軍艦島ツアーに参加!長崎の沖合いに浮かぶ世界遺産登録の廃墟島に上陸

2015.07.09 更新

長崎港から南西へ約18km。ここに「軍艦島」(端島)と呼ばれる小さな海底炭坑の島があります。2015年に、この島を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産に登録されたのは記憶に新しいところ。今回はそんな軍艦島へクルーズ船で上陸する人気ツアーに参加してきました!

「軍艦島」の歴史、正式名称は?

「軍艦島」は1974(昭和49)年の閉山後、島は無人島となりましたが、2009年4月より一般客の上陸が可能に。現在は5つの船会社がクルーズでの上陸ツアーを実施していて、大勢の人が島を訪れています。今回参加したのは、かつてこの島に暮らしていたという「軍艦島を世界遺産にする会」理事長・坂本道徳さんや同会のメンバーがガイドをする「シーマン商会」のツアーです。

「軍艦島」とは、実は通称で、正式名称は「端島(はしま)」と言います。護岸が島全体を囲い、高層鉄筋アパートがたち並ぶその姿が軍艦「土佐」に似ていることから、いつしか「軍艦島」と呼ばれるようになりました。まるで心霊スポットのような見た目から「廃墟島」とも言われる「軍艦島」。実際にはどんな感じなのでしょうか?
▲「シーマン商会」が運行する「さるく号」

長崎港を出航! いざ、軍艦島をめざす!

「軍艦島」への行き方は色々ありますが船会社が催行しているツアーに参加するのが一般的です。ツアーの集合場所は船会社によって異なりますが、今回参加した「シーマン商会」のツアーは、長崎県美術館にほど近い長崎港の常磐2号桟橋。クルーズ船「さるく号」に乗って、いざ、軍艦島をめざします。

長崎港を出航してほどなく、造船のまち「長崎」を象徴する三菱重工長崎造船所が見えてきます。100年以上前にスコットランドから輸入され、今なお稼働し続ける「ジャイアント・カンチレバークレーン」(150tまで吊り上げる日本初の電動クレーン)も、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつ。出航して約10分。「さるく号」は、長崎市の西部と南部を結ぶ「女神大橋」をくぐり抜け、リゾート地として人気を集める「伊王島」を右手に眺めながら、長崎港の外海へと出ていきます。
▲南北約480m、東西約160m、周囲1,200mの小さな島。軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました

長崎港を出航してクルーズ船で約45分。いよいよ「軍艦島」が見えてきました。接岸できる場所は島に1つだけ。いくつかのツアーがほぼ同じ時間帯に到着するため、上陸する時間が決められています。「上陸の時間まで20分ほどあるので、島をぐるっと回ってみましょう」と、船内アナウンスがありました。
▲海上から見える「端島小中学校」

見えてきたのは端島小中学校。明治26(1893)年、三菱社立の尋常小学校が設立され、大正10(1921)年に町立となり、この場所に移転。現存する7階建の校舎は昭和33(1958)年に建築されたもので、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階は講堂兼体育館として使われていました。最盛期には小学校・中学校合わせて700人もの生徒が通ったマンモス校だったそうです。

いよいよ、待ちに待った上陸タイム!

▲ドルフィン桟橋から上陸します

さて、待ちに待った上陸は、当時の人々と同じドルフィン桟橋です。といっても、この桟橋は過去二度も台風によって流出した歴史があります。現在の桟橋は三代目。台風の猛威にも耐えうるよう研究され、昭和37(1962)年に完成し、昭和49(1974)年の閉山まで使われました。その後、無人島となったこの島でしたが、2009年に観光ルートが整備され、上陸が可能になって以降は、軍艦島ツアーの接岸場所として利用されています。
▲第1見学広場からの眺め

現在、ツアーの見学コースは、島の南西部に限定されており、見学できるのは3つの見学広場から。まずは第1見学広場へ。貯炭場などの生産施設や従業員住宅、主力坑だった第二竪坑跡などが見えます。
▲島のいたるところに天川を用いた擁壁が残る

明治期、島の拡張に伴う護岸づくりは、石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法により行われました。
▲当時の写真なども使って島の歴史を伝えます

各見学広場では、「軍艦島を世界遺産にする会」のメンバーであるガイドの方が、島の歴史や当時の暮らしについて説明してくださいます。

ガイドの方の後ろに見えるレンガ造りの建物は、端島炭坑の中核の総合事務所跡。事務所内には炭鉱マンのための共同浴場などがあったそうです。
▲主力だった第二竪坑坑口桟橋跡

端島炭坑で本格的な石炭採掘が始まったのは明治中期以降のこと。明治23(1890)年以降は三菱の所有となり、国内外の石炭の需要をまかない、日本の高度成長期を支えてきました。
▲日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートと言われている

大正5(1916)年には、日本初の高層住宅として知られる30号棟アパートが建設されました。第3見学広場からは、この30号棟アパートが見えます。最盛期の昭和35(1960)年には5,300人を超える人が暮らしており、その人口密度は当時の東京の約9倍。島には学校や病院、百貨店、映画館、パチンコホールなどもあったそうで、炭鉱に従事する人々の裕福な暮らしぶりがうかがえます。

ふるさとを守りたい!という思いから、世界遺産登録をめざした

▲「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳さん

上陸時間は約45分。長崎港に戻り、ツアーは終了です。

最後に。
2003年に「軍艦島を世界遺産にする会」を発足させた坂本道徳さんにお話をうかがいました。坂本さんは小学6年から高校3年まで島に住んでいたそうです。
「僕にとってあの島は故郷。その故郷を守りたいという思いで2003年にこの会を発足させました。廃墟、観光地として注目を集めていますが、個人的には少し複雑な気持ちです。興味を持つ入口は廃墟や観光地だったとしても、この島を訪れ、本当の端島の歴史を知っていただくきっかけになって欲しいですね」

幕末からわずか半世紀という短期間のうちに、製鉄・鉄鋼、石炭産業の近代化を成し遂げた日本。「軍艦島」(端島)を訪れ、日本の近代化を支えた人々に、思いを馳せてみませんか?
寺脇あゆ子

寺脇あゆ子

福岡を中心にグルメや旅などを中心に活動するフリーの編集者・ライター。美味しいものがあると聞けば、行かずにはいられないフットワークの軽さが自慢。主な仕事はグルメ情報誌「ソワニエ」、greenz.jpなど。

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