志賀直哉ゆかりの老舗旅館「三木屋」で文豪を気取る

2016.09.19 更新

文豪・志賀直哉が愛した旅館として有名な兵庫・城崎温泉の「三木屋」。今でも当時の趣きを守りつづけながら、宿泊客に快適な空間を提供している創業300年の老舗旅館の魅力に迫ります。

あれは、中学の頃だったか、それとも高校だったか、記憶は定かではないですが、筆者が「城崎(きのさき)」という地名を初めて知ったのは国語の授業のときでした。
志賀直哉の「城の崎にて」。
怪我をした作者が、療養にきた城崎温泉街の旅館で静かなときを過ごしながら、生きることを自問するという内容のその小説は、国語の教科書に掲載されるほどの有名作品。

「しろさきと書いて、きのさきって読むんだ」
「旅館って毎日いても退屈じゃないのかな?旅行するなら温泉よりも遊園地がいいよな」
当時の筆者はまだ、静かにゆっくり過ごす旅館の良さがいまいちわからない青二才の若造。
しかし、子供心になんとなく
「旅館でゆっくり過ごすって大人の贅沢なんだな」とか
「作者の志賀直哉は、とっても居心地のいい旅館にいたんだな」
などと思ったことを覚えています。

今回訪れるのは、その「城の崎にて」の舞台である城崎温泉。志賀直哉がまさに宿泊していた老舗旅館「三木屋」です。
なんと小説に登場する旅館に、そして志賀直哉が泊まっていた部屋に、今でも宿泊することができるんです。

宿泊できる登録有形文化財で、歴史に思いを馳せるひととき

「三木屋」があるのは、兵庫県豊岡市。今も外湯を行き交う人びとの下駄の音が響く「外湯めぐり」で有名な城崎温泉街の中心地です。風情ある町屋が並ぶ「湯の里通り」を進むと、聞かずもがなそれとわかる老舗らしい構えの温泉宿が目に入ります。

「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました」
▲「三木屋」の10代目若旦那・片岡大介(かたおかだいすけ)さん
出迎えてくれたのは、笑顔がさわやかな片岡大介さん。「三木屋」の10代目です。
「10代目!?」
「はい。江戸初期創業ですので…」

「三木屋」は創業300年を誇る、歴史ある老舗旅館。大正14(1925)年の北但大震災により崩壊した後、昭和2(1927)年に再建されて以来、今まで受け継がれてきた木造3階建ての建物は、国の登録有形文化財に指定されているとても希少な建築なんだとか。

年季の入った柱や建具からは、歴史の古さが滲み出ています。しかしその反面、古い建物であるということを忘れてしまいそうな堂々とした出で立ち。「そびえ立つ」と表現しても過言ではないほど、立派な建物です。
▲「三木屋」玄関。その歴史情緒あふれる建物は、日が暮れ、オレンジの灯りが灯るとさらに幻想的な表情に

300年の歴史とモダンな雰囲気が溶けあう極上空間

さっそく玄関をくぐると…
▲ロビー
「…!」

古風な印象の外観とは打って変わって、明るく開放感あふれるロビー。
ロッキングチェアやソファが、さりげなく上品に配置されていて、モダンでおしゃれな空間が広がっていました。
「大正2(1913)年、文豪・志賀直哉がはじめてこちらに投宿されてから、はや100年余り。私どもは次の100年を見据え、平成25(2013)年に館内の大規模改築をいたしました。建物や庭など、これまでの歴史ある風情はそのままに、宿泊される方々に快適に過ごしてもらえるような居心地のいい旅館をめざしたんです」と、片岡さん。

建物そのものやロビーに面した立派な日本庭園など、旅館の肝となる部分は昔の姿を忠実に残し、そこに洗練された内装や家具が絶妙に調和するさまは見事のひと言。
装いを新たにした「三木屋」のロビーは、和洋折衷ならぬ古今折衷の極上空間となっています。
▲ライブラリーラウンジ。本棚にはブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)氏が厳選した本が並ぶ
ロビーの奥にあるのは、ライブラリーラウンジ。志賀直哉をはじめとする城崎温泉に逗留した作家の作品を中心に約250冊の本が用意されていて、本を読みながら緩やかな時間を過ごすことができます。

「ブックディレクターの幅允孝氏やデザインエディターの松澤剛(まつざわつよし)氏に協力してもらって、完成させました。下段が少し前に飛び出している特注の本棚や、本の背表紙に照明があたるように設置したライトなど、細部までこだわりがつまっております」(片岡さん)

温泉を存分に堪能した湯上がりの就寝前、歴史に思いを馳せながら、本の頁をそっとめくる…
文豪ゆかりの宿にふさわしい大人の贅沢です。
そして、窓の外に広がっているのは、約300坪という広さの昔ながらの日本庭園。
大正2(1913)年から昭和30年代まで、幾度となくここに逗留したという志賀直哉。彼が愛した庭園は今も当時の造りのまま。旅館の裏を流れる大谿川(おおたにがわ)の流れを引き込んだ池や豊かな緑が、四季折々にさまざまな美しい表情を覗かせ、彼が見ていたであろう景色を今でも楽しむことができます。

随所で光る「三木屋」の心意気

日本庭園の美しい景観をひとしきり堪能した後、筆者一同は、片岡さんに館内を案内していただくことに。
まずは、もともと客室だった2階の一部屋を改築してつくられたという内湯「ひいらぎの湯」。

「え?城崎といえば外湯めぐりなのでは?」と思われた方。
その通り。城崎温泉は、町に点在する7つの公衆浴場「外湯」をめぐるのが定番。
城崎に来たからには、旅館を飛び出し、浴衣を着て「外湯めぐり」をしない手はありません。

