卓袱料理とは?長崎代表の郷土料理を料亭「花月」で体験!

2015.06.17

鎖国時代の約200年間、日本で唯一、西洋に開かれていた長崎・出島。鎖国中もここ長崎だけは、オランダやポルトガル、中国などの貿易船がやってきて、様々な文化が入ってきました。そこで誕生したのが、和・洋・中のテイストが融合した「卓袱(しっぽく)料理」。日本の「和」、中国の「華」、オランダの「蘭」が交わってできたことから「和華蘭(わからん)料理」とも呼ばれています。当時は家庭のおもてなし料理でしたが、今では長崎を代表する郷土料理として、料亭などでいただくことができます。

幕末から明治にかけて歴史の舞台となった史跡料亭

今回訪れたのは、江戸時代に江戸の吉原、京都の島原とともに“天下の三大遊郭”といわれ栄えた丸山遊郭の歴史を今に伝える「史跡料亭 花月」。寛永19(1642)年に丸山随一の遊女屋「引田(ひけた)屋」として誕生。明治12(1879)年に丸山町の火災で一部焼失したものの、「花月」は、この「引田屋」の建物及び庭園を受け継ぎ、当時の姿を残す貴重な史跡でもあります。
風情ある石畳を進むと「花月」と書かれた大きな提灯のある玄関へ。女将や仲居さんが出迎えてくださいます。
担当の仲居さんから案内されたのは、「春雨の間」。和室と洋室の二間続きになっており、奥の洋室は日本で最初の洋間といわれています。タイル張りの床や和風の天井絵、中国の様式を取り入れた窓など、和・洋・中の文化が見事に調和しています。

女将の「御鰭(おひれ)をどうぞ」の言葉から始まる卓袱料理

「御鰭(おひれ)をどうぞお取りくださいませ」と、女将の中村由紀子さん。卓袱料理は御鰭をいただくことから始まります。御鰭とは、鯛の胸鰭(むなびれ)が入ったお吸い物のこと。これは当時「お客様お一人に対して鯛一尾を使っておもてなしした」という意味が込められているそうです。
宴席では、御鰭をいただいた後に乾杯や挨拶を行います。「皆さん、このときがいちばん緊張されています。でも、食べ方などに決まりはなく、円卓に並んだ料理を好きなように食べてください」と女将さんは言います。
▲卓袱料理はフルコース(昼・夜)19,440円(税・サービス料込)~、サービスコース(昼)10,368円(税・サービス料込)~

「卓袱料理」は、朱塗りの円卓を数人で囲み、大皿に盛られた料理を直箸で取り分けていただくスタイル。当時、日本の食事は1人につき1つの御膳というものでしたので、このスタイルはとても斬新なものだったといいます。

和・洋・中の要素が融合したメニューを味わう

コースの中盤で登場したのは、卓袱料理では必ずいただく「バスティー」です。「バスティー」の語源はポルトガル語の「PASTA(パスタ)」といわれており、スープを器に入れて編み目状に生地をのせて焼いた料理のこと。生地を崩し、スープに浸しながらいただきます。「花月」では、「焼物」として供され、スープには、すっぽんの湯葉包み、フカヒレ、生麩、九条ねぎが入っています。
豚の三枚肉の余分な脂を抜き、数日かけて独自のダシで味をなじませた「豚の角煮」。皮付きのものを使うのが特徴で、お箸で切れるほどに柔らかい食感が絶妙です。
卓袱料理のフルコースは、御鰭で始まり、お造りや湯引き、三品盛(前菜)、大鉢など約15品。最後は、梅椀(お汁粉)で終わるのが一般的です。シュガーロードの起点だった長崎では、当時貴重だった砂糖をふんだんに使うこと=最上級のおもてなしだったことがうかがえます。

卓袱料理をいただいた後は史跡としての建物を満喫

「花月」を訪れ、卓袱料理をいただいた人だけの特別なお楽しみ。それは、史跡としての建物を見学できること。坂本龍馬が付けたといわれる刀傷が残る「竜の間」は、現在、披露宴の会場としても利用されています。(「竜の間」使用中は見学できない場合もあります)
また、坂本龍馬直筆の書など、長崎の歴史を今に伝える資料を展示する「集古館」も見どころ満載です。卓袱料理はもちろん、建物や風景など、訪れてこそ感じられる特別な空気感に感動する旅となりました。
寺脇あゆ子

寺脇あゆ子

福岡を中心にグルメや旅などを中心に活動するフリーの編集者・ライター。美味しいものがあると聞けば、行かずにはいられないフットワークの軽さが自慢。主な仕事はグルメ情報誌「ソワニエ」、greenz.jpなど。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。

こちらもおすすめ

もっと見る
PAGE TOP