大河ドラマ「おんな城主」井伊直虎ゆかりの地・龍潭寺を巡る

2017.02.25 更新

NHK大河ドラマで注目されている井伊直虎。女城主として井伊家を切り盛りしながら、いいなずけの子供を徳川四天王の筆頭に育て上げたその生涯は、まさにドラマチック。そんな直虎の足跡を追って、井伊家の菩提寺となっている龍潭寺(りょうたんじ)や、NHK大河ドラマの放送に合わせて開設された「おんな城主 直虎 大河ドラマ館」へ行ってきました。直虎の人生を支えた龍潭寺は、歴史ファン、直虎ファン必見のスポットです。

1万坪を超える龍潭寺の境内は必見スポットがいっぱい

新東名高速道路・浜松いなさICから車で約10分。浜松市北区引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)地区は、北側に山並みが迫り、南側に田園が広がる風光明媚なエリアです。

同じエリアに後醍醐天皇の第四子が眠る「宗良(むねなが)親王墓」、その宗良を祀る「井伊谷宮」もあるので、あたりは深い歴史の気配に包まれています。
▲豊かな自然と人々の暮らしが共存する井伊谷地区

浜松いなさICから龍潭寺までの道のりは、ICに直結する国道257号線を約6km南下し、井伊谷の交差点を右折、最初の信号機がある神宮寺交差点を左折すれば500mほどで右側に見えてきます。ただ、随所に案内板が出ているので迷うことはないでしょう。
▲龍潭寺が面する県道320号線。大きな看板も出ています

寺伝によれば、龍潭寺は天平5(733)年、行基によって開創され、寛引7(1010)年に井伊家の元祖、共保が近くにある井戸で拾われて以来、井伊家の菩提寺として現在に至っています。

1万坪を超える境内には、寛永8(1631)年に建立された東門(旧鐘楼堂)、明暦2(1656)年に再建修理された大門(山門)、延宝4(1676)年に建てられた本堂など、江戸時代初期の建造物がいくつも建ち並んでいます。

境内に入るには龍潭寺大駐車場の左脇にある参道を利用します。山門に向かってまっすぐ伸びる参道を歩いて行くと、期待で胸が高鳴ります。
▲山門へ通じる参道。参拝コースはここからスタート
▲寛永8(1631)年に建立された東門(旧鐘楼堂)。龍潭寺の中では最古の建造物

山門をくぐり、石垣に囲まれた道を進むと、すぐに鐘楼堂や東門が見えてきます。それを左に見ながら、さらに直進すると拝観受付所のある庫裡(くり※お寺の台所にあたる場所)があります。そこで拝観料を支払い、まず内部の見学をしました。
▲拝観受付所のある庫裡

庫裡の入口で靴を脱ぎ、内部へ入ると建物を支える重厚な柱や梁が目に飛び込んで来ます。龍潭寺は禅宗系の寺院なので、建造物に華美な装飾などはありませんが、だからこそ質素な美しさが際立って見えます。
▲手前左側で靴を脱いで庫裡の中へ。右側にお守りなどを販売する売店がある
▲本堂にある「うぐいす張りの廊下」

売店を右に見ながら直進するとすぐに本堂へ入ります。ここにある廊下は「うぐいす張りの廊下」と呼ばれ、静かに歩くとキュッキュッという音を奏でます。これは忍びの侵入を知らせる工夫です。

本堂には享保14(1729)年に建立された木彫寄木造りの釈迦如来座像や、旭英(きょくえい)筆の「龍虎襖絵」などがあります。本堂の南側(襖絵の反対側)には浜名湖を表現したと言われる「補蛇落(ふだらく)の庭」が広がっています。
▲本堂にある「龍虎襖絵」。この裏側に龍が描かれている
▲浜名湖を表現しているという「補蛇落の庭」。本堂の南側にある

井伊直虎の生涯と井伊家の系譜

井伊直虎の生涯を龍潭寺の寺伝でおさらいしておきましょう。直虎は井伊家の第22代当主、井伊直盛の娘として天文5(1536)年頃に生まれています。直盛には男子がいなかったので、直虎は幼少期からいとこの井伊亀之丞を養子に迎えることを周囲から求められていました。つまり直虎と亀之丞はいいなずけです。
▲生涯独身を貫いた井伊直虎は虎松(後の直政)の養母

天文13(1544)年、亀之丞の父・直満が今川義元に殺されると、亀之丞は今川の追っ手から身を守るために信州へ身を隠します。直虎はしばらく亀之丞の帰還を待ちますが、やがて死んだものと思い込み、龍潭寺の南渓和尚のもとで出家。次郎法師と名乗って、亀之丞の冥福をとむらうことになりました。

ところが、天文24(1555)年に亀之丞が井伊谷に戻って来ます。すでに出家していた次郎法師は結婚できないため、亀之丞は直盛の養子になり、直親(なおちか)と名乗って別の女性と結婚します。その後、永禄3(1560)年に父・直盛が桶狭間の戦いで戦死。続いて直親も掛川城下で謀殺されます。この時点で井伊の名を継ぐ男子は直親の子、虎松(後の直政)だけになりました。

