天然鮎の懐石料理を、800年前に創業した現存最古の鮨屋でいただく

2016.07.11 更新

穏やかに水をたたえる吉野川の近くに、800年以上も前から店を構える鮨屋「つるべすし弥助」。人形浄瑠璃や歌舞伎『義経千本桜』の舞台にもなった、歴史あるお店です。味わえるのは、今が旬の鮎料理。それも天然の鮎しか使わないこだわり。清流の恵み・天然鮎の料理を歴史の詰まった店内で味わい、特別なひとときを愉しんできました。

「つるべすし弥助」が建つ下市町(しもいちちょう)は、桜で有名な吉野町のお隣にある町。
かつては大勢の人々でにぎわい、物の売買や交換などが行われた「市(いち)」が立ったり、日本で最初の商業手形として知られる「下市札」が発行されたりと、商都として栄えた場所でした。

そんなにぎわいのある場所に店を開いたのは、今から800有余年前!
日本に現存する最古の鮨屋です。
▲ベンガラの赤壁が目を引く木造3階建ての建物は、昭和14(1939)年に再建されたもの

お料理は、3階の大広間で、庭園の緑を愛でながらいただけます。

塩焼き、から揚げ、鮨…、天然の鮎料理をコースで

お店の原点は、店名にもなっている「釣瓶鮨(つるべすし)」。
酢でしめた鮎の腹にご飯を詰めて桶に入れ、フタをして上からぎゅっと押さえつけ、5日間ほどかけて発酵させたなれずしのことです。
桶の形が、井戸で水を汲み上げるときに使う釣瓶に似ていることから、この名がついたそうです。
▲かつて使用していた釣瓶鮨の圧力器。桶の上から木のくさびを使ってプレスします

釣瓶鮨は、桶に使う吉野檜が高騰したことや、現代人の舌に馴染みがなくなってきたことなどから1980年代頃から作られなくなり、今は天然鮎の押し寿司を含むコース料理を味わうことができます。

現在では、鮎は養殖ものが多く、天然ものはあまり市場に出回らないので、味わう機会が少ないのではないでしょうか。
地域によって違いますが、鮎漁は6月から9月頃までなので、まさに今が旬。
天然鮎は川藻を食べて育つため、臭みがなく清々しい香りで、「香魚(こうぎょ)」とも呼ばれています。

出していただいたのはお昼に味わえる「塩焼定食」。
定食といっても前菜に始まり、天然鮎の塩焼き、揚げ物、小鉢物、お鮨、お吸い物、フルーツが付くコースです。
▲塩焼定食3,900円(税別)。この内容でこのお値段はビックリです!
まずは前菜から供されます。
▲左から、ササミとトマトとカニカマのゴマポン酢和え、枝豆とカラスミ、らっきょうの天ぷらの梅肉がけ、フキの葉唐辛子の佃煮

続いては、お待ちかねの鮎の塩焼き。
「天然鮎のはらわたはぜひ食べてほしい。次においしいのが、皮。皮のぬめりは香りのもとで、旨みがある。身が淡泊やから一緒に食べるとおいしいですよ」とご主人。
身がギュッとしまった天然鮎は、ご主人の言う通り、はらわたに臭みがなくほろ苦さが最高!パリッと焼いた皮と身を一緒に頬張り、旨みをかみしめました。
▲鮎の塩焼きは、添えられたポン酢をお好みで。小鉢手前左からしば漬け、玉子焼きめんたいのせ、スカンポ(イタドリ)のゴマポン酢和え

続いては、鮎のから揚げ吉野あんかけ。
カラッと姿揚げした鮎の上から、吉野葛のとろ~り和風あんをたっぷりと。
二度揚げしているので、骨まで食べられます。
頭からかぶりつき、サクッ、ジュワァを楽しんで!
▲鮎が見えないくらいかかったあんは、玉ねぎやニンジン、シイタケ入りで甘め

続いて、小鉢物。
涼し気なガラスの器に、里芋、南瓜、ニンジン、タケノコ、揚げ豆腐、ワラビの煮物が盛られています。
▲上品な味付けの煮物。夏らしい冷製です

そして、焼鮎山椒鮨が登場です。
鮎のかば焼きを押し寿司に。奥の1貫は、鰹山椒とちりめんじゃこを煮たちりめん山椒の押し寿司。
▲香ばしい焼き鮎と、モチモチしたやわらかい酢飯がよく合います

