峠に挑んだ鉄道の歴史とレトロ観光列車を楽しむ、碓氷峠としなの鉄道の旅/古谷あつみの鉄道旅 Vol.9

2016.09.27

古谷あつみが行く、全国各地の鉄道旅!今回は、碓氷峠(うすいとうげ)鉄道文化むらと、しなの鉄道を巡る旅です。東京駅から2時間ほどで行くことができる、鉄道の歴史が詰まったスポット!今回も鉄道ライターの土屋武之さんと、鉄道を空撮する「空鉄」で人気のカメラマン、吉永陽一さんとともに、その魅力をお伝えします。

今回の見どころはここ!

1.電気機関車が運転できる!碓氷峠鉄道文化むら
2.碓氷峠で知る、鉄道を支えた知恵と歴史
3.腹ごしらえには横川名物の優しい味
4.しなの鉄道が誇る、豪華観光列車「ろくもん」の旅

1.電気機関車が運転できる!碓氷峠鉄道文化むら

私たちは、東京駅から新幹線で高崎へ行き、JR信越本線に乗り継いで約2時間。横川駅前にある「碓氷峠鉄道文化むら」までやって来ました!
ここは、碓氷峠の歴史を今に伝える、大切な役割を果たす施設。
碓氷峠をはさむ信越本線の横川~軽井沢間は、1893(明治26)年に開通してから、1997(平成9)年の長野新幹線(北陸新幹線)の開業により廃止となるまで、66.7パーミル(1000m進むごとに66.7m登る)という、国鉄ではもっとも急な勾配で超えていた区間です。

自然豊かな環境は、まるで森のなかの博物館!碓氷峠鉄道文化むらの魅力に迫ります。
▲元の機関庫を転用した鉄道展示館の前で1枚

古谷「いえぇ~い!初、碓氷峠鉄道文化むら!」
土屋「ちょっと君は、はしゃぎすぎじゃないの?取材だよ。」
古谷「そうなんですけど…。でも、展示車両がたくさん並べられているので、わくわくせずには居られません!」

碓氷峠鉄道文化むらには、すべての鉄道好きが楽しめる、さまざまな展示、施設がたくさんあります。
まずは、一番の人気を誇る、EF63の運転体験を見学させていただくことに。EF63形は、碓氷峠の急勾配を走ることに特化して造られた電気機関車で、「ロクサン」や「峠のシェルパ」などの愛称で親しまれています。
▲参加者が体験運転中のEF63!

本物の電気機関車の運転ができる施設は、日本でここだけ!ということで、全国各地から運転体験を目当てに訪れる人も珍しくはありません。
まずは技術講習を1日受講し、修了試験に合格した人だけが、翌日以降、運転体験に参加できます。運転体験や講習の予約は、参加人数が限られていることもあり、予約開始後数分でいっぱいになるほどの人気ぶりです。
▲参加者の栗田さん。発車前の手順もすでに手慣れた様子でこなします

この日、運転体験に参加していたのは、埼玉県から来たという栗田明生さん。運転するのは今回でなんと、49回目とか!会社員なので、休日にこうして鉄道趣味を楽しんでいます。
奥様も鉄道が好きで、何度も碓氷峠鉄道文化むらへ来ているそうです。ご夫婦で一緒に趣味を楽しめるなんて素敵です!
▲私も運転に挑戦!?いえいえ。きちんと講習を受けてからでないと、動かせません

今日は特別に!ということで、私も運転台に座らせていただくことに。これが今でも実際に走る車両なのだと考えただけでドキドキしちゃいます!運転体験では、この手で本当にこの車両を動かせることができるなんて!
いつか、私も運転にチャレンジしてみたいです!
▲トロッコ列車「シェルパくん」は、3~11月の土・日曜・祝日と8月の毎日運転

かつてEF63が走っていた信越本線の一部は、今は運転体験とトロッコ列車用の線路に転用されて残っています。
碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」まで2.6kmのトロッコ列車に乗れば、苦難の連続だった碓氷峠の運転の様子の一端をしのぶことができます。
▲ミニ鉄道を引っ張る蒸気機関車は、模型ですが本物の石炭で走ります

