ウイスキーの世界にどっぷり浸る「山崎蒸溜所ツアー」

2017.03.30 更新

随分長いあいだウイスキーを飲み続けてきた58歳の京都の男が、関西のウイスキーの聖地とでもいうべきサントリー山崎蒸溜所の見学ツアーにネットで応募して、その日の出発から終わりまでの移ろいを紹介させていただきます。ゴキゲンな体験だったので皆さんにお伝えしたいツアーです。

サントリーの山崎蒸溜所に初めて行ったのは30年近く前だったかもしれない。
その時は雑誌社が企画したイベントにゲストで呼ばれてのことだったし、
山崎蒸溜所そのものの記憶がほとんどないので
今回、行こうと決めて行き方をネットで調べた時から旅は始まっていたのだろう。

金曜日の14時50分からを選んだ

俺は京都の中京区で暮らし、街場で仕事をしているので、予約をする瞬間に「遅いめの昼飯を食べてからちょっとブラブラして阪急の河原町駅から14時ごろの電車に乗って、蒸溜所見学ツアーが終われば、そのまま阪急で大阪に行って、堂島か道頓堀のバーに宵の口に着ける」と、イメージしていた。

そして当日がやってきた。

イメージ通りことは進み、阪急の大山崎駅では
「汽車から降りたら小さな駅で迎えてくれるママとパパー」と「思い出のグリーン・グラス」の一節を歌いながら駅の階段を下りて外へ出た。
駅から出て歩く方向は携帯の地図を見なくてもなんとなくわかった。
しばらく歩くこともゴキゲンの呼び水になっている。

出ました。サントリーさんの工場が現れました。
▲見て欲しいこの感じ。実にウイスキーくさい

昭和のサントリーのウイスキーくさい。
実は駅から降りてこれを見た瞬間がこの旅の芯だったのかもしれない。
それほど俺はこの感じがたまらなかった。

線路を渡り敷地内に入るといきなりポットスチルのオブジェがあった。
ベタな話だがこの独特のカタチを見ると、朝の連ドラ「マッサン」を思い出した。
そして見上げれば「山崎」の文字と
サントリーらしいアルファベットの並びと
山を背にしたレンガの色が俺を濡らせた。

受付で、ツアーの予約をしたものですと言うと
受付の方がとても親切で感じよく、予約を確認してくれて、入館証を渡してくれた。
子供の頃からサントリーに憧れていたので
なんだかジーンときた。
▲目の前に、天王山山系が迫る

受付を済ませてツアーの出発点まで一人で歩く。
どんな方たちがおられるんやろなあと思いながらも
帰りの俺の感じを想像していた。

旅の始まりこそ旅の醍醐味である

どこを見てもウイスキーな感じがする。
それはどこをどう切り取っても絵になるディテールがあるということだ。

ビジュアルや酒飲みの手練れとしてそう思う。

ウイスキーの魅力は、感じさせる五感すべてに訴えかけてくるところだ。
そのところでサントリーさんは偉大なのだ。
だんだんウイスキーが飲みたくなってきているのは俺だけか。

阪急に乗って新聞を読んでいても頭の片隅に
「酔ってしまうのかなあ、今日も」が浮かび
チョットブルーだった。

ブルーではないなあ、かなんなあって感じだ。
酒は好きだが、酔うのは好きでない。
何杯も飲んでしまうので必然的に酔うこともあるだけだ。

そんなことを思いながらドアを開けて
山崎ウイスキー館に入った。

ウイスキー館に入るといきなり樽の中の酒が見えるように作られた展示品があった。
熟成する年月とともに……

俺には書けないフレーズだ。

特に「天使の分け前」というフレーズは絶対に書けない。
なぜならそんなふうに想像できないからだ。
俺ならそうではなく、「減った分、うまなってる証拠」というようなベタな表現になる。
これを見て、この樽の中にボトル何本分が入ってんにゃろ。
俺が今まで飲んできたウイスキーの量とどっちが多いんやろ。
みたいなことばかり考えていた。
旅はまだ始まっていないのに。

