松山市のシンボル「松山城」は難攻不落、城郭建築の傑作!

2016.10.17

松山市の中心にあり、市内を一望する勝山の頂に建つ松山城。江戸時代からの現存12天守のうちの一つで、天守をはじめ合計21棟もの重要文化財を有する名城です。わが国最後の完全な城郭建築といわれる城の見どころを、たっぷりご紹介します。

▲松山市の中心地で城下を見下ろす松山城

登城するまでの道のりも楽しさいっぱい!

松山城は「日本100名城」「美しい日本の歴史的風土100選」などにも選定されています。美しさもさることながら、難攻不落ともされる固い守りの工夫が随所に見られるのもこの城の魅力の一つ。

市内を一望する海抜132mの勝山(かつやま)山頂に本丸があり、市の中心に位置するので、子どもの頃迷子になったらお城を目印に家に帰ったという松山っ子も少なくない、まさに松山のランドマークです。

山頂までは徒歩なら4ルートあり、いずれも所用時間は20~30分で車両は通行不可です。
体力に自信があれば築城当時を偲びながら徒歩で登るのも一興ですが、ロープウェイやリフトで楽に登る方法もあります。今回はリフトで登りました。
▲リフトに並走するロープウェイは10分間隔での運行。約3分で山頂へ到着します
▲今回利用したリフト。スキー場のような1人乗りで約6分の空中散歩
取材当日はより詳しく松山城を知るために、事前に観光ボランティアガイドを予約しておきました。リフトを降りたところで、ガイドの池川さんと待ち合わせ。
▲坂道も颯爽と登り、軽妙な語りが楽しい池川さん

ここからは池川さんに松山城の歴史や見どころを教えていただきながら進みます。

松山城を築いたのは、関ヶ原の戦いで功績を認められた加藤嘉明(よしあき)。愛知県三河生まれの加藤嘉明は、慶長8(1603)年にここに移ると同時に地名を「松山」とし、その名が今に至ります。
しかし嘉明は、城の完成直前の寛永4(1627)年に会津へ転封されてしまい、その後に出羽国(山形県)から入った蒲生忠知(がもうただちか)の時代に完成しました。

「嘉明は下級武士から一代で一城を築くまでに出世した苦労人だったんです。それもあってか、城を守ることに非常に力を注いでいたようですよ」と池川さん。その工夫の数々を見て行くことにしましょう。

鉄壁の守りで固めた城の機能に注目!

見事な石垣を見ながら坂を上っていくと、まっすぐ先に小さく天守が見えてきました。
▲坂道の先、ずっと奥に天守が見えます

坂道から一直線に天守に向かうと思わせておいて、実はここから道は180度Uターンします。
▲天守へ続く道が一旦途切れます。その場所は大手門跡

一旦天守に背中を向けなければならない戦略なのです。またこの折り返しの石垣上からも攻撃できるようになっているというわけです。
▲折り返した先にある戸無門(となしもん)

ようやく最初の門、戸無門(重要文化財)に到着。この門は、本丸への大手入り口の最初に現存する門です。その名の通り、門扉がありません。その先にある防備の要である筒井門(つついもん)へ敵を誘いこむための戦略で設置されたとみられています。
▲筒井門は松山城最大の門
▲よく見ると門の上部には横一列に鉄砲や矢で敵をいるための「狭間(さま)」が並んでいます

本丸までにはこの後もいくつもの門をくぐるのですが、門は頭上から石を落とせるようになっていたり、全面がびっしり矢を射るための場所になっていたりします。「何気なく歩いていますが、全て戦いのためのしつらえがしてあるんですよ」と池川さん。
なるほど、確かにお城は、戦いのためのものだということを俄かに実感したのでした。
▲出窓のように見える「石落(いしおとし)」は下の部分が開き、石や鉄砲で攻撃できるようになっています
▲右手奥の塀に開けられたたくさんの狭間
▲長方形のものが弓矢の攻撃用の矢狭間(やざま)
▲正方形のものは鉄砲狭間(てっぽうざま)
▲三ノ門南櫓(さんのもんみなみやぐら)の中にある太鼓

三ノ門南櫓内には、敵の進入を監視し不審者を見つけたら合図をするために使われていた太鼓が、来場者も体験できるよう設置されています。休日は開放されており自由に叩けるほか、平日もガイドさんが一緒なら叩くことができます。
▲屏風折(びょうぶおれ)と呼ばれる石垣

屏風のように幾重にも折れ目が続く屏風折石垣は、石垣の強度を高めると同時に、すべて側面のどの角度からも敵を攻撃できるようになっています。登ってくる敵を横から射る「横矢掛かり」という仕掛けです。
▲本丸広場に到着!本丸広場からさらに一段高い石垣の上に本壇があります。中央に天守、左手に小天守

松山城にはその歴代城主に由来する4つの家紋が存在します。
加藤家の「蛇の目」、蒲生家の「左三ツ巴」、松平家の「三つ葉葵」、久松家の「星梅鉢」。このうち、天守のしゃちほこの下の屋根瓦(鬼瓦)にあるのは松平家の「三つ葉葵」です。
現存12天守の鬼瓦のうち、葵の紋が入っているのはここ、松山城だけです。
寛永12(1635)年に三代目の城主となった松平定行が徳川家康の異父同母弟を父に持つため、この家紋が許されたのだそうです。