他にも鉄道文化むら内を一周するミニ鉄道「あぷとくん」もあり、運行コースからは、館内に展示された様々な展示車両が一望できるなど、小さな子どもも楽しめる施設も充実!
本物の車両の運転体験は難しそう…という方が楽しめる、運転シュミレーターもあります。
▲碓氷峠鉄道文化むらで保存されている車両の数々

古谷「でも、どうしてこんなところに博物館ができたんでしょう…。」
土屋「ここはね、元はEF63が配置されていた横川機関区の跡地なんだ…ちょっと来て!」

2.碓氷峠で知る、鉄道を支えた知恵と歴史

古谷「これは…なんですか?」
土屋「ラックレールさ。今は横川止まりになっている信越本線は、1997(平成9)年に新幹線が開業するまで、横川~軽井沢間の碓氷峠を越えて、長野方面までつながっていたんだ。」
古谷「こんな峠に鉄道が!?」
土屋「そう。この峠を越えるため、日本の鉄道の歴史を変えるような試みがあったんだ。」
▲碓氷峠鉄道文化むらで保存されているラックレール

江戸時代から、箱根と並ぶ重要な関所とされた「碓氷の関」に鉄道を通す計画が持ち上がったのは、明治のはじめのことでした。
当初は、京都と東京を結ぶ幹線鉄道のルートとして、検討されていましたが、峠が険しく、難工事になることが予想されたため、断念せざるを得ませんでした。
しかし、太平洋側と日本海側を結ぶ、重要なルートでもあります。どうしても鉄道を通したい!その想いで、色々な方法が検討されました。しかし、スイッチバックやループ線などを用いても、地形的に対処できませんでした。
▲機関車に取り付けられていた歯車。これがラックレールと噛み合って、急勾配を滑らずに上り下りできるようになっていました

そこで、ドイツのハルツ山鉄道を参考に、日本で初めてアプト式鉄道を取り入れることで、難題をクリアしたのです。
アプト式鉄道とは、通常皆さんがよく知る2本の線路の内側に、もう1本歯車付きのレール(ラックレール)を敷き、機関車の歯車とレールが深く噛み合うようにした方式の鉄道のこと。
この技術を取り入れることによって、急勾配の碓氷峠を越える鉄道が実現したのです。
▲「アプト式」時代の電気機関車ED42も、碓氷峠鉄道文化むらで保存されています。1963(昭和38)年にEF63へバトンタッチするまで、活躍しました

古谷「ドイツは、日本よりも相当技術が発達していたんですね。」
土屋「当時の鉄道先進国の一つだったからね。ドイツからも、さまざまな鉄道技術が日本へ入ってきたのさ。」
古谷「ドイツの技術がなかったら実現していなかったかもしれない!というくらい、重要な出来事ですね。」
土屋「そうなんだ。この技術のおかげで、最大66.7パーミル。11.2kmの間に553ⅿもの標高差がある急勾配を、約80分で走ることができるようになったのだから。」
古谷「でも、結構時間がかかっていたんですね。」
土屋「そうなんだ。それに、問題は時間だけじゃなかった。」
古谷「他に、問題があったんですか?」
▲ED42のモーター。強力で煙を出さない電気機関車が導入されて、碓氷峠は格段に安全に、速く通過できるようになりました

土屋「トンネルが26カ所、レンガ造りの橋梁が18カ所あったけれど、問題は安全面と輸送力だったんだ。」
古谷「安全面?危ないんですか?」
土屋「たくさんあるトンネルの中では、当時の機関士は煙に巻かれて、酸欠で失神寸前になりながら運転していたんだよ。」
古谷「命がけじゃないですか!」
土屋「それに1日24往復、列車1本につき10両が限界で、輸送力は常に足りない状態だったし。」
古谷「じゃあ、蒸気機関車じゃなくて、電気にすればいいんですよ!」
土屋「そう!そうなんだ。でも、当時、そんな簡単には電化できなかったんだよ。」
▲横川駅に発着していた列車をまとめた業務用の時刻表。国鉄末期のものですが、急勾配路線であっても、首都圏と長野県・新潟県上越地方、さらには北陸方面を結ぶ多くの列車を運転しなければなりませんでした