そして、お吸い物とフルーツで終了です。
フルーツは、メロンとリンゴのほかに、きなこと抹茶のわらび餅がついていて、最後まで女子心をくすぐります。

館内には歴史的価値の高い貴重な品がいっぱい

つるべすし弥助は、1980年代頃までは旅館を営んでいました。当時は、谷崎潤一郎や村上春樹などの文人をはじめ、さまざまな著名人も訪れました。

廊下には、『宮本武蔵』などで知られる歴史小説作家・吉川英治が宿泊した際にしたためた句に、杉本健吉画伯が絵をあしらった額が飾られています。
「浴衣着て ごん太に 似たる 男かな」は、宿泊者に用意された浴衣の柄が弁慶格子に似た柄だったことから、それを着た吉川氏が自分の姿を詠んだのだとか。
▲昭和31(1956)年に宿泊した際に描かれた吉川英治氏の額

玄関に入って左側、ガラスケースに展示されているのは、「御上(おあが)り鮎所」の木製の看板。
400年ほど前の1600年から、京都の仙洞御所(せんとうごしょ)へ鮎鮨を献上しはじめ、以後270年ほど続いたそうで、看板はその証として玄関先に掲げていたもの。
昭和12(1937)年に起こった下市町の大火災の際も、玄関先にあったので持って逃げることができ無事だったのだそうです。
▲貴重な江戸初期の木製看板などを展示

また、階段の壁面に掲げられているのは、文化10(1813)年に出版された近畿圏の名物や物産などを網羅した「五畿内産物図会(ごきないさんぶつずえ)」の献上釣瓶鮨謹製の情景。
▲「釣瓶鮨之図」と書かれた絵図

「献上する釣瓶鮨は、お役人さんが監視している前で、畳の上で作っていたそうですよ」と主人の宅田彌助(やすけ)さん。
主人はなんと49代目!
代々、当主になると「彌助」の名を継いでいくのだそうです。
▲歴史や歌舞伎について教えてくれる、主人の宅田彌助さん

歌舞伎の舞台として知られ、ファンや俳優も訪れる

最初にご紹介したとおり、こちらは、人形浄瑠璃や歌舞伎の人気演目『義経千本桜』の三段目「すし屋の段」に登場するお店でもあります。
『義経千本桜』は、延享4(1747)年に人形浄瑠璃で初演され、翌年、歌舞伎化。以来、現代まで長く愛されている作品です。

「すし屋の段」の舞台は、「釣瓶鮨」と呼ばれる鮨屋。まさにこの「つるべすし弥助」です。時は源平合戦後、下市に逃れてきた平維盛(たいらのこれもり)を鮨屋の主人・弥左衛門がかくまい、弥助という名で使用人にしていました。娘のお里と弥助が祝言をあげる日、そこにお里の兄で小悪党の「いがみの権太(ごんた)」が金の無心に帰ってきます――。

この主人公の「いがみの権太」は後に改心し、源氏に追われていた維盛を助けますが、自らは誤解した父親に刺され最期を迎えるという悲しいお話でもあります。
▲弁慶格子の着物に桶を抱えた「いがみの権太」。ちなみに「いがみ」とは「ゆがんだ」という意味で、「性格のゆがんだ」ということ

いがみの権太の役を演じる歌舞伎俳優が同店を訪れることもあるそうで、故十七代目 中村勘三郎さんや、息子の故十八代目 中村勘三郎(五代目 中村勘九郎)さんらも権太を演じる前に訪れたとか。
▲昭和28(1953)年4月に大阪・中座で上演された「すし屋の段」の楽屋での写真。左は48代目主人の彌助さん(現主人の父親)、真ん中は権太を演じた二代目中村鴈治郎さん、右はお里を演じた二代目中村扇雀(現・人間国宝の四代目坂田藤十郎)さん

また、庭園内には、維盛塚・お里黒髪塚・お里姿見の池等の遺跡も残されています。
3階の大広間からは、裏山の斜面に造作された庭園を望むことができますよ。
▲窓を開け放てば、目の前に迫る庭園が楽しめます

広大な築山庭園の様子は、明治16(1883)年に描かれた絵図を見ると一目瞭然で、今もその大きさをとどめています。
▲つるべすし弥助築山庭園の絵図

とにもかくにも、どれもこれもが規格外の歴史エピソードばかりの「つるべすし弥助」。
この夏は、深い歴史と旬の天然鮎料理を堪能しに、出かけてみてはいかがでしょうか。
白崎友美

白崎友美

奈良の編集制作会社EditZ(エディッツ)の編集者。大阪、京都で雑誌や通販カタログなどの制作を行い、現在は居住する奈良県に軸足を置き、奈良の観光関連のガイドブックやホームページなどを制作。自社媒体の季刊誌『ならめがね』にて、「ユルい・まったり・懐かしい」奈良の魅力を発信している。

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