“おばぁ”たちが生きた100年近い時間を伝える「笑味の店」

2015.06.19 更新

大宜味村(おおぎみそん)は那覇市から80km以上離れた沖縄本島北部に位置し、やんばる(山原)の山々と海の狭間にある長寿の村だ。畑として耕せる土地はごくわずかだが、なければないなりに工夫をしてきた先人がいる。村で暮らす“おばぁ”たちの家の庭先や畑では、ニガナ(苦菜)やウンチェー(空心菜)、カンダバー(サツマイモの葉)、青パパイヤなど、数々の島野菜が少しずつ顔を見せ、いずれも独特の苦みや香り、ぬめり、色など、強烈な個性を放っている。土や海とともにある“おばぁ”たちの暮らしのリズム、生きる知恵を伝え残していこうと、平成2年(1990年)、金城笑子さんは「笑味(えみ)の店」をオープンした。

90歳になっても、畑へ、海へ

おばあさんの一人暮らしというと、街では明るくない話題なのかもしれないが、沖縄本島北部・大宜味村では事情が異なる。
“おばぁ”たちはすこやかに老い、80歳になっても、90歳になっても、生涯現役で、畑へ、海へと出かけて行く。
金城笑子さんはそんな村で「笑味の店」を経営している。
「まかちくみそーれ」とは沖縄の言葉で「おまかせください」の意。まかちくみそーれランチのお皿には、季節ごとに、シークヮーサーの果汁で煮たラフテー、やんばる筍のイリチー、ニガナの白和え、きびなごのマース煮、モーイドウフ、シークヮーサー冷麺、パパイヤチャンプルー、イカのウコン煮、ウコン入りべったら漬け、もちきびごはん、シークヮーサー餅、タピオカアンダギーなどがのる。食材の多くは“おばぁ”たちの畑で育ったものだ。

畑のすみっこにあった島野菜

笑子さんは大宜味村の生まれではなく、近隣の町の出身で、大学卒業後は学校栄養士として働いていた。結婚を機に暮らしはじめた大宜味村で目にした“おばぁ”たちの畑は、宝物のように見えたという。
だが、笑子さんが店をはじめようとした1990年頃、“おばぁ”たちが育てる島野菜は、市場に出回ることはなく、ひっそりとつくられ、ひっそりと食べられているだけだった。
「なんかさー、そういう畑のすみっこにあるような野菜を見ているとさ、工夫して料理してみたいという気持ちにさせられたわけね」

同時に、今と違い、島野菜への理解もまったくなかった時代といっていい。
学校給食では時間や設備などに制限があると感じ、店を開くという笑子さんに対し、“おばぁ”たちはいっせいに反対した。
「安定した公務員なんか辞めて、何考えてるねー?!」
「私らが買ってまで食べんような野菜を、誰がお金を払って食べてくれるねー?!」
そんな声の中、笑子さんは思っていた。
おばぁたちは自分が育てた野菜に値段をつけることはできないと思っているけれど、彼女らがゆったりとしたリズムのなかで育てた野菜は、飽食の時代に失われてきたものを思い起こしてもらうきっかけになる。大宜味村こそお年寄りの知恵が生かせる場所。おばぁたちは畑の野菜に誇りを持ってほしい。
店主の金城笑子さん(左)。料理の話になると、名前の通り無邪気に笑う子どものよう。
開店から25年経った現在も、「笑味の店」には長寿の食を求め、日本全国だけでなく海外からもお客さんが集う。
“おばぁ”に惚れ、島野菜に惚れた人が素直に作りつづけている料理をいただく時間は幸福だ。

聞き書きして綴る『百年の食卓』

「笑味の店」を経営しながら、笑子さんがライフワークとして続けていることがある。
“おばぁ”たちの家々を一軒一軒訪ね、ふだんのごはんを作ってもらいながら、昔のことや暮らしの話を聞き取りすること。その静かな記録は小冊子『百年の食卓 -おばぁとおじぃの暮らしとごはん-』として綴った。
おばぁたちの食卓に、台所に、畑に、100年近くを生きてきた人の言葉には、今の時代にとっての光のようなものが散りばめられている。
アイデアにんべん

アイデアにんべん

沖縄・読谷村を拠点に、パンフレットやリーフレット、パッケージなどの企画制作を承る事務所。ものごとの本質をよく見て、何を「伝える」のか、どうすれば「伝わる」のかを、人との関係性の中でともに考えていきます。(編集/株式会社くらしさ)

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