築城当初の天守は五重でしたが、松平定行により三重に改築されたと言われています。地盤の弱さから天守を守る安全対策のためとも言われますが、徳川家康の甥にあたる立場でもあるので江戸幕府に遠慮してのことだろうとも言われています。

松山城の天守は「連立式天守」といい、天守と小天守、櫓を渡櫓で四角形につなげた形状です。現存12天守の中では松山城と姫路城にしか見られない構成で、天守への入口が建物に囲まれているため、侵入してくる敵を四方から攻撃できるのだそうです。
▲小天守から見た枡形(ますがた)。右手前に屋根が見える一ノ門を入り、左上の二ノ門へ抜ける手前の小広場は防御と攻撃の要となる場所

迷路のように入り組んだ門や櫓、石段の様子が一望できます。
本壇入り口を守る一ノ門は、続く二ノ門までが「枡形」という空間になっています。右手に一ノ門南櫓、正面に二ノ門南櫓、左手に三ノ門南櫓(いずれも重要文化財)、そして手前に小天守と、四方から敵をとり囲み集中攻撃できるのです。
ここに追い込まれれば、敵はまさに袋のねずみでしょう。
▲小天守から本丸広場側の眺め

天守の中で甲冑体験と、松山城の不思議を目撃

天守の中に入ると、まず1階に甲冑の試着体験コーナーがあります。
▲装着手順書が置いてあり、それを見ながら自分で甲冑を身に付けます。気分は戦国武将!
▲撮影時はちょうど佐賀からの修学旅行生が試着中。剣道部の主将だそうで、さすがの着こなしです
▲刀を持って重さを体感できるコーナーもあります。両手を添えたくなる重さに驚き
▲内部は資料館になっていて、甲冑や刀、書画などが展示されています
▲加藤嘉明が使ったとされる甲冑

面白いものがありました。
平成16年から2年をかけて行われた大改修工事の際に見つかった侍の似顔絵で、江戸時代に描かれたと思われる落書きで、天守本壇の再建当時(1848~1854年)のものと考えられているそうです。
▲誰を描いたものかはわかっていないそうです
▲裃をつけている侍を頭上から描いたユーモアを感じる絵も
▲天守からの眺め。残念ながら少し曇っていますが、小天守の向こうにお城下が一望できます
▲天守内の広々とした板の間。天井板が貼ってあるのが特徴です

実は松山城の天守は、不思議なしつらえがしてあります。
本来天守は、戦闘の一大事の時だけに籠城する場所で、普段は人が出入りするところではありません。ところが松山城は、殿様がいずれはこの天守で生活をしようと思っていたのか、天守の1階から3階まですべて畳を敷くことができる構造になっていて、天井板も貼ってあるのです。
▲襖を入れられる敷居があり、床の間もしつらえてあります

どのような意図があったのかは明らかになっていませんが、殿様気分で天守からお城下を眺めれば、何かが見えてくるかもしれません。

恋人の聖地でもある二之丸史跡庭園へ

さて、天守から降りて、ガイドを務めてくれた池川さんと別れ、下りは黒門口登城道から二之丸史跡庭園へ向かうことに。
▲石垣に沿って、緩やかな階段道が続きます
▲殿様の頃から変わっていないような山道を、足元に注意しながら進みます
▲およそ15分から20分くらいで、二之丸史跡庭園に到着

二之丸は、天守など本丸を守るための施設で、藩主の生活や政務のための邸宅があったところです。
古い絵図や発掘調査に基づいて邸の間取りを遺構の上に表現し、水の流れや季節の植物で史跡庭園を成して平成4年5月に開園しました。
▲邸の間取りの中を水が流れる奥御殿跡流水園
▲二之丸庭園は「恋人の聖地」にも認定されています

日露戦争時のロシア人捕虜の男性と日本人女性看護師とみられる2人の名が刻まれた金貨が出土したことや、美しい風景が結婚式の前撮りの場所として人気があることなどから、ここは「恋人の聖地」にも認定されています。
二之丸史跡庭園の前には広々とした芝生が気持ち良い堀之内公園があります。
見上げれば山の頂に松山城が望めます。
見守られているような安心感とともに、心穏やかに過ごせる場所です。
▲堀の内公園から石垣と塀に囲まれた二之丸史跡庭園、そしてその向こうの山の頂に松山城

松山市民にとって松山城は、いつも見えるところにある、私たちを見守ってくれているような存在です。春の花見やちょっとした散歩、ジョギングなど、観光客ばかりではなく、市民が日常的に訪れる、とても親しみ深い場所なのです。お城や歴史に詳しくなくても、訪れればきっと、松山市民が松山城を愛する理由がきっとわかると思います。
矢野智子

矢野智子

愛媛県在住。愛媛県出身ながら高校卒業後ほとんどの時間を県外で過ごした後、生活の拠点を愛媛に定めた現在、改めて気付く地元の魅力に感動しきり。 人生を豊かにするものは「食」と「読」と信じ、そこに情熱を傾ける日々。

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