明石の傑作「玉子焼」を、潮の香る港町で

2016.06.27 更新

今や全国区の「明石焼き」は卵にダシと小麦粉・沈粉(じんこ)を加えて溶き、専用の銅鍋にゆでたタコと一緒に入れて焼く。漁港で生まれた可愛らしい黄色の球体はビールのアテにも子どものおやつにも絶品。地元では「玉子焼(卵焼き、に非ず)」の名前で親しまれる。目の前の海でタコが獲れ、「玉子焼」が生まれて地元の生活に溶け込んでいった本場を、明石を拠点に活躍する画家と巡った。

▲たこ焼きはピックだが、玉子焼は菜箸を使って裏返し、形を整える

正式な文献はないが、「玉子焼」が登場したのは明治から大正にかけての頃で、
大阪の「たこ焼き」よりもずっと先輩である。現在も続く大阪の「会津屋」では、昭和初期に中にこんにゃくを入れた「ラヂオ焼き」を売っていたが、ある客の「明石はタコが入ってるで」のひと言がヒントになり、それで「たこ焼き」が誕生したのである。
▲球体はひとの心をなごませる

美味そうな地元を店名が語る「ふなまち」

「それだったら『ふなまち』の前に1時半に集合しましょう」
雑誌の表紙や小説、エッセイの挿絵で有名な画家の須飼秀和(すがいひでかず)さんは生まれも育ちもずっと明石。ご当地の風景を描かせたら右に出る人はいない。そんな彼に最近ではいろんな自治体から「地元の風景を描いてほしい」とリクエストが来る。日本人が四季の中で育んできた「郷愁」を、ストレートに感じさせる力があるからだ。
JR明石駅に着いて、ちょっと時間があったので明石公園と明石城に寄る。
▲ポストカードセット『須飼秀和が描く明石の風景』はJR明石駅西にあるグリーンヒルホテルや明石文化博物館で常時販売。648円(5枚組・税込)これは「明石のお城」
▲駅を出てすぐ北側の風景。奥に建つのは重要文化財の坤櫓(ひつじさるやぐら)

最近では「住む街」としても人気の明石ゆえに、浜側を見るとタワーマンションが建ちはじめている。仕方ないのかもしれないが、明石城からの眺めで海が見えにくくなっているのは、ちょっと寂しい。
▲明石城本丸跡から海側を望む

しかし、中心駅のすぐ北側にこれだけ広い憩いの場があるなんて、明石市民が羨ましい。この東には東経135度の日本標準時子午線の真上にある明石天文科学館もあり、電車の車窓からもよく見える。

そうこうしているうちに約束の時間が迫ってきたので、明石駅から南へ。すると須飼さんからメールで「私たちの前に10人並んでいます」。
お昼どきはとっくに終わっているのに、ウソやろ……と思ったが、到着してみると皆さん丸椅子に順番待ちで座っている。路駐するような不届き者はいない。
▲視線はひたすら暖簾の奥に注がれる

店やかいわいの空気がそうさせるのか、何となくのんびりした感じがええな。後から来たサーファーっぽい20代の女性が「あの~、どこかに名前書いたりしなくていいんでしょうか」と。すかさず須飼さん「このまま座っていたら大丈夫ですよ」。ちなみに、どちらから?
「神奈川県です。今日はこのあと尾道まで行くんですよ」
元気なカップルやな。「この前は稚内まで行ったよね」と彼を見てにっこり。尾道の途中で「玉子焼」のために明石を経由する根性に、ひたすら脱帽です。
▲いろんなところからやって来た人たちのうれしそうな背中

その間も木枠とガラスでええ感じの店の戸が頻繁に開き、お客さんが入れ替わるわ、お持ち帰りの人が「玉子焼」を受け取るわ……で忙しい。並ぶ人のためにトイレは外に造ってある。そして待つこと約30分、「どうぞお待たせしました~」!

