ニッポンの洋館の最高峰「迎賓館赤坂離宮」にうっとり
JR四ツ谷駅を出て南に歩くと、壮麗な門と広い庭が見える。いわゆる赤坂の迎賓館である。外国の皇族や政治家を迎えるためのこの施設が、通年の一般公開を始めたことで大きな話題を呼んでいる。豪華絢爛たる本館及び主庭、前庭を見学してきた。

一般公開は10時からだが、9時半に正門の前に着くと、すでに「本館及び主庭」の見学に向かう人たちが足早に歩いている。入口は正門から右にまわって西門である。
予約をしなくても見学することはできるが、そのかわり行列に並ぶことを覚悟しなければならない(この日は10時前で100人ほどが並んでいた。10~20分ほど待ったのではなかろうか)。
事前に申し込みをして「参観証」を入手している人は優先的に入ることができる。料金は当日受付でも事前申し込みでも1,000円(税込)だ。
なお、迎賓館は賓客の接遇に使われるため、急遽接遇を行う場合は予定されていた
一般公開が中止になることがある。訪れる前には必ず公開状況を確認しよう。

見学できるのは「本館及び主庭」「前庭」「和風別館」の3つ
ちなみに一般公開は3つの範囲にわかれていて、「本館及び主庭」のほか、「前庭」「和風別館」を見ることができる。
「前庭」は事前の申し込みは不要で、正門から無料で入場可能。
「和風別館」は事前の申し込みが必要で、料金は1,500円(税込)。1日6回各20名と定員が少なく、先着順ですぐに締め切られてしまうので、はやめに申し込みをしたほうがいい。公開は約45分のガイドツアー形式で行なわれる。予約時間の前後に「本館及び主庭」も見学することができる。

「赤坂離宮」から「迎賓館」へ
戦後になって土地と建物は皇室から国に移管されて、国立国会図書館、東京オリンピック委員会、法務庁などさまざまな組織に使用される。
やがて日本が国際社会に復帰すると、外国からの賓客を迎える施設が求められるようになり、昭和42(1967)年に東宮御所を迎賓館にすることが閣議決定された。建築家・村野藤吾の統括のもと、さまざまな改修が行なわれたのち、昭和49(1974)年に迎賓館が完成した。和風別館はこのときに新設された。
正式名称が「迎賓館赤坂離宮」というのには、こういった経緯がある。現在は内閣府が管轄している。


日本の宮廷建築の第一人者、片山東熊が指揮
通常の参観ルートは本館、主庭、前庭の順だが、最初に前庭から本館の外観を見学した。カメラにおさまりきらないほどの左右の広がりにまず圧倒される。

装飾にも目を奪われる。
正面中央の上部には一対の武士像が鎮座している。
左は口をあけ、右は口を閉じている。これは「阿吽」の形をとっているという。

その左右には天球儀と霊鳥の装飾がある。片山はなんどか欧米に出張して建築について学んでいるが、この装飾はアメリカの建築家ブルース・プライスのアドバイスで作ったものといわれている。「鎖国がとけてからまだ間もない日本が世界にはばたいていけるように」という願いが込められているそうだ。

武士像の下の2階部分の壁にも注目だ。
左には楽器や楽譜、絵の具や絵筆など芸術の繁栄を願うレリーフが、右には農作物や農機具、工具など農工業の発展を願うレリーフが飾られている。

正面玄関の鉄の扉はフランスのシュワルツ・ミューラー社から購入したもの。扉には桐の葉の紋章がついている。菊紋はよく知られているが、桐紋は初耳だった。3枚の桐の葉の上に花が左から5枚、7枚、5枚とついている。これを「五七の桐」といい、皇室の象徴であり、日本政府の紋章にも使われているそうだ。

建物の左右(東西)の玄関には、鉄骨とガラスの庇がついている。これもブルース・プライスのアドバイスといわれ、流れるような曲線のアール・ヌーボー調になっている。ちなみに左(東)の玄関は皇太子専用で、右(西)の玄関は皇太子妃専用。正面玄関はお客さまを迎えるためのものである。

迎賓館赤坂離宮の建築様式は一般的にネオ・バロック様式といわれる。
ネオ・バロック様式は豪華壮麗で、権威を誇示することができるものとして19世紀後半のヨーロッパで流行していた。しかし和の意匠も多くほどこされ、そう単純ではない。
ベルサイユ宮殿を模したというのは間違いないが、近年ベルサイユ宮殿の関係者が来たときに「単なる真似ではないオリジナリティのあるものだ」と感心していたそうだ。