「まるで遠足が始まる前にお勉強って感じやなあ」
意地悪ではないがそんな気になってきたのは
ツアーのスタートが待ち遠しかったからだ。
▲樽を構成する素材と樽造りの道具

樽の構造を勉強する。
漬物屋を営んでいるので樽には馴染み深い。
ほぼ毎日、杉樽にさわっている。
それにしても樽というものはよくできた構造だ。
▲熟成される前の酒やウイスキー造りに使われる様々な道具も展示されている
▲この木桶の発酵槽の金属製のタガというか部品のネジを見たとき、またグッときた

実によくできている。
実に美しい。

金具をよく見れば「日本木槽」という印があった。
ナットを締めていけばタガが締まっていくということだ。
杉樽の場合は竹のタガなのだが、
漬物屋の使い方は結構過酷で
よくタガが弾け飛ぶ。

応急処置的に太い番線(焼きなました鉄線)を樽に巻いて締めるが、これがなかなか難しい。
ついつい強く締め過ぎてしまい樽を壊してしまうこともある。

それにしても美しい部品だ。
これを見ただけでも来た甲斐があった。
ツアー参加費1,000円(税込)のうち、
この部品を見ただけで300円ぐらいの値打ちはある。

まだツアーはスタートしていない

山崎ウイスキー館の展示品を見ながらツアーの出発を待っている。
大きな樽状の部屋の中に入るといろんなウイスキーのボトルがずらっと並んでいた。

「ローヤル」「響」「山崎」……サントリーのウイスキーは当然だが、スコッチもたくさん並んでいた。
サントリーが扱っているのかもしれないなと思いながらも、自社のウイスキー以外が陳列されていることがなんだかうれしくなった。

なぜだろう。
それは現代の社会というか世間に
世知辛いものやことがあまりにも多いからだろう。

酒飲みはよくわかっているのだ。

それはなぜか。

酒飲みはセコいから、デリケートなことに反応できるのだ。

ちなみに俺は、「こすい(セコい、すこい、の一種だと思う)奴やのお」とこないだツレに言われ、あげくの果てには「コスイギン(旧ソビエト連邦の首相。1964~1980年在任)」と呼ばれた。
まさにウイスキーウイスキーウイスキーだ。
だんだん水割りが飲みたくなってきた。

「水割りは日本が生んだ最高の飲み方である」

という論文を以前書いたのでここで紹介しよう。
『世界に誇れる水割りという酒が、日本には在る。』

実は少し前からウイスキーのハイボールが勢いづいて俺は大変困っている。別に俺は水割りで生計を立てているわけではないが、日本の水割りの大変良き理解者だと自負している。
この世の中で最もいい加減な酒はウイスキーの水割りではないかと思っている。その理由を三つ話すことにしよう。

まずひとつ目はうまさを加減している飲み物だということ。この考え方は他の酒あるいはカクテルにはない。うま過ぎてもいいけど、おいしくなくても別にいいのが水割りなのである。真夜中にホテルの部屋で飲んで朝起きたら番茶みたいになっている「その後の水割り」は別にして、まあ目の前にありそして飲めればいいのが水割りなのである。

二つ目は長い時間飲めることである。夕方から深夜2時までギムレットを飲み続けることは不可能である。俺は2時間が限界だ。内臓がOKだったとしても頭が許さないし、財布が許すはずもない。しかし水割りなら夕方から深夜まで飲み続けられる。ボトルキープが出来るバーならとても安く飲めるしスナックなら何曲歌っても水割りが相手をしてくれる。

