高級歓楽街・北新地の老舗「山守屋」。気軽にドアが開けられる洋食店

2016.06.24 更新

「東の銀座・西の北新地」と称され、高級飲食店が立ち並ぶ北新地。その中心部の堂島にある昭和8(1933)年創業の洋食レストラン。そう書くと何だかハードルが高そうだが、さにあらず。ハンバーグステーキ650円、ポークカツレツ750円…と、ほとんどの単品メニューが1,000円以下なのだ。もちろん味の方は二重丸。大阪の夜の街は情け深いのである。

北新地をとりまく日常のおいしい洋食店

クラブやラウンジ、料亭や鮨屋など、高級飲食店が密集する北新地。
花街としての歴史は、元禄元(1688)年の「堂島新地」とすぐ後の宝永5(1708)年の「曽根崎新地」の成立にさかのぼる。

太平洋戦争の大阪大空襲で北新地は焼け野原になったが、戦後いち早く復興し、高度経済成長時にはお茶屋や料理屋などの伝統的な花街の店が、クラブやラウンジ、レストランなどに変貌し現在に至っている。
▲北新地は夜の街だ。3千軒とも4千軒ともいわれる店がひしめいていて、ほとんどが高級クラブからラーメン店までの飲食店だ

洋食店「山守屋(やまもりや)」は昭和8(1933)年にオープン。当時のロケーションは毎日新聞大阪本社(現・堂島アバンザ)裏だった。

当初はコロッケを揚げて出すハイカラな店だった。
終戦後すぐ昭和20(1945)年11月に現在の場所に移転、北新地はこの「山守屋」を含め半年前の6月の大空襲で全焼しているから、いち早い復興のシンボル店だったろう。
そして同36(1961)年に改装してカウンターを設置している。北新地の洋食店らしいモダンな歴史だ。
現在の店舗は昭和60(1985)年に建て替えられたビルの1階を占める。
薄い木板を何層にも重ねた建材を使い、ところどころ軽快で微妙な曲線を描き、バウムクーヘンのような断面を見せている内装は、北新地であっという間に評判となったそうだ。
平成では見かけない近未来的かつレトロな昭和的内装だ。
さてメニュー。
何といっても人気のハンバーグステーキだが、牛ミンチ100%なのに実にふっくらした口当たりなのは、細かく刻んだ牛脂を混ぜ合わせているから。
焼いたときに脂が溶けてミンチ肉に空洞ができ、柔らかい口当たりと旨みを出している。
自慢のデミグラスソースは牛すじと鶏がらをベースに、玉ネギ、ニンジン、セロリなど香味野菜を炒めて入れ、1週間ほどかけて煮詰める。
▲ハンバーグステーキは裏表合わせて7~8分焼く。デミグラスソースは上からかける
▲「だいたい焼ける音と勘でわかります」と、この店で10年のコック松田さん

ハンバーグステーキや海老フライ(750円)、ポークカツなどのフライものを食べたあとは、オムライス(800円)やカレーライス(600円)で締めるというのがとても贅沢な気分。
ミンチカツとミニオムレツ(1,400円)、エビフライとハンバーグ(1,500円)のセットは、ライスとスープが付いたリーズナブルなメニューでこちらもおすすめ。
客層は、昼はビジネスマンやOLなどのランチ客、2時間休憩のあと午後4時半から8時までの夜の営業時間は、北新地の女性同伴客、接客業の黒服が仕事前に腹ごしらえしている姿も。

古くは、ご近所の堂島浜に本社があるサントリーの元会長・佐治敬三さんも常連だった。
正月にはこの店の洋食を佐治氏のいる山崎工場まで運んだという逸話もあるほどだ。

けれども「入りやすく、出やすい、良い洋食店」として、北新地に長く親しまれている。

ちなみにわたしのオフィスは堂島浜にあって、この店から近く、長年週1ペースを守っている。
※価格はすべて税込
江弘毅

江弘毅

編集者。京阪神エルマガジン社時代に雑誌『ミーツ・リージョナル』を立ち上げ、12年間編集長を務める。著書『街場の大阪論』(新潮文庫)、 『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『飲み食い世界一の大阪』(ミシマ社)など、主に大阪の街や食についての著書多数。最新刊は7月15日発売の『濃い味、うす味、街のあじ。』(140B)。編集出版集団 140B取締役編集責任者。

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