虎松はまだ幼かったので、龍潭寺の南渓和尚の計らいで、次郎法師は直虎と名乗り、虎松の後見人(養母)として女領主になります。つまり、直虎を名乗るようになったのは女領主になってからです。その背景には、男性の名を名乗ることで戦国時代を生き抜こうとした南渓和尚と直虎の戦略や覚悟が見えます。
▲井伊家の歴代当主の位牌がある御霊屋(正面)

拝観ルートの順路に従って本堂、稲荷堂、開山堂と進むと、やがて御霊屋(おたまや)に着きます。ここには井伊家の歴代当主の位牌が収められています。御霊屋の入口には家系図が掲げてあり、23代と24代の間には直虎の名もあります。ただし、直虎は正式な当主ではなく、井伊家の中では24代直政の後見人です。
▲御霊屋の内部。正面左から24代直政、22代直盛、初代共保の位牌

天正3(1575)年、直虎は直政(虎松)を当時の浜松城主だった徳川家康に仕えさせます。その出世を見届けた直虎は天正10(1582)年に没しますが、直政は小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いなどで目覚ましい活躍を遂げ、いつしか「徳川四天王」の筆頭として全国に知られる存在になりました。

徳川幕府の礎を築いた井伊家は、その後5人の大老を輩出し、日本の舵取り役を務めます。中でも幕末の日本を近代化へ導いた井伊直弼(なおすけ)は、日本人なら誰もが知っている名前でしょう。

国の名勝・龍潭寺庭園と直虎の墓所

▲龍潭寺庭園

拝観ルートに戻ります。順路に従って御霊屋から本堂へ戻ると、昭和11(1936)年に国の名勝となった龍潭寺庭園が見えてきます。この庭は江戸時代の作庭家として名高い小堀遠州の設計で、池泉鑑賞式庭園と呼ばれています。季節や時間帯によって多彩な表情を見せるので、何度訪れても新鮮な感動があります。
▲紅葉に染まる龍潭寺庭園

本堂の回廊には庭を鑑賞できる席が設けられていて、約5分の館内放送で池泉鑑賞式庭園の解説を聞くこともできます。この庭を見るだけでも龍潭寺を訪れる価値があるので、まずは腰をおろして、じっくり鑑賞しましょう。
▲庫裡の展示室にある直虎像(池谷雅之作)

本堂から庫裡に戻ると寺の収蔵品を収めた展示室に入ります。国指定重要文化財の寺宝なども公開されていますが、撮影は禁止されているのでルールはしっかり守りましょう(今回は特別な許可を得て撮影しています)。
▲井伊直弼が着座した書院

庫裡の展示室の奥には書院があり、井伊直弼が着座したと伝わる席が保存されています。龍潭寺の住職・武藤宗甫(そうほ)さんによれば「井伊家は清貧の教えを説く家柄。華美な表現を嫌う価値観は日本人の美意識の礎になっています」とのこと。この書院にもそんな趣があります。ちなみにここも撮影禁止です(今回は特別な許可を得て撮影しています)。
▲井伊直弼が着座した場所(書院)から庭と御霊屋を眺める

書院から西方に目をやると、庭園の向こうに御霊屋が見えます。これは「遙拝(ようはい)の庭」と呼ばれ、西方浄土の先祖に対する挨拶の意味を持つと言われています。おそらく井伊直弼もこれと同じ光景を見たはずです。
▲開山堂を背にした人気撮影スポット

内部を拝観したら外部の見学をしましょう。庫裡から外へ出て、東門まで戻ると脇に「井伊氏墓所」の方向を示した案内板があります。その順路に従っていくと「補蛇落の庭」を時計回りにまわり、開山堂の前へ出ます。元禄15(1702)年に建てられた開山堂は、遠州に禅宗を広めた黙宗瑞淵禅師(もくしゅうたんえんぜんじ)を祀っています。ここから眺める開山堂は、京都の銀閣寺を思わせる趣があるため、龍潭寺を訪れる人たちの人気撮影スポットになっています。
▲井伊氏墓所。左列の奥から2番目が直虎の墓石

開山堂を後にして順路に沿って歩いて行くと、すぐに井伊氏墓所に到着します。正面の大きな墓石は共保(右)と直盛(左)です。その両側に小さな墓石が並んでいて、直虎のものは左列の奥から2番目です。ちなみに同列の一番奥が直政、同列の奥から3番目が直親の墓石です。

井伊氏墓所は龍潭寺拝観のハイライトとも言える場所です。連日多くの人がこの前でお祈りを捧げ、地元の人たちも頻繁に墓所参りをしています。ただし、とても神聖な場所なので、お参りのルールやマナーはしっかり守りましょう。

直虎は晩年、城を出て、龍潭寺境内にある松岳院に入りました。その生涯において龍潭寺は大きな役割を果たし、直虎の人生を支えました。そんな直虎を偲ぶために、連日多くの歴史ファン、直虎ファンが龍潭寺を訪れています。

