五島列島の教会群を巡り、キリスト教文化に触れる

2016.07.05

2018年の世界遺産登録をめざす「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」。その重要な構成要素であり、今なお50もの教会が存在する自然美豊かな五島列島を訪ねる旅へ出掛けました。

五島列島の美しい自然に感動!

▲車を走らせているときに突然現れた美しいビーチ

今回訪れたのは九州の最西端にある五島列島。長崎港から西に約100kmの位置にあり、南側から福江島(ふくえじま)、久賀島(ひさかじま)、奈留島(なるしま)、若松島(わかまつじま)、中通島(なかどりじま)の5つの大きな島を中心に大小140の島々が連なる列島で、奈留島から南を「下(しも)五島」、若松島より北を「上(かみ)五島」と呼びます。

この日は、飛行機と船を乗り継ぎ、29もの教会が点在する「上五島」エリアへ。上空から見える海の蒼さに感動し、船から見えるビーチの砂の白さ、海と空の青さのコントラストに気持ちが徐々に高揚していくのを感じます。

この美しく豊かな自然と並び、五島列島の魅力となっているのが、日本におけるキリスト教の歴史を今に伝える教会の数々です。今回は、中通島とそれに隣接する頭ヶ島(かしらがじま)にある4つの教会を訪れました。

伝来、繁栄の後、激しい弾圧を経て復活を遂げたキリスト教

▲厳しい弾圧から逃れるためにキリシタンが隠れ住んでいたと伝わる断崖の洞窟「キリシタン洞窟」(若松島)

まず、最初に知っておきたいのが、日本におけるキリスト教の歴史です。

16世紀の大航海時代、天文18(1549)年に聖フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられると、のちにキリスト教の洗礼を受けたキリシタン大名・大村純忠によって、長崎は日本におけるキリスト教信仰の中心地となり、キリスト教は全国へと普及していきました。

しかしながら、天正15(1587)年、豊臣秀吉によって最初の禁教令が出されると、キリシタンに対する迫害が始まり、慶長2(1597)年には、宣教師やキリシタン26人が処刑された「26聖人殉教事件」が起こります。さらに、慶長17(1613)年の徳川家康による禁教令によって本格的な弾圧が始まり、教会はことごとく破壊されてしまいました。

このとき、五島列島に移り住んだのが、仏教徒を装った約3,000名の潜伏キリシタン。激しい弾圧の中でひっそりと静かに信仰を守り続けました。
嘉永6(1853)年、黒船来航により長崎の港が世界に開かれると、居留地に暮らす外国人のために、現在の長崎市に大浦天主堂(写真)が建立されます。そこで、元治2(1865)年、今から約150年前に、それまでひっそりと信仰を守り続けてきた隠れキリシタンが、フランス人神父に自らの信仰を告白する「信徒発見」が起きたのです。そして、明治6(1873)年、禁教の高札が廃止されたことをきっかけに、信者たちは全国各地で教会を建て始めました。

キリスト教が日本に伝わり、繁栄した後、激しい弾圧に遭い、その後、約250年にも及ぶ潜伏ののちに奇跡の復活を遂げるという歴史は、世界に類を見ないことから、その歴史を物語る「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、世界遺産登録をめざすことになったのです。

島内でも有数のキリシタン集落にある「福見教会」

最初に訪れたのは、住民の98%がカトリック信者という中通島の福見地区にある「福見教会」です。海岸の丸石を長さ32mに渡り4mの高さに積み上げた石垣の上に建ち、横の小径から海が望めるこの教会には、とても穏やかな空気が流れています。
▲ミサの時間と12時に、荘厳な鐘の音が鳴り響く

明治15(1882)年に木造の教会が建てられましたが、2年後の台風で崩壊。現存する建物は大正2(1913)年に建立されました。ステンドグラスから射し込む光が、堂内の廊下や階段などを色鮮やかに照らし、幻想的な雰囲気を漂わせていました。

絵画的な美しさが人々を魅了する「中ノ浦教会」

▲静かな中ノ浦湾の海面に建物が映る幻想的な風景

続いて訪れたのは、穏やかな入り江の海面に映る姿が印象的な「中ノ浦教会」です。
▲白い洋館のような佇まいの「中ノ浦教会」
▲敷地内にひっそりと佇むマリア像

大正14(1925)年に建立されたこの教会は、昭和41(1966)年に鐘塔を増築し、現在に至ります。この界隈は、明治初めの「五島崩れ」と言われる政府からの弾圧が激しかったエリアの一つで、のちに信仰が認められ、建立に至ったこの教会には、激しい弾圧を経験した信徒たちの「五島でいちばん美しい聖堂を造りたい」という願いが込められているそうです。