明治40年代に入り、輸送力や煙の問題が大きくクローズアップされるようになり、電気機関車の導入が検討されはじめました。
1912(明治45)年にようやく横川火力発電所が建設され、碓氷峠の両端に丸山、矢ヶ崎と2カ所の変電所も設置。日本初の幹線電化区間となり、横川~軽井沢間の所要時間を49分にまで縮めることができました。
▲碓氷峠を越える苦労を今、知るには、トロッコ列車「シェルパくん」に乗ってみるのがよいかもしれません

古谷「ここは日本の鉄道の歴史がつまった場所なんですね。」
土屋「だからこそ、ここに鉄道文化むらをつくり、歴史を伝えていくことにしたんだ。」

なお、アプト式鉄道は1963(昭和38)年に、一般的な鉄道に置き換えられました。その時、碓氷峠で列車の運転を補助する専用機関車(補機)として登場したのが、EF63なのです。
補機は、峠を登る時は後押し。下る時は先頭で踏ん張ってブレーキをかけるのが役目でした。
▲貴重な「一等寝台車」マイネ40の最後の生き残り。マイネ40 11も保存されています

土屋「鉄道史といえば、他にも見せたいものがあるんだ。碓氷峠以外の鉄道の歴史も、ここで知ることが出来るんだ。」
古谷「マイネ40…?寝台車ですか?」
土屋「その通り!今日は特別に中を見せてくれるそうだよ。」

普段は保存のため、カーテンが閉められ一般公開されておらず、イベントなどでしか公開されないという、「マイネ40 11」の車内を見学させてもらえることに!
▲マイネ40の個室(コンパートメント)。現役当時は、上下2段式の寝台が設けられていました

土屋「マイネ40は、昔の一等寝台車だ。」
古谷「個室寝台!当時としてはとても豪華だったんじゃないですか?」
土屋「豪華なんて言葉で片付けられないよ。」
古谷「今でいう、『ななつ星 in 九州』!といった感じですかね。」
土屋「いや、もっと違った意味で、センセーショナルだったと思うよ。」
▲マイネ40には、コンパートメントの他に、後のA寝台車の原型になった開放型寝台も設けられていました

マイネ40は戦後、進駐軍用に製造が計画された車両。全部で21両が造られました。完成は1948(昭和23)年です。

土屋「まだ日本中が焼け野原だった時代に、贅を尽くして造られた豪華寝台車だったんだ。カーテンや布団は西陣織。そして冷房完備で、蛍光灯を使用した客車もこれが初めてだったんだよ。」
古谷「物が、まだまだ不足していた頃ですよね…。」
土屋「一般家庭には冷房どころか、蛍光灯もまだ非常に高価だったから、ほとんど普及していなかったんだ。」
古谷「どれほど、この車両が豪華だったかが、わかります。」

なお、マイネ40 11は、1967(昭和42)年に引退した後、ベッドを畳敷きに変えるなど、工事関係者が寝泊まりする車両に改造されました。
碓氷峠鉄道文化むらでは、塗装のみデビュー当時のものに復元し、室内はそのままの姿で保存されています。
▲まだ生産量が少なく、非常に高価な貴重品だった蛍光灯が、マイネ40で初めて室内照明に採用されました

土屋「当時は、主に外国人観光客が利用していたんだ。」
古谷「今見ても豪華ですもんね。室内が木製の寝台車なんて、見られないですよ!」
土屋「そうだね。運賃・料金も当時の日本人の所得水準からすると、庶民にはとうてい手が届かないほど高くて、出張の議員や高級官僚、大会社の重役といった、ほんのひと握りの人しか乗れなかったんだ。」
▲インテリアも重厚で、当時の庶民には近寄りがたい雰囲気だったことでしょう