龍潭寺の参拝は、内部と外部を合わせて40分から1時間ほどを要します。急ぎ足で回れば30分程度で見ることもできますが、歴史の息づかいを感じるために、ゆっくり境内を散策することをおすすめします。龍潭寺はその期待に応えてくれる真の名刹です。
▲龍潭寺だけでしか手に入らない絵馬

龍潭寺の売店ではお守りなどを販売しています。おすすめは直虎のキャラクター「直虎ちゃん」がデザインされた絵馬500円(税込)。地元の天竜ヒノキを使用しています。井伊家の旗印と家紋も入っています。

直虎ゆかりの地を巡って「おんな城主 直虎 大河ドラマ館」へ

井伊直虎の菩提寺・龍潭寺へ出かけるなら、合わせて見ておきたい関連スポットがいくつもあります。まず龍潭寺のある井伊谷エリアにある直虎ゆかりの地を紹介します。
▲井伊公出生の井戸

龍潭寺から徒歩約5分のところに「井伊公出生の井戸」があります。寺伝によれば、寛引7(1010)年に共保がこの井戸で拾われたことが井伊家の発祥とされています。井戸正面には、井伊家の旗印「井桁」と家紋の「橘」が刻まれた石碑が建っています。場所は龍潭寺で聞けば教えてくれます。
▲自耕庵(現・妙運寺)

また、龍潭寺から徒歩約15分のところにある自耕庵は、龍潭寺と同様に直虎の菩提寺です。自耕庵は直虎の戒名「妙運院月泉祐圓禅定尼(みょううんいんげっせんゆうえんぜんじょうに)」にちなんで後に妙運寺と改められました。寺内には直虎と龍潭寺南渓和尚の位牌が祀られていますが、公開日は不定期です。
▲猬伊(いい)神社

猬伊神社は井戸や井戸水を祭祀対象とするため、井伊氏の発祥とともに氏神として崇められています。この神社は南北朝時代の戦乱期に龍潭寺から現在地へ移されたと伝わりますが、真偽は不明です。ただし、本殿背後にある薬師山に国内屈指の古代祭祀遺跡「天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡」があるので、古墳時代からこのエリアに人の営みがあったことは間違いありません。
▲浜松市地域遺産センター      

龍潭寺から徒歩約15分のところにある浜松市地域遺産センターでは、2017年1月15日から翌2018年1月14日まで「戦国の井伊谷」と題した展示を行っています。直虎が生きた戦国時代、井伊谷の暮らしが分かる遺跡や出土品を展示しています。

浜松市地域遺産センターは井伊谷城(城山公園)へ行く起点にもなります。車で移動している人は、ここの駐車場に車を停めて井伊谷城へ向かうと便利です。
▲井伊谷城へ向かう山道入口      

浜松市地域遺産センターから井伊谷城までは随所に案内板が出ています。移動距離は700mほどですが、かなり急な坂を登ることになるので体力的にはややハードです。ただ、滑りにくい路面がしっかり整備され、手すりもあるので時間をかければ問題はないでしょう。所要時間は15分~20分です。
▲井伊谷城(城山公園)から見た井伊谷      

井伊谷城(城山公園)には井伊谷地区を一望できる展望台があります。その背後には「御所の丸」跡を示す案内板も立っています。ここから見た井伊谷の景色は、直虎も間違いなく眺めていたはずです。そう思えば、急坂を登ってきた甲斐は十分にあります。
▲おんな城主 直虎 大河ドラマ館      

龍潭寺から車で約10分、天竜浜名湖鉄道の気賀駅前に「おんな城主 直虎 大河ドラマ館」があります。この施設はNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送に合わせて開設されたもので、2017年1月15日から翌2018年1月14日までの期間、直虎やドラマに関連した資料を展示しています。
▲ドラマで使用した衣装などを展示するコーナー

館内には井伊氏の居館をイメージしたコーナーや、ドラマの空間に入ることができる3D体験コーナーなど、趣向をこらした展示がいくつもあります。
▲橘の木や井戸がある「井伊谷 井戸端セット」

大河ドラマ館は居ながらにして、直虎の世界観に触れることのできるスポットです。龍潭寺や井伊谷周辺を散策した後はもちろん、散策前に訪れても十分に楽しめます。

大河ドラマ館内の「美術の世界」という展示コーナーでは、浜松でのロケ地や直虎ゆかりの地も紹介しています。それを見てから現地をまわるのも楽しいでしょう。

今回紹介した直虎の足跡を巡るルートはすべて電車、バス、タクシーなどの公共交通機関を利用してまわることができます。その場合はJR浜松駅が起点になるので、大河ドラマ館→龍潭寺→井伊谷周辺という流れでまわった方がスムーズです。ただし、路線バスの運行は1時間に1本から2本と限りがあるので、事前にスケジュールの調整をしておくのがおすすめです。
佐野正佳

佐野正佳

1960年、静岡市生まれ。25年間、東京で暮らした経験を持つため、静岡の魅力を外からの視線と合わせて語れることが強みです。音楽家、音楽ライター、フリー編集者を経て、現在は出版社「マイルスタッフ」に勤務。旺盛な好奇心と「のぞきや精神」で全国各地を東奔西走しています。

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