外壁は茨城県の加波山産と相模原産の花崗岩でおおわれている。石は青山墓地の南の練兵場に集められ、関東の石工150人、関西の石工150人が手彫りで加工した。当時は関西の石工のほうが技術的に上だったらしい。気をつかって人数を揃えたにもかかわらず、両者のケンカが絶えなかったというおもしろい話も伝わっている。
完成して100年目の2009年には明治以降の建築物としては初めて国宝に指定された。
意匠は多種多彩。ナポレオンからジーパン青年まで
最初は「彩鸞(さいらん)の間」。おもに晩餐会の控室として使用されてきた。
部屋の東西に鸞という鳥が翼を広げているのが部屋の名の由来だ。鸞は中国における想像の鳥で、最高位の鳳凰につぐ鳥とされる。


天井には楕円形のアーチの飾りがあり、テントを模している。宮殿にテントとは奇妙な感じがするが、これはナポレオンの軍事遠征をモチーフにしていて、ナポレオン治世下(19世紀初頭)に流行したアンピール様式の建築ではめずらしくないという。スフィンクスの装飾などもあり、ナポレオンのエジプト遠征を想起させる。

次に「花鳥の間」である。
「饗宴の間」とも呼ばれ、晩餐会の会場として使用されてきた。
欄間のタペストリーには狩猟の様子が描かれていて、天井の油絵と壁の七宝(しっぽう)には鳥と花が描かれている。つまり狩った獲物をここで食べましょう、というストーリーになっている。
キンキラで派手な「彩鸞の間」に比べて、「花鳥の間」は色合いがシックである。たしかにここなら落ち着いて食事ができそうだ(招かれることはなさそうだが……)。


そして大ホール(大広間)と「朝日の間」である。
お客として正面玄関から入った場合、階段を上がって最初に足を踏み入れるのが大ホールであり、そのまままっすぐ進むと「朝日の間」に入る。
さて、その「朝日の間」への入口の左側に、ジーパンをはいた青年が描かれた油絵がかかっていたので、わが目を疑った。題を「絵画」といい、洋画家の小磯良平が描いたものだ。もちろん昭和49年の改修時に飾られたもので、左側には「音楽」の絵もかかっている。こちらも同じような青年たちが楽器を練習している油絵だ。

「朝日の間」は、おもにサロン(客間、応接室)として使用されている。天井の油絵には、白馬の馬車に乗って朝日を浴びる女神が描かれている。



最後は「羽衣の間」。かつては「舞踏室」として使用され、北側の中2階にはオーケストラ・ボックスも設置されている。現在は雨天時の歓迎式典などのレセプションに用いられている。謡曲「羽衣」のストーリーをもとにフランスの画家が天井の油画を描いた。舞踏室だっただけに壁には楽器や楽譜のレリーフが多い。


前庭でコーヒーでも飲みながら余韻にひたりたい

私は職員の方に解説していただいたが、入口で音声ガイドを借りることができるし(200円・税込)、各部屋ではガイドスタッフが解説してくれる。ただ漠然と部屋を眺めるよりも、しっかり解説を聞いて、ディテールに目を止めることをおすすめしたい。とにかく明治以降の最高級が揃っているのだから。
別棟の事務室ではガイドブックが販売されているので、詳しく知りたい方は買って帰るとよいと思う。

本館の内部はそれなりに混んでいるので、ゆっくり見るというわけにはいかないが、前庭は広々としていてくつろいだ気分になれる。移動販売のお店が日替わりで出ていて、イスとテーブルも用意されているので、ドリンクでも買ってガイドブックをパラパラめくりながら、ゆっくりと余韻にひたってはいかがだろうか。

迎賓館赤坂離宮
東京都港区元赤坂2-1-1
[参観時間]10:00~17:00(最終入場は16:00)
[休館日]水曜※このほか接遇等による休館日あり。
[料金]本館及び主庭:大人1,000円、中高生500円、小学生以下無料、前庭:無料、和風別館:大人1,500円、中高生700円、小学生以下無料
※すべて税込
※休館日や参観方法などの詳細はホームページをご確認ください。
03-5728-7788

大塚真
編集者・ライター。出版社兼編集プロダクションの株式会社デコに所属。近年編集した本は、服部文祥著『アーバンサバイバル入門』、『加藤嶺夫写真全集 昭和の東京』シリーズの「4江東区」「5中央区」(ともにデコ)ほか。ライターとしては『BE-PAL』(小学館)などで執筆。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。
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