2畳ほどの広さの個室も、豪華な造りだったことがわかります。個室寝台が、この時代にあったなんて、驚きです。

古谷「鉄道って、ひと言でいっても、色んな歴史や背景があるんですね。」
土屋「ここには、他にもたくさん鉄道の歴史がわかる車両があるんだ。」
古谷「そういった歴史を学びながら見ていくと、面白いですね。」
土屋「そうだね…。あ、そうだ。鉄道の歴史もそうだけど、駅弁の歴史も知りたくないかい?」
古谷「食べ物!!それは知りたいです!もしかして…。あの駅弁ですか?」

3.腹ごしらえには横川名物の優しい味

▲横川駅前の、おぎのや横川本店で釜めしを購入!

1958(昭和33)年から作られているという、おぎのやの「峠の釜めし」(1,000円)は、かつて駅のホームで立ち売りされていました。
横川駅では、特急から普通まで、すべての列車がEF63を連結・切り離しをするため数分間停車していたので、釜めしが大いに売れたそうです。そして今も、横川駅前の本店や、横川駅の売店、碓氷峠鉄道文化むら、駅近くのドライブインなどで販売されています。
スタイルは昔から変わっておらず、旅人から愛されています。

土屋「懐かしいなぁ。昔、鉄道旅行でこの駅弁目当てに横川まで来たもんさ。」
古谷「見た目は…。なかなかインパクトがありますね。」
▲横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」

益子焼で作られた釜のなかに入った釜めしには、鶏やタケノコ、ゴボウや栗など、さまざまな山の幸がふんだんに使われています。

古谷「それでは、いただきまぁす!わぁ!なんて優しい味!」
土屋「なんか、懐かしい味なんだよなぁ…。」
古谷「お米も、ふんわり甘くて、家庭的な味ですね。」
土屋「だから万人に愛されるんだよ。」

駅弁開発当時、おぎのやの会長だった高見澤みねじさんは、自らホームに立ち、旅行者ひとりひとりに駅弁への要望を聞いて回ったのだそうです。そうやって集めた意見をもとに、家庭的で楽しい駅弁として「峠の釜めし」を作ったのです。
▲おぎのやの創業は、横川駅の開業と同じ1885(明治18)年。まさに碓氷峠の鉄道の歴史とともに歩んできた駅弁屋です

土屋「峠の釜めしは、温かくて、こんなに優しい味だろう?初めて食べた時、それはそれは驚いたんだ。」
古谷「駅弁という枠を超えても、かなり美味しいですもんね。」
土屋「そうさ。峠の釜めしは大ヒット商品になって、自動車旅行者向けにドライブインまでオープンさせてしまうほどの人気になったんだ。」
▲横川駅の北側すぐのところにある、おぎのやドライブイン・横川店

古谷「旅の思い出の味!ということですね。これは記憶に残りますよね。」
土屋「あぁ。横川へ来たらこれを食べないと帰れないよ。」
▲ドライブイン横川店内でも、峠の釜めしなどの駅弁を買うことができます。9時から18時まで営業しているので、本店で買えなかった時は、こちらへ

旅人の思い出に深く残る、横川の人気駅弁「峠の釜めし」。横川へ来たら、是非とも味わっていただきたい逸品です。
また、横川駅前のおぎのや本店の向かいには、峠の釜めしの歴史を知ることが出来る資料館もあるので、碓氷峠の歴史と合わせて見ると面白いです。

4.しなの鉄道が誇る、豪華観光列車「ろくもん」の旅

▲線路が途切れた横川~軽井沢間は現在、JRバスが結んでいます

碓氷峠鉄道文化むらや「峠の釜めし」を楽しんだ私たちは、次の目的地である、しなの鉄道の起点、軽井沢へと向かいます。

古谷「軽井沢から、しなの鉄道に乗るには、ここからどうやって行きましょう?」
土屋「碓氷峠を越える鉄道が廃止になって、今は列車では行けないからね。バスで行くのさ。」
▲現在の軽井沢駅の横には、旧駅舎が「(旧)軽井沢駅舎記念館」として残されている