穏やかな入り江の海面に映る建物のシルエットはとても印象的で、人々の心を癒してくれます。堂内は五島特有の椿の花が装飾のモチーフとなっており、心が洗われるような美しさに包まれていました。

国の重要文化財に指定されている「頭ヶ島天主堂」

▲全国的に見ても珍しい石造りの教会堂

中通島の「中ノ浦教会」から車で約50分。頭ヶ島大橋を渡り、直径約2kmの小さな島、頭ヶ島に到着しました。

上五島に属する頭ヶ島は、安政5(1859)年頃から入植が始まり、役人の目があまり届かないことから、潜伏キリシタンが増加。しかし、この地でも、明治初めにキリシタン弾圧「五島崩れ」が起き、島民全員が島を一時脱出したのです。弾圧が終わり、この地に戻ってきた信者たちは、明治20(1887)年に木造教会「頭ヶ島天主堂」を建てた後、明治43(1910)年から7年の歳月をかけ、大正6(1917)年に現在の石造りの教会を完成させ、2年後の大正8(1919)年にコンパス司教によって祝別・献堂されました。

設計・施工を手掛けたのは、教会建築の先駆者と呼ばれる鉄川与助(てつかわよすけ)。近くの島から切り出した砂岩を、信者らが船で運び、積み上げて造った石造りの教会は、重厚な佇まい。2001年には国の重要文化財に指定されました。
▲花柄模様の装飾があしらわれた堂内。「花の御殿」とも呼ばれている

内部に柱はなく、天井は二重の持送りによるハンマー・ビーム架構で折り上げられており、五島の椿をモチーフにした花柄模様とブルーの色彩を基調とした装飾が、重厚な石造りの外観とは対照的に、優しく華やかな雰囲気を漂わせています。

美しいステンドグラスが印象的な「青砂ヶ浦天主堂」

▲均整のとれた構造と細部に渡る優れた意匠が見事!

再び中通島に戻り、奈摩湾(なまわん)を望む小高い丘にある「青砂ヶ浦(あおさがうら)天主堂」へ。こちらの教会も上五島エリアを代表する教会として知られており、2001年には国の重要文化財に指定されました。

西日を正面に浴びた煉瓦が美しく輝き、澄み切った空とのコントラストに思わず見入ってしまうこと数分。ふと我に返り、堂内に入ります。
▲2010年に献堂100年を迎えた歴史ある教会

3代目となる現教会堂は、「頭ヶ島天主堂」と同じ鉄川与助によって設計・施工されたもの。この教会を造るために、佐世保から煉瓦が、頭ヶ島から石が船で運ばれ、眼下の奈摩湾から信徒が総出で運び上げたそうです。そんな信徒たちの信仰心を想像するだけで、厳かな気持ちになります。

また、「青砂ヶ浦天主堂」といえば、美しいステンドグラスが有名です。特に美しいのは夕刻の時間帯。教会堂の正面入口がほぼ真西を向いているため、夕刻時には正面の丸窓を太陽の光が照らし、その光が祭壇方面へと一直線に伸びてくるのです。その幻想的な光は、言葉にならないほど美しく、心奪われてしまいます。
今回は4つの教会を巡りましたが、それぞれに佇まいや意匠に特徴があり、その違いに興味を惹かれた一方で、それぞれの教会の背景にある歴史や信徒たちの想いに触れるにつれ、単なる観光として訪れるのではなく、巡礼に訪れるという意識を持つことが大切だと感じました。五島列島に点在する約50の教会は、今なお信者の方の“祈りの場”。そのことに敬意を払い、マナーを守って拝観したいものです。

※世界遺産登録をめざす教会堂の見学については、ミサや葬儀などの教会行事などによって見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合があることから、構成資産全てにおいて事前連絡が必要です。詳細はホームページをご確認ください。

長崎の教会群インフォメーションセンター

おぢかアイランドツーリズム

そのほか、五島列島の教会に関する情報を知りたい方は、「長崎巡礼センター」の各ステーションへ問合せを。
寺脇あゆ子

寺脇あゆ子

福岡を中心にグルメや旅などを中心に活動するフリーの編集者・ライター。美味しいものがあると聞けば、行かずにはいられないフットワークの軽さが自慢。主な仕事はグルメ情報誌「ソワニエ」、greenz.jpなど。

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