約300年続くうつわ作りと、当時の生活スタイルまでも垣間見える奇跡の里

2015.06.17 更新

大分県日田市の山中にその集落はあります。小鹿田と書き“おんた”と呼ぶこの里は、文禄・慶長の役時(1592年~)、筑前藩主・黒田長政公が朝鮮から連れてきた陶工により、慶長5(1600)年、鷹取山に開窯したことに起因するもので、宝永2(1705)年、日田郡大鶴村(当時)の黒木十兵衛が、小石原村(福岡)の陶工・柳瀬三右衛門氏をこの地に招き、李朝系の登り窯を築造したのが始まりです。

その後、途絶えず脈々と受け継がれた陶工たちの里を、昭和6(1931)年に民藝運動の創始者である柳宗悦氏が「これぞ民芸」と絶賛します。
バナード・リーチ氏の作品
▲バナード・リーチ氏の作品

そして、柳宗悦氏は昭和29(1954)年、世界的陶芸家であるバナード・リーチ氏を招き入れ、彼は約1カ月の間、制作のために小鹿田に滞在します。そのことで小鹿田は世界的に声価を高め、現在では民窯の代表的な存在となっているのです。

誰しもどこかで見たことのある柄!?装飾技術“飛び鉋”と“刷毛目”

飛び鉋(右)と刷毛目(左)
▲飛び鉋(右)と刷毛目(左)

小鹿田焼きの代表的な装飾技術に、“飛び鉋(とびかんな)”と“刷毛目(はけめ)”があります。特に飛び鉋は、金属製の薄いヘラで付ける幾何学的模様で、今なお、中国“宋”時代の装飾技術の面影を感じさせてくれます。ほかにも、櫛描き・打ち掛け・流しなどの技法もあり、どれも素朴で遊び心があります。九州では、祖父母の家に行くとだいたいの家にはあるというほど、小鹿田焼は、当たり前に生活の中に溶け込んでいるのです。

注目すべきは、焼き物だけではない。当時の生活スタイルも垣間見える

小鹿田の特徴はうつわだけではありません。当時の生活スタイルが、今なお息づいていることも高く評価されています。まず、集落に着くと聞こえてくるドスンドスンという音。これは、唐臼と言われる丸太をくり抜き作られた、水力を利用した陶土粉砕器の音で、今なお現役で利用している窯場は全国でもほとんどなく、年中聞こえるその音は、この地をより風情豊かに、訪れる人たちの心をより豊かにしてくれます。
唐臼の音を聴きながら窯元を巡ると、様々な仕事に出合えます。これも、ここ小鹿田でしか味わえない大きな魅力。小鹿田の窯焼きは、基本的に1年に5~6回。窯焼きまでの約2カ月間に、いくつもの仕事があり、その様々な仕事を見ることができるのです。轆轤(ろくろ)で形成していたり、うつわを天日干ししていたり、女性が船を漕ぐような動作で土をろ過していたり。窯に火が入る時期には、その独特な緊張感をも感じることができます。そんな仕事を見ていると、さらにうつわが欲しくなるのも私だけではないようです。
小鹿田の里には、今でも焼き物の伝統技術だけでなく、独特な生活スタイルが息づいているからこそ、今なお多くの人々がこの地を訪れます。そして、私たちと同じ時代に生きている窯元や焼き物、里を通して一緒に歳を重ねていくことに感動していくのです。そして、それは今後も変わらず続いていくのです。

お店で買う小鹿田焼もいいけれど、この地で窯元から直接買うと、大切に扱う気持ちが一層大きくなります。また、水や火など、昔ながらのエネルギーを活用して生活できることを目の当たりにし、生産性よりも伝統を大切にするその姿勢は、これからも、時が経てば経つほどに、その価値が高まっていくのではないでしょうか。柳宗悦氏やバナード・リーチ氏も愛した小鹿田を、ぜひその目で体験してください。
原茂樹

原茂樹

映画館「日田リベルテ」代表。35mmフィルム映写技師。映画館で映画を観てもらいたいという想いが大きな活力源。ほかに、ヤブクグリ広報係、きじぐるま保存会会員、コラム連載(現在4誌)、大学講師やアートディレクションなど活動も様々。映画館が1日でも長く楽しく存続できることを願っている。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。
PAGE TOP