180年前から華やかな港町だった大阪・天保山を歩く

2015.10.31

大阪の西端、天保山に世界最大級の水族館「海遊館」が生まれて今年で25年になるが、今や大阪市民ですら海遊館が出来る前の街を知っている者は少ない。元々は180年前、山の誕生と共に生まれた港町だ。その空気を味わいに、まずは船で天保山を訪ねた。

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乗船券無料の「天保山上陸作戦」

安治川(あじがわ)の河口、大阪で唯一10万トンクラスの豪華客船が停泊する港町・天保山は大阪市営地下鉄中央線「大阪港駅」から歩いて数分。大阪駅からも市バスが頻繁に出ている。しかし、「港町には船で」と、ちょっとひねったアクセスで向かうことにします。

JR西九条駅でユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下USJ)へ行くハイテンションの行楽客と一緒にJR桜島線(ゆめ咲線と言うのだそうな)に乗るが、こちらはユニバーサルシティを素通りし、終点の桜島(大阪市此花区)まで。
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▲こんな道標もありました

「ウォーターフロント」などという言葉がおよそ似つかわしくない、昭和な海際の町を10分ほど歩くと、ローカル線駅舎の如き天保山渡船場に到着。
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▲奥は阪神高速湾岸線の天保山大橋

大阪市のHPによると「天保山の渡し」は明治38(1905)年に開設され、平成20年度でも1日平均約900人が利用している。きっぷ売り場も券売機もないのは、無料だから。橋(道路)の代わりということで、大阪市交通局ではなく建設局が管理している。
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写真のように「本数は少ないし、強風の際は出ないし…」ということで地元の人には何かと不便もあろうが、よそ者は「渡し船」と聞くとついわくわくしてしまう。
船が到着してもいない段階から子どもは大はしゃぎでお母さんに「静かにしてなさい、ホンマに!」と怒られる有り様。気持ちはよく分かります。

やっと船が近づいてきました。意外と速いんですこれが。
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▲正面は大観覧車と天保山旅客ターミナル

対岸の天保山(港区)にはUSJで働く人たちの宿舎があるようで、渡し船の昭和テイストとはぜんぜん違う大柄でフォトジェニックな外国人が次々と下船。今からご出勤なのでしょう。子どもたちはさらに大はしゃぎで、お母さん「はよ乗んなさい!」と一喝。うーむ、母は強い。
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全員乗りこんだらすぐに出る。ホンマに速い。先ほどの桟橋がもう遠くに下がってしまった。
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対岸の海遊館や大阪南港にある超高層ビルの大阪府咲洲(さきしま)庁舎(旧WTC)などもよく見える。もし豪華客船が停まっていたら、対岸はその風景一色となります。
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天保山と対岸のユニバーサルシティポートを結ぶ客船「キャプテンライン」としばし並走。