世界文化遺産登録の名勝・仙巌園で辿る、日本近代化の軌跡

2016.11.08 更新

新たに世界文化遺産の仲間入りを果たした「明治日本の産業革命遺産」。今回はその構成遺産の一つで、鹿児島きっての観光名所でもある「仙巌園(せんがんえん)」のガイドツアーに参加してきました。

▲仙巌園の入口

明治日本の産業革命遺産とは、幕末の1850年代から明治時代末期の1910年までに築かれた産業遺産群のことで、23の構成資産が九州・山口を中心に、全国8エリアに点在しています。

今回訪れた仙巌園や敷地内に隣接する「尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)」もその中の一つ。これらがある磯地区は、当時国内で最も近代的な設備と技術を備えた、日本を代表する一大工業地帯だったのです。

借景庭園と産業革命遺産を同時に楽しめる仙巌園

そんな貴重な産業革命遺産を辿るべく、早速仙巌園へ。入口で仙巌園と尚古集成館の共通入場券(大人1,000円、小中学生500円、ともに税込)を購入すれば、敷地内を自由に見て回ることができます。今回はガイドさんに案内していただきました。
▲有料ガイドは大人1人につき税込300円(入場料別途、所要時間30分、中学生以下無料、入口で当日受付)
▲御殿近くの庭園では桜島を一望できる

仙巌園は、島津家19代・光久によって築造された島津家の別邸です。お殿様が心身を癒す場として利用していただけあって、その眺望は息を呑む美しさ。東京ドームとほぼ同じ広さ(約1万5,000坪)を誇る広大な庭園は、桜島を築山(つきやま)に、錦江湾(きんこうわん)を池に見立てた借景庭園で、目の前に広がる雄大な桜島の姿はもちろんのこと、美しく手入れされた植木や四季折々の表情を見せる花々が私たちの目を楽しませてくれます。
▲石でつくられた反射炉の基礎部分跡。大砲のレプリカも設置されている

そんな仙巌園が日本近代化の中心地となったのは、島津家28代・斉彬(なりあきら)の時代。仙巌園の入口近くに遺されている「反射炉跡」は、斉彬が推し進めた近代化を象徴する遺産の一つです。

この反射炉の内部で熱を反射させることで高温にして鉄を溶かし、150ポンド(70kg)の砲弾を放つことができる鉄製の大砲を製造していたそうです。大砲の飛距離は約3km。オランダの書物を参考にしながら5年の歳月をかけて開発した反射炉は、当時の日本において革新的な設備でした。
入口から庭園に向かう小道には、片側に飲食店や土産店が立ち並び、反対側には石垣が連なっていますが、昔は飲食店と小道の部分は砂浜で、石垣が砂浜と仙巌園の境界線でした。現在、砂浜は埋め立てられ、飲食店の向こうにはJRの線路と国道が通っています。
▲「両棒餅(ぢゃんぼもち)」(醤油、味噌各3本セット 税込310円)

小道沿いにある茶屋では、磯地区の名物「両棒餅」を食べることができます。両棒餅とは、2本の竹串を刺した餅に甘い砂糖醤油をかけた鹿児島の郷土菓子。かつて薩摩藩士が刀を2本差しにしていたことから名づけられたそうです。仙巌園では、定番の醤油味のほか、味噌味も楽しむことができます。
▲明治時代に築かれた正門

小道を抜けると立派な正門が見えてきます。鹿児島の県木でもあるクスノキでつくられた正門は堂々たる佇まい。ここは、NHK大河ドラマ「篤姫」の劇中で、江戸の薩摩藩邸の場面を撮影する際に、ロケ地として使われたことでも有名なんですよ。
いよいよ、御殿のある敷地に入っていきます。「錫門(すずもん)」というこの赤い門は、江戸時代の正門で、お殿様が本邸である鶴丸城から仙巌園に移動する際は、正門の先の海岸に舟で乗りつけ、この門をくぐっていたのだとか。

かつて鹿児島は錫の生産地として有名でした。この門の瓦は、その名の通り錫でできています。当時、錫門をくぐることを許されていたのは藩主とお世継ぎだけだったため、奥方や使用人は別の門をくぐっていたそうですが、もちろん現在は誰でもくぐることができますよ。
錫門の内部には、美しい庭園と御殿があります。御殿の近くに佇む「屋久種子五葉松(やくたねごようまつ)」は、絶滅危惧種に指定されている貴重な松で、樹齢は350年以上と言われているそうです。
仙巌園は、江戸時代のままの姿を遺しているのも特徴の一つ。池に泳ぐ鯉の中に、錦鯉が見当たらないのも当時、錦鯉はいなかったからだそうです。現在まで約800年にわたって続く島津家の人々のご先祖様を敬う気持ちが庭園にも表れているようで、心を動かされます。
庭園にはいくつもの灯籠があります。こちらは最も大きい「獅子乗大石灯籠」。8畳相当の大きさを誇る巨大な笠石の上には、逆立ちした獅子が乗っていてなんともチャーミング。獅子の視線の先には桜島が見えます。この他にも、斉彬がガス灯の実験に使用していた「鶴灯籠」もあり、随所に日本近代化の軌跡をうかがうことができます。