「玉子焼と、お好み焼きのタコたま、焼きそばはタコとブタ入り。ビールとサイダーもね」
▲「写真撮ってもいいですか?」「どうぞ~」。しかし目の前に、須飼さんのシャッターを押す手が(笑)

小ぢんまりとした空間に「目の前で作ってすぐ出す」ライブ感のある空気に満ち溢れていて、どの客の顔にも「うまいもん出て来るんやろなぁ」と描いてある。真向かいの3人組は東大阪から来た元気なママさんたち。
▲今まさに上げ板にのった瞬間!

来ましたよ。ほぼ球体にピーンと張った美しさ! これが「ふなまち」。
▲玉子焼(20個入)550円、ビール中瓶450円。ガラス戸からの自然光も入ってええ眺めです

弾力のある生地は、店主の川崎雅弘さんによれば、小麦粉と沈粉の配合割合や、ダシと粉の調合などの妙だとか。加えて「どの割合で混ぜるかで店の違いが出ますからね。ウチのは、冷めたのもまた好きだというお客さんが結構いらっしゃいますね」と。

熱々なので(筆者は超猫舌)これをダシに浸けてちょっと冷ます感じでいただく。プリプリだし、タコがデカい。隣を見るとふだんは物静かで控えめな須飼さん、完全に「どや顔」である。
▲「明石っていいでしょう」と勝ち誇ったような

その後にやって来た、焼きそばもお好み焼きも、「ふなまち」という名にふさわしい地元っぽい美味さで、前者はとくにソースとブタの甘さ、後者はキャベツの甘さが忘れられない。ビールもう1本ください。
▲ソースの香りを思い出す「たこ豚焼きそば」500円。この写真でパブロフの犬になりました
▲「たこお好み焼き」450円。甘・辛両方のソースを自分で塗ってカスタマイズする。まず何もつけずに食べたら、キャベツの甘さがふわっと
▲ビールに飽きた人、飲めない人には「明石サイダー」200円がお薦め

そして店を出たら、先ほどと同じぐらいの人たちが並んでいる。今いったい何時なんだろうか。今度は開店早々に来ようかな。でも夕暮れどきの雰囲気もたまらんはず……大いに後ろ髪を引かれながら「ふなまち」を後にした。

※価格はすべて税込

淡路島と大漁場を前にして食べる
「くるみや」ソフトクリームの幸せ

「この近所がまた、いい感じなのでご案内しますね」
▲「ふなまち」の周囲には古い民家も多い

須飼さんは自転車を押しながら案内してくれる。「ふなまち」の海側には毎年7月第3日曜日の「おしゃたか舟神事」で知られる岩屋神社(明石戎宮本家)がある。「おしゃたか」とは「神さまがおいでになったか」という意味。いかにも明石らしい海の祭りだ。ここで豊漁豊作の神さまにお参りしてから海辺に。
▲境内には光源氏が月見をしたとされる松もあり、艶っぽいですな

海の祭りをするだけあって海水が美しく、魚もよく見える。赤白灯台の向こうには明石海峡大橋。絶景である。
▲10cm先は2mほどの岸壁と海なのに、ぜんぜん怖くなさそう
▲ネコくんは世界一の大吊橋を前に昼寝。幸せ者め!
▲たくさんの稚魚もよく見える。ネコたちのお目当てはコレか!?