古谷「さて、軽井沢に着きました…あ!あの建物はなんですか?」
土屋「軽井沢駅の旧駅舎だ。碓氷峠の歴史を伝える車両と共に、公開されている。」
古谷「ここでも歴史を知ることが出来るんですね。」
土屋「この線路が、かつて横川まで繋がっていたんだよ。」
▲1912(明治45)年の横川~軽井沢間の電化完成時に、ドイツから輸入されて使われた10000形電気機関車。(旧)軽井沢駅舎記念館で保存されています
▲軽井沢駅から横川側の線路は、廃止となって今は途切れています

古谷「まずは、浅間山をバックにした列車の写真を撮りに行きたいんです。」
土屋「撮影講座かい?」
吉永カメラマン「バッチリ調べてきたよ!信濃追分に行きましょう。」
古谷「ありがとうございます!」
▲しなの鉄道信濃追分駅

古谷「信濃追分駅から撮影ポイントまでは結構歩くんですね…。」
吉永カメラマン「そんなに、遠くないさ。さあ、歩くよ~!苦労なくして、いい写真は撮れないから!」
古谷「ふぁぁ~い。あ!まってくださぁ~い!」
土屋「あはは。僕はここで待っているから!いってらっしゃ~い!」
▲駅から延々と高原の集落の中を歩いて撮影ポイントへ…

吉永カメラマン「結構歩いたね~」
古谷「もう30分近く歩いていますよ…。痩せるかしら…。」
吉永カメラマン「このあたりが撮影ポイントなんだけど。今日は天気が悪いね…。」

なんと、信濃追分駅から30分ほども歩いたのですが、お目当ての浅間山バックの写真は、曇っていて撮れそうもありません。晴れていたら素晴らしい写真が撮れるスポットなのに!お天道様の意地悪!と、思いながらも、これも鉄道写真の楽しみのうち。撮れない時もあるから、撮れた時の嬉しさが大きいのです。
※広域地図は最初のマップを参照してください。

吉永カメラマン「じゃあ、途中にあった橋の上から列車を撮影しましょう!」
古谷「あそこまで戻るんですか!?」
吉永カメラマン「さぁ、歩く!歩く!」
古谷「ひょえ~!」

吉永カメラマン「ここから撮るよ。列車が来るタイミングをよく見て!あと、できるだけ、電柱が入らないように撮ってね。」
▲陸橋の上から、しなの鉄道の電車を撮影!(古谷撮影)

吉永カメラマン「古谷さんは、ちゃんと撮れた?」
古谷「う~ん。ちょっと失敗かもしれません…。」
吉永カメラマン「あら、いい感じだと思う!カーブをちょっと曲がりはじめて、そしてギリギリだけど列車の前面と電柱が重ならない、いいタイミングでシャッターが切れているよ。良かったね!」
古谷「ほんとですか!?嬉しい!」
吉永カメラマン「歩いた甲斐があったね。」
古谷「はい!本当に!」
▲曇ってしまい、浅間山をバックにした写真が撮れなかったので、信濃追分駅でユリの花をからめて…

土屋「なかなか戻ってこないからどうしたのかと思ったよ。」
古谷「すっごく歩いたんです。でも、吉永さんのおかげで、いい写真が撮れました。本当にありがとうございました!」
吉永カメラマン「お目当ての浅間山を入れた写真は、冬だと空気が澄んでいて山にも雪があって、いい感じの写真が撮れそうだね。」
古谷「はい!また来ます。」

天候や季節によって左右される鉄道写真。事前に下調べはしますが、思ったようにはいかないところも面白いのです。
なお、信濃追分駅前からは、タクシーで撮影ポイントまで行くのもいいでしょう。
▲信濃追分駅に3両編成の観光列車「ろくもん」が到着
▲「ろくもん」に乗り込んで出発!