お殿様が暮らした御殿でお茶をいただく「御殿ガイドツアー」

仙巌園には、御殿の内部を見ることのできる「御殿ガイドツアー」もあり、着物姿のガイドさんが、御殿内部を案内してくれます。(入場料別途、大人600円、小中学生300円、所要時間約20分、抹茶・菓子付)

御殿とは、お殿様が生活していたお屋敷のこと。最後の藩主29代・忠義が明治維新以後、本邸として暮らした場所でもあります。現在残されているのは25部屋あまりですが、最も多いときには70以上の部屋があり、女中や側近、大工や左官工など140名ほどの人々が、ここで暮らしていました。
こちらは、国賓級の客人をもてなす際に使用した「謁見之間(えっけんのま)」。仙巌園には、最後のロシア皇帝・ニコライ2世をはじめとする外国の要人も数多く訪れたため、洋食を出すことも多かったそうです。

また、シャンデリアはイギリス製の特注品で、ランプシェードに島津家の家紋が入っています。当時のシャンデリアが今でも使われていることにも驚きますが、さらにすごいのは、電気が普及していなかった明治時代に、敷地内の水力発電所で発電し、使用していたという事実。この御殿は、ハイテク技術を結集した最先端の設備がそろっていたのですね。
▲お茶菓子の「飛龍頭(ひりゅうず)」は数量限定で購入も可能(12個入、税込1,300円)

御殿をひと通り案内してもらった後、お抹茶とお茶菓子をいただきました。ほんのりと柚子が香るお饅頭のようなお菓子「飛龍頭」は、江戸時代中頃に島津家でお茶会の際にふるまわれていたお茶菓子で、ここでしか食べることはできません。「飛龍頭」というと、一般的には「がんもどき」のことですが、お茶菓子の「飛龍頭」もおいしいですよ。
お茶をいただく部屋は、当時は客人のお供の者などが待機する控室として使われていたそうですが、中庭を一望できて、雰囲気も抜群です。紅葉の時期にはもみじが色づき、一層美しい風景を楽しめるそうです。

「尚古集成館」には明治時代の最先端技術が結集

▲尚古集成館本館の入口

次に向かったのは、尚古集成館。ここは幕末に薩摩藩が建設した「旧集成館機械工場」を利用した博物館です。島津斉彬をはじめとする薩摩藩は欧米列強による植民地化を恐れ、強く豊かな国づくりを目指して、製鉄や造船、紡績、薩摩切子などのガラス、写真、電信、ガス灯などの実験や研究を行いました。
▲江戸時代末期の慶応元(1865)年建設。溶結凝灰岩が豊富な薩摩では、石造りの橋や建物が多く築かれた

斉彬の死後、そうした事業は縮小されましたが、29代・忠義は父・久光と共に集成館事業を再興し、機械工場を中心とする工業地帯を再建しました。かつて日本初の洋式紡績工場だった「鹿児島紡績所」もすぐ近くにあり、その跡地には現在、石碑が建てられています。
▲手前の歯車は紡績に使用した英国製の「フライホイール」。重量は8tにもなる

館内の半分は、工場で使われていた機械などが並び、あとの半分は島津家や薩摩の歴史を知ることのできる文化財が展示されています。尚古集成館では、基本的にガイドはつきませんが、パネルに詳しい説明が記載されていて、とてもわかりやすいです。

鎖国下の日本で、貿易によって新しいものを積極的に取り入れるだけでなく、輸出して外貨を得ることまで考えていた薩摩藩。その技術力や工業力はもちろんのこと、発想そのものが革新的。尚古集成館では、そんな薩摩藩の取り組みを体感できますよ。
▲毎年11月1日から23日前後まで「菊まつり」が開催される

仙巌園、尚古集成館を巡ると、近代日本の発展を支えた薩摩の歴史を肌で感じることができます。幕末ファンならずとも惹きつけられるのは、ここに島津家の壮大な夢が詰まっているからなのかもしれません。

仙巌園は、梅や桜など四季を通じて様々な花を鑑賞できるのも魅力。広大な敷地には、今回ご紹介したところ以外にも見所がたくさんあります。毎年11月に開催される「菊まつり」をはじめとして、数多くの催し物も開催されているので、そちらもぜひ楽しんでみてくださいね。
さわだ悠伊

さわだ悠伊

鹿児島市出身・在住のフリーライター。グルメ、旅、コラム等ジャンルや媒体を問わず活動中。鹿児島県内の離島取材も豊富。

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