西に目をやると造船所らしき建物。これまた自慢げに、「あそこが『半沢直樹』のロケに使われた場所です」と言いながら、海の子らしくテトラポットの上をすいすい歩く。楽しそうに釣り糸を垂れている人も多い。
▲劇中では「淡路鋼材」という名前で登場した宗田造船

歩くと、ほどなく淡路島・岩屋港への定期船「ジェノバライン」の乗り場に。
▲昭和の人間には「播淡(ばんたん)汽船」の名前のほうがポピュラー

須飼さんはまたまた絶好調のどや顔で「そうそう、先日は装丁家の人と一緒に『ふなまち』へ行った帰りに船で対岸の岩屋まで行って、明石の街を見ながらお持ち帰りの玉子焼を食べました」と。地元ライフを満喫している。
▲明石海峡大橋の真下をくぐって13分で岩屋(淡路市)に。1日28往復、乗船料500円・税込

「淡路まで行く時間がない時でも、ここのソフトクリームをひと口食べると幸せになります」と言って、「くるみや」と書かれた洋菓子屋さんの中へ。
▲ソフトクリーム片手に再び、どや顔

玉子焼でちょっと熱くなっていた口の中に、スキッとした牛乳の自然な甘さが際立つソフトクリーム(324円・税込)が優しく広がり、やがてはかなくスーッと口溶け。たまらん! もう1つ食べたくなったがガマンする。
▲シルエットがまた美味そう。右側はジェノバラインの乗り場

「くるみや」は、昭和32(1957)年に市会議員と高校家庭科教師の夫婦によって創業。最初の8年間、妻は学校の授業と製菓業を両立させながらのスタートだった。「流行にとらわれず、ずっと愛されるお菓子づくり」を60年近く続けてきた筋金入りの地元名店。東京や大阪には出店せず、明石と札幌にだけ店があるというのもええ感じです。
今度は他の名物、シュークリームやシフォンケーキも買って帰るとしよう。

木槌のひと振りが「玉子焼」文化を支える「ヤスフク明石焼工房」

「魚の棚に行く前に、ちょっとお見せしたいものがあります」といってずんずん歩く須飼さんについて歩いたら、「ヤスフク明石焼工房」と書かれた金物店の前に。場所は中心部に近い本町2丁目。
「玉子焼の銅鍋はほとんどすべて、ここで作っているんです」
特別に作業場の中に入れていただき、3代目の安福保弘(やすひろ)さんからお話を聞いた。昭和16(1941)年生まれでもう半世紀以上銅鍋を打ち続けている、筋金入りのプロフェッショナルだ。
▲手前の銅板を木槌で叩いて、手仕事で「銅鍋」にしていく

「玉子焼」の始まりについてまずお聞きした。
明石観光協会のHPなどでは、樽屋町(本町の西隣)の向井清太郎さんが屋台を引いたのが最初、となっていますが。

「先代の話だけど、たしかに向井さんところはうちの銅鍋で焼いた玉子焼を売っていました。私も向井さんの記憶があります。昔は玉子焼が5個とかでも買えたんですよ(今は15個か20個が主流)。ほかには材木町(南隣)にかつて『八雲座』という芝居小屋があって、楠本さんという人が田楽と一緒に玉子焼を売っていた。また、明石川を渡って西の、林神社のそばには『蛸万』という店もあったと聞いています。同じ頃に、いろんな人が始めたんやないかな」
▲寸分の狂いもなく叩いて「鍋」にしていく

安福さんの工房は明治中期の創業で、初代は細工物に力を入れ、舞子にあった有栖川宮別邸(現・シーサイドホテル舞子ビラ神戸)に出入りできる職人であった。
玉子焼の「銅鍋」を製作するようになったのは二代目、安福春一さんの時代から。「元祖」といわれる向井さんの玉子焼屋台も、現在の玉子焼店もほとんどすべてがヤスフク製の銅鍋を使い、玉子焼の銅鍋でおよそ1世紀の歴史がある。ちなみに、何で銅なんでしょう?
▲同じ銅鍋でも右のほうは素材が厚く、鍋も深い

「熱伝導率がええから味がぜんぜん違う。同じ80度でも鉄鍋だと、火が当たる部分以外は温度が低いけど、銅は熱がまんべんなく広がる。だからふわぁ~っと出来る訳やな」
たこ焼きは「鉄」、玉子焼は「銅」。それぞれの鍋の特長を生かした形で誕生した。そういえば京都の錦市場で見た、だし巻きを焼く卵焼き器は銅製だった。
安福さんは重たい銅板を樫の木槌で叩いて伸ばしていく。カン、カン、カンと澄んだ音が連続する。
▲先代の頃から使われている「輪っぱ」と呼ばれる金具。空洞の直径は約5cm。この上に銅板を置いて叩く

ゴルフで言うと、スイートスポットばかりに球がヒットしているという状態。とてつもない重労働ですが、機械で打ち出した銅鍋とは違うんでしょうか?