しかし、外湯めぐりに行く前に、あるいは外湯めぐりから帰ってきて、「今一度しっかりと体を洗いたい」「時間を気にせずゆっくりしたい」など、内湯には内湯の良さがあるもの。
そこで昭和30(1955)年頃から、「三木屋」をはじめとする城崎温泉の旅館で、館内にも浴場が設置されるようになったんです。
▲「三木屋」の内湯「ひいらぎの湯」
客室を改築したというお話のとおり、鴨居や縁側の屋根、土壁など、客室の名残をとどめたお風呂はなんとも新鮮。
浴槽は決して大きくはないですが、梁だけを残して吹き抜けになっている天井はとても開放感があり、長閑(のど)やかな湯浴みが楽しめます。

「城崎では、外湯の伝統を守るため、旅館の内湯の規模を制限しているんです。外湯では大きくて広いお風呂を堪能し、内湯ではしっぽりと落ち着いたひとときを過ごす、というようにそれぞれの良さを楽しんでいただければ幸いです」と片岡さん。

「三木屋」にはこの「ひいらぎの湯」の他に、昔ながらの風情を残す「つつじの湯」、そして貸し切りで利用できる「家族風呂」の3つの内湯を整備。外湯とあわせて利用することで、より快適な滞在ができるようになっています。
次に一同がやってきたのは、館内1階にあるお食事処「平八郎」。
「旅館といえば、自室でのお食事を想像される方も多いでしょうが、私どもの旅館では、別に食事処を設け、夕食、朝食をこちらでお召し上がりいただいております」

温かいものを温かいうちに届けたいとの思いから、改築時から新たに始められた試みで、すぐ隣にある厨房から、一品ずつ出来立ての料理が提供されます。
過度な装飾を排除した、木のぬくもりを感じられる落ち着いた空間。
個室席も用意されていて、ゆっくりじっくりと料理を楽しむことができます。
▲但馬牛
▲松葉ガニ(ズワイガニ)の中でも一級品といわれる「津居山(ついやま)ガニ」
お料理は、但馬牛やこの地域で有名な「津居山ガニ」をはじめ、厳選された季節の食材が盛りだくさん。
地域の新鮮な素材が、最高の状態で味わえる「三木屋」は、料理も大満足間違いなしです。

ご紹介した内湯やお食事処など、館内の随所から感じ取れる「心地よい空間を提供したい」という思い。
老舗旅館の名に決して驕ることなく、次の100年先を見据えた「三木屋」の心意気を垣間見た思いでした。

志賀直哉ゆかりの客室で文豪気分を満喫

お風呂、お料理と来たら、次はいよいよ客室です。
なにはともあれ、やはり気になるのは、かの志賀直哉が泊まったというお部屋。

昭和の建築によく見られるというやや急な階段にどこか懐かしさを覚えながら2階へ。これまた趣きあふれる廊下を進みます。
▲廊下には志賀直哉の写真が
そして…

「ここが志賀直哉氏ゆかりのお部屋。現在も当時のまま残しております」
▲志賀直哉のお気に入りの客室「26号室」
旅館2階の西の端に位置するその部屋は、いわゆる日本旅館の素朴な一室。しかし心なしか凛とした空気に満ち溢れていました。
木と畳の匂い、縁側の窓から広がる日本庭園の景色。
▲部屋の机には貴重な志賀直哉の初版本などが並ぶ
「志賀直哉氏はこの部屋の縁側から、庭を眺めてはよく物思いにふけっていたそうでございます」(片岡さん)
人間とはこうも環境に影響されるものなのか、はたまた筆者がただの流されやすい男なのか。気のせいといわれればそれまでですが、何だか文学的な気分が満ち溢れてきます。
▲志賀直哉が「三木屋」の主人にあてて書いた直筆の手紙も飾られている
「それでは他の客室もご案内しましょう。こちらは改築時に新たに設けられた和洋室です」
▲改築された和洋室
昔ながらの旅館らしい和室と、木の床板が心地良い寝室とがひと続きになった、広々とした空間。歴史を感じさせる壁や建具と、簡素でありながら温かみのあるランプシェードなどのモダンな家具が、見事に調和しています。

近年では、海外からも多くの宿泊客が訪れるという「三木屋」。この和洋室は、海外の方はもちろん、布団を敷いて寝るという様式に馴染めない現代の日本人宿泊客にも大変喜ばれているそう。

「三木屋」の客室は、志賀直哉ゆかりの客室やこの和洋室を含め、全部で14室。
どの部屋もこれらと同じ、歴史情緒に溢れながら、快適で居心地のいい空間になっています。

「これまでは、お部屋の設備ひとつにしても、変えてしまったら『私が思っていた三木屋じゃない』とお客さまに来ていただけなくなるんじゃないかなどと、本当にいろいろ迷って悩んでおりました。でもここは旅館。まずは、お客さまに居心地良くくつろいでもらわなけばと思うようになったんです」(片岡さん)

歴史を守り続けることは、決して変わらないことではない。
300年の歴史という看板を背負った10代目。その重みのある言葉に思わず納得。古き良きものと新しいものとの融合を見事に完成させた「三木屋」からは、歴史・伝統を守る人間のあり方を教えられたようでした。

300年の歴史の中で、老舗旅館「三木屋」が紡いできた文豪ゆかりの宿という物語は、これから先100年、200年とまだまだ素敵な物語を紡いでくれるに違いありません。
James

James

イギリス人と日本人とのクォーター。大学では工学部、情報システムを専攻したかと思えば、ミュージシャンとしてギタリスト、MC、DJとして活動。TVやラジオなどでも活躍。その後(株)アドビジョンにて、デザインやコピーライティングなどマルチに活躍。バックグラウンドを活かした独自の視点が人気のライター。

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