と言えば有名なのが、見つけると恋が叶うといわれるハートストーン。グラバー園に敷き詰められた石の中にハートの形をした石が2つあり、「触れると恋が叶う」、「2つ見つけると良いことがある」などの伝説が!(ワタクシ、グラバー園を訪れるたびにしっかり2つともじっくり触っております)
▲1つは「旧グラバー住宅」の庭の方位盤の下に。もう1つは…?

“日本初”もたくさんあります。
まずは日本初の西洋料理店「自由亭」。
園内にある建物は、長崎市内の諏訪神社下にあったお店を移築したもの。「自由亭」はもともと「良林亭(りょうりんてい)」という名前で、シェフである草野丈吉の自宅を改装したものだったそうです。その後「自遊亭」に名を変え、慶応元(1865)年「自由亭」という名前に改称されました。
当時の長崎の三大西洋料理店(小島郷福屋、西浜町清洋亭)のひとつとして当時の貴賓や地元高官などに愛されるに至りますが、正確に言えば、前身である「良林亭」が日本初の西洋料理店ということになります。
現在の「旧自由亭」は、2階が喫茶室になっており、コーヒーを楽しむことができますよ。
▲当時の面影を今に残す「旧自由亭」
▲西洋料理発祥の碑

文献から、草野丈吉のレシピを再現した料理サンプルが、グラバーの食事例として「グラバー住宅」に展示されています。
横山さん曰く、「丈吉は、出島のオランダ人シェフに料理を学んだそうです。厳密にいえば、“西洋料理”というよりは“オランダ料理”ですかね」だそう。どちらにしても豪華な料理に驚き!

グラバーたちは、毎日こんな料理を食べていたんですか?
「いえいえ、これはあくまでもパーティ料理の一例です。日常では簡単なスープなどの普通の食事だったようですよ」
あ、そうなんですね…。
▲鶏の丸焼きやローストビーフなど豪華な料理がズラリ!

日本最古級のアスファルト道路や、テニス(実際にはクリケット)発祥の地など、園内には思わず「おぉ!」と言っちゃう看板も。色々探してみるのも楽しみの一つ。
▲ちょこっとアスファルトが残っています!日本最古級のアスファルト道路。リンガーが、人力車で通るために整備したのだとか

その中には間違った噂も。
園内の「旧リンガー住宅」のそばに、フリーメイソン・ロッジ(集会所)の門柱があります。このことから、グラバーやリンガーがフリーメイソンであったという噂につながっているそう。

真相は極めて単純で、この門柱は他の長崎市の場所にあったフリーメイソンの外国人居住者の門柱を移築しただけに過ぎないとのこと。
▲フリーメイソンの門柱

その証拠にこんなエピソードも。
実は、グラバーは愛妻ツルと入籍はしていませんでした。それは、当時は入籍することでツルの日本国籍が剥奪されてしまうから。日本で一緒に生活するために、グラバーは籍を入れなかったということです。
当時、婚姻していることが入会条件だったフリーメイソンには、たとえ入りたくても入ることができなかったそうです。へぇ~。

これからの季節は
アジサイやビールがお楽しみ!

▲一番人気!クレミアソフトクリーム500円(税込)

歴史や人物のエピソードをつらつらと紹介しましたが、何も考えず美しく旧い洋館と季節の花々を愛でるだけでも充分楽しいところです。
中心の広場では、庭を眺めながら「BANZAIサイダー」や「クレミアソフトクリーム」といったソフトドリンクや軽食とともに休憩できるガーデンカフェがあります。6月はアジサイが見頃を迎え、2016年7月16日~9月30日は夜間観覧とビアガーデンが楽しめる「グラバーズナイト」も開催されます。
様々なイベントや景色を楽しみながら、長崎市の美しい異国情緒を満喫できますよ。
▲ライトアップされた「旧オルト住宅」。夜は幻想的な雰囲気に!
桑野智恵

桑野智恵

フリーの雑誌ディレクター/ライター。福岡生まれ、福岡育ちの博多女。3つの出版社を渡り歩き、雑誌編集歴はや17年。九州の温泉地・観光地はお任せ。2歳娘の子育てをしながら、旅行情報誌を中心に活動中です。

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