「プレスは銅がただ伸びるだけで、穴の深い部分は厚みがなくなる。手で打つとね、打った部分に他の部分の銅が絞り出されていく。だからどこも同じ厚みになる。絞り出されるから最初の銅板よりも、面積がぐっと小さくなるんやね」
▲木槌で叩いた鍋の穴を整えるために、先が球体の木型を当て、今度は金槌で叩いて仕上げる

私たちが店で玉子焼を食べてハッピーになっている裏で、安福さんは連日、銅板に木槌を打ち込んでは「銅鍋」という調理器具に変えている。

ここは銅鍋だけでなく、コンロとセットの銅鍋や玉子焼に必要な調合した粉なども販売し、家庭でも気軽に玉子焼を楽しめるようにしている。もちろん、玉子焼の「お皿」にもなる上げ板も売っている。

「ヤスフク明石焼工房」で買える玉子焼の銅鍋のバリエーションは、6個、7個、8個、9個、10個、12個、15個、20個、32個の9種類。
「別注やったら18個でも24個でも作ります。僕らは表に出えへん、陰の存在。でも何やかんや言うても好きなんやろなこの仕事が。売るだけやったら面白くないから、ヨメはんも玉子焼の焼き方を教えに行ったりしてるよ」
▲玉子焼の銅鍋は兵庫県物産協会から「五つ星ひょうご」の商品として選定された

どこか、玉子焼のお店に食べに行くことは? 
「自分とこで美味いの作れるから行かへんわ(笑)。でも、食べに行くならアルバイトに焼かしているような店やなく、家族でやってる店のほうがええわな」

手仕事で続いている家業の、たった一人の仕事が、地元の食文化や産業全体に決定的な影響を与えているというのが偉大というか、凄すぎるというか。
同じものづくりに携わる人間にとって、「かけがえのない仕事」とは何かと自問自答してしまった。
この工房から5分ほど歩くと、明石の水産物が勢揃いする商店街「魚の棚」に出る。
▲夕日が当たるとまた情緒たっぷりな感じの西入口
▲地元の主婦、観光客、出張中のビジネスマン、最近は外国人も多い

須飼さんが「東京の出版社に行く時に」必ず買って持っていくというたこわさやスルメを購入し、明石を離れる。
▲「兼一水産」でたこわさを購入。100g380円(税込)から
▲日本酒と一緒にいただくと、まことに極楽でございました
▲その向かい、「味よし」では自慢の手作り焼きするめ、北海さきいか(中袋500円・税込)をゲット
▲撮影後、あっちゅう間に社内の餌食になりました

須飼さんがここに住み続ける意味が何となく分かったし、今度は淡路島に船で渡ることも含めて、もう少しゆっくりしよう。
そして玉子焼をいただくときは、安福さんの「カンカンカン」という木槌の音も思い出すと、美味しさがいっそう増すはずだ。
▲ポストカード『須飼秀和が描く明石の風景』より「魚の棚」
中島淳

中島淳

編集者。京阪神エルマガジン社時代にSAVVYとMeets Regionalの副編集長、Lmagazine編集長を歴任、2006年に独立して編集出版集団140Bを立ち上げ、代表取締役に。明石には昭和から平成にかけて、市内西にある漁港の町「江井ヶ島」に2年ほど住んでいたが、今回の取材で明石熱が復活。

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