土屋「さぁ、歩いたあとは!ゆっくり、しなの鉄道イチオシの観光列車『ろくもん』に乗って長野まで行こうじゃないか!」
古谷「前から乗ってみたかったんです!」
▲貸し出している制帽をかぶって、記念に1枚

しなの鉄道の観光列車「ろくもん」は、信州の山の幸を使った料理を浅間山を眺めながら楽しめるレストラン列車です。列車のデザインは、水戸岡鋭治さん。
水戸岡さんは九州新幹線や「ななつ星in九州」など、独特な色彩感覚で目を見張らせる、JR九州の列車のデザインで知られた方。今は各地のローカル鉄道にも、「水戸岡デザイン」と呼ばれている、水戸岡さんがデザインした観光列車が走っています。
「ろくもん」もその一つ。木の温もりが優しい、水戸岡さんらしいデザインの車両で、大人から子供まで楽しめる列車です。
▲1号車の車内にある子供用の遊具で遊ぶ!?ファミリー向けの設備です

古谷「あははは!こども用の木のプールですよ!」
土屋・吉永カメラマン「…。」
土屋「君は、本当に中身は小学生だね…。」
吉永カメラマン「先に座りましょう…。」
▲地元の産品を活用した料理や飲み物が味わえます

しなの鉄道のゆったりとした車窓を楽しめるように作られた座席は、どこに座っても抜群の眺め。
今回は飲み物のみの利用でしたが、次は食事も楽しみたいところです。「ろくもん」の食事は、信州の食材をふんだんに使い、地元の名店の料理人が料理したもの。長野県という土地に思いをはせながら舌鼓を打つことができます。
▲「ろくもん」車内でも買える地ビール「オラホ・アンバーエール(赤備えラベル)」(400円)と「軽井沢高原ビール ワイルドフォレスト」(400円)

長野の地ビールや地元産のフルーツを使ったジュースなどが買える車内販売カウンターもあり、軽井沢~長野間の旅を彩ります。
▲2号車には2人掛けのソファ席もあります。木材を多用した暖かみのある客室にいると、いろいろと写真を撮りたくなります!

古谷「うんまぁ~い!ビール最高…涙」
吉永カメラマン「あれだけ歩いたからね。おつかれさま。」
古谷「最高です!」
▲個室のような3号車の席

普通列車の旅も楽しいですが、観光列車は地元の食材などを車窓とともに楽しめるのが魅力です。「ろくもん」は旅の締めくくりに、ふさわしい車両でありました。

そして、しなの鉄道の車窓を眺めながら、次の旅への思いを馳せる古谷でした。

次回、古谷あつみの鉄道旅 Vol.10は、長野県の「長野電鉄」へ!
※記事内の価格表記は全て税込です

土屋武之(鉄道ライター)

鉄道を専門分野として執筆活動を行っている、フリーランスのライター・ジャーナリスト。硬派の鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」メイン記事を毎号担当する一方で、幅広い知識に基づく、初心者向けのわかりやすい解説記事にも定評がある。
2004年12月29日に広島電鉄の広島港駅で、日本の私鉄のすべてに乗車するという「全線完乗」を達成。2011年8月9日にはJR北海道の富良野駅にてJRも完乗し、日本の全鉄道路線に乗車したという記録を持つ、「鉄道旅行」の第一人者でもある。
著書は「鉄道のしくみ・基礎篇/新技術篇」(ネコ・パブリッシング)、「鉄道の未来予想図」(実業之日本社)、「きっぷのルール ハンドブック」(実業之日本社)、「鉄道員になるには」(ぺりかん社)など。

古谷あつみ(鉄道タレント・松竹芸能所属)

古谷あつみ(鉄道タレント・松竹芸能所属)

小学生の頃、社会見学で近くにある車両基地へ行き、特急電車の運転台に上げてもらったことがきっかけで、根っからの鉄道好きとなる。 学校卒業後は新幹線の車内販売員、JR西日本の駅員として働く。その経験から、きっぷのルールや窓口業務には精通している。 現在はタレント活動のほか、鉄道関係の専門学校や公立高校で講師をしている。2015年には、「東洋経済オンライン」でライター・デビューし、鉄道旅行雑誌「旅と鉄道」等で執筆活動中。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。

こちらもおすすめ

もっと見る
PAGE TOP