そして最も水割りの凄いところは細胞同士をつなげていくことだ。そのグラスに口をつけた瞬間にグラスと自分がつながり、置いている手と店のカウンターがつながり、隣で飲んでいる美人とも、マドラーを握るマスターともバックバーともつながっていく。水割りの正体は伝道師なのである。人と人、人と店、時間を麻痺させ中和させ、時空を超えた橋渡しもする。ウイスキーに水を入れただけの最高の酒がこの日本に在る。在ったのだ。あー、我々が愛する適当な水割りよ、ハイボールの波を押し返してくれ。さもないと缶の水割りが絶滅しそうなんだ。
(雑誌「dancyu」プレジデント社刊2013年10月号より)
▲「角瓶」(写真左)が登場して今年で80年

十代の頃からサントリーの広告に憧れていた。

もっと言うならカッコええを教えてくれてきたのは
広告だったような気がする。
特にテレビコマーシャルからカッコええを教わったと思う。
雑誌の広告や新聞広告からは伝わってこなかった。

昭和40年代、俺が十代の頃、テレビにはカッコええコマーシャルがたくさんあった。
キユーピー、資生堂、コカ・コーラ、トヨタ、日産、日本専売公社(現JT=日本たばこ産業)などいろいろあった。
なかでもサントリーは別格だった。

宣伝部がタバコの煙で渦巻いている時代だ。

サン・アド、ライトパブリシティ、K2などの広告制作会社や、電通、博報堂などの広告代理店の存在を知ったのも、サントリー(1962年までは寿屋)の宣伝部に開高健、山口瞳や柳原良平がいたことを知ったのもハタチ前だった。
ベタな表現だけれど広告が時代を引っ張っていた感じがあった。
そして「山崎」のこの広告が現れたのは
1990年代のはじめの頃だと思う。

広告が出てから20年以上経った今も
コピーがひとり歩きしているかのようで、
だれの脳裏にもこの言葉が生きている。

写真もデザインもクオリティーがとても高い。
ボトルの後ろにグラスがあることもトーンもよくできている。

なにも足さない。
なにも引かない。

の後に、
「モルトは眠っていたのではない。」
とくる。
やってくれるぜ。
日本は幸せだ。
▲昭和を彩った歴代の名酒たち

まだツアーは始まっていないけれど
俺のツアーはもはや中盤に差し掛かっている。
それくらいサントリーから与えられてきたものは大きい。

「トリス」が全盛の頃は知らないが、
「サントリーオールド」が全盛の頃はよく知っている。

どこのスナックに行っても
バックバーにこの“黒のダルマ”がびっしりと並んでいた。

そしていよいよ出発の時間になりました

ご年配の方もいらっしゃればお一人で来ている若い女性の方もいて
外国人のカップルや7~8人で来られているグループもいて
バラエティーがありウイスキー的だった。

ツアーを案内してくれるウイスキー館の方の笑顔が
これからのツアーを期待させてくれた。
▲なんだかとてもワクワクしました。それは俺だけではないだろう

まずはウイスキーが造られる水の話と麦の話。

大麦を発芽・乾燥させて麦芽にして
仕込み水とともに仕込槽へ、と聞きました。

勉強の始まりです。

それにしても見たこともないような形で
なんだかワクワクしました。
曲線と直線が美しい金属の槽。
木桶の発酵槽。
木材はやっぱり安心します。

それは我々が生き物だからです。

私は、生き物流の伝道者としてこれから頑張る所存です。
▲いかにも酒を造る感じがすることを五感で受け止める

京都の錦市場で漬物店を営んでいるので
この発酵という文字にはとても反応する。

漬物も発酵食品であり、
変化が醍醐味の食品でもある。

時間とともに変化する古漬のことを
以前書いた。
『古漬は曲がるが浅漬は折れる。』

俺が個人的に一番好きな漬物はよく発酵したヌカ床で加減よく酸っぱく漬かった胡瓜や茄子や大根の古漬。特に色がくすんだ胡瓜の古漬。薄く切って土生姜や醤油と和えて食べる。たまらない。錦市場の店先にいつもヌカ樽の上に古漬をたくさん積み上げて販売させてもらっている。古漬だけを買いに来られる地元のお客様も多い。「おたくとこの古漬、昔の味やし好きやねん」とお客様にいわれると仕事仲間とニコニコしてしまう。話がそれた。

古漬は時間によって作られる。野菜本体が塩というものやヌカ床の中の様々なものと出会い道中し、過ごす時間によって出来上がってゆく。浅漬の味は変わりやすいが古漬になってしまえば酸っぱいだけで味はあまり変わらない。

そして浅漬は折れるが古漬は曲がる。古漬はお年寄りに人気がある。古漬はお年寄りにやさしい。
(バッキー井上「京都 店 特撰 たとえあなたが行かなくとも店の明かりは灯ってる。」140B刊より)
▲色々見とれているとすぐに最後尾になってしまう

ツアーは始まり、奥へ奥へと進んでいく

本当はきちんとノートをとりたいところだけど
俺の中のアホな大人感がそれをストップさせた。
出ました。蒸溜。
そしてポットスチル。

朝の連ドラの「マッサン」では佐川満男がこのポットスチルを作る製作所の社長役だった。
ドラマの中でも「山崎」は出て来ていたし、
堤真一が演じていた鴨居欣次郎(サントリーの創業者・鳥井信治郎がモデル)も賑やかで楽しかった。

そんなことらが頭の中を飛び交いながらツアーはどんどん進んでいく。

蒸溜されて出てくるのが
アルコール濃度の高い無色透明のモルトウイスキー。

ツアーが始まってまだ第三か第四地点あたりだが
だんだん飲みたくなってくる。

俺は思わず「二百三高地」を思い出していた。

なぜそれを思い出したのかは俺にもわからない。
そんなもんだと思う。
▲酒飲みは世間の科学者でもあるのだ

ウイスキーをたくさん飲んできたけれど
どのウイスキーがどうこうとこだわったことがない。

どちらかというと、その酒よりも
いつ、どこで、誰と、の方が重要だった。

そんな俺だけど適当においしいウイスキーが
なければならなかった。

蒸溜釜の素敵な意匠からは縁遠い酒飲みが
ツアーに紛れ込んだ状況だったかもしれない。
まるでスパイである。
Aging
エージングってなんだかきついなあ。

貯蔵と表記された下にAgingとあった。
蒸溜した酒を熟成させるという、ウイスキーを左右するというかそのものの工程だけど、エージングというのはどうなんだろうなあと思った。
やさしく案内していただいているのに、すみませんサントリーさん。
コンクリートの貯蔵庫に
びっしりと佇んでいる気が遠くなるほどの酒樽。

このひとつひとつの樽の中に
ウイスキーが静かに寝かされていると思うと
樽もその中のウイスキーも
いい奴なんだなあと
なぜか思った。

樽には年号が刻印されている。
多分、並びに法則はあるのだと思うが、
チラチラそれを見ていても法則は発見できなかった。
なんだか年数の順番に並んでいないような気がした。

ツアーで流れていなかったら、
俺はこの貯蔵庫の中を歩き回ってどういう順序、というか
並べ方の法則がわかるまで貯蔵庫の中にいたかった。

案内のお姉さんにそれを聞くのは
つまらないとも思った。

少しずつ、酒が飲みたくなってきていた。
▲これを見たときに何人で何年飲めるんだろうと思った

樽にも色々かたちや大きさがある。

なんだかかわいい奴だ。
そして貯蔵庫を抜けると
池が出てきた。

薄暗い貯蔵庫から外に出ると眩しかった。
もっと違う感じを思っていたので少し意外だった。
さすがサントリーさん。
センスがええなとまた思った。
次に、神社が出てきた。
この時はツアーを案内してくれていた方と
だいぶ遠くを歩いていたというか
最後尾について行っている感じだったので
説明はほとんど聞けていない状態だった。

なので神社の名前や由来なども今は知らない。
それはそれでいいと思うがやっぱりちょっとだけご紹介しておく。

この椎尾(しいお)神社は奈良時代からある古い神社で、鳥井信治郎さんと村の人たちで荒れ果てていた神社を復興させたり、
鳥居の形が「サントリーローヤル12年」のボトルの栓のモチーフだったり……
たくさんの逸話がある神社です。
工場から出発地点の山崎ウイスキー館に戻る途中に銅像があった。

思わず
「やってみなはれ、みとくんなはれ」やん。と呟いた。

銅像はおそらく鳥井信治郎さん(左)と佐治敬三さんだ。
近くまで行って見ていないので確認はしていないが
銅像の面影からしてそうだと思った。
「やってみなはれ、みとくんなはれ」というのは
山口瞳と開高健の二人が書いた、サントリーの社史で、文庫にもなって発売されている。
表紙の絵はもちろん柳原良平。

実に酒をかわいらしいものに見えさせる
楽しい社史だ。

ウイスキー館に戻るといい匂いがした

いよいよ試飲をさせてもらえるのかと思うと
給食の時間がやってきた時のことを思い出した。

子供の頃の給食のことの記憶はほとんどないが
給食当番や好きでないおかずのことはかすかに覚えている。
本当はもっと覚えておいていたかった。

6人がけや8人がけの大きなテーブルがいくつもある会場に案内された。

やっと飲める。飲ませてもらえる。

横着なようだけど、そう思った。

ひとりひとり案内された席に着くと
試飲セットがあった。
話より先にちょっと飲みたいなあと思ったが
じっと勉強を楽しもうと
心を入れ替えた。
▲でたなテイスティング。俺は苦手だぜ

お、チョコレートやん。

これを発見した時、ほんとに声が出た。
俺はウイスキーを飲む時のチョコレートが好きで
特に苦い目のチョコレートは好物なので
山崎蒸溜所のラベルで巻かれたそれを見た時、期待した。
ウイスキーに合うものが用意されているはずだからだ。
ハイボールの作り方の授業が始まった。

水割りが好きな俺だが、今日はハイボールを飲みたくなった。
それは愛とともに教えてくれる人がいるからだ。

ずっと言われる通りにして飲んだ。

グラスに氷を多い目に入れる。
まずウイスキーを入れてよくかき混ぜる。
氷が少し減るので氷を足す。
ソーダを足す。
縦に一回だけ混ぜる。

やりました。やりました。
忠実にやりました。
実に美味しかった。

これからはハイボール党になろうかと思った。
見てください、このハイボール。
たまらんうまそうです。
ほんでうまかったんです。
ソーダもうまかった。
氷もうまかった。
会場もいい空気だった。
いやあ、溶けてきました。
ほんの少ししか飲んでいないけど
溶けるようでした。

同じテーブルになった方々も
お話はほとんどしていないけれど
とても感じがいい方ばかりでした。
▲ほんとに丁寧に笑顔で話してくれはりました

そのうちに俺はそわそわしてきました。

ここを出たら堂島に向かうか道頓堀に向かうかと思い、
誰にもせかされることも、待たれることもないのに
なぜか早よいかな、早よいかな、と思い始めていた。
▲もうちょっと飲みたかったなと思いながら振り向きました

そして撤収です。
「サントリーさんありがとう」と心から言いました。

そして少し早歩きで阪急の駅に行って、
帰る方向の逆を向いて電車に乗りました。

その夜、これまたきつい旅になりました。

次も旅をさせてください。
バッキー井上

バッキー井上

京都は錦小路の西魚屋町で生まれ、以降50数年間京都以外で一度も暮らしたことがない典型的な盆地人。錦市場の漬物店「錦・高倉屋」の店主。そのかたわら酒場ライターとして雑誌などに街や酒場について多く書いている。著書に『京都 店特撰 たとえあなたが行かなくとも店の明かりは灯ってる。』(140B)、『行きがかりじょう、俺はポンになった。』(百練文庫)、『人生、行きがかりじょう』(ミシマ社)など。Meets Regional、dancyu、毎日新聞(大阪本社夕刊)にて連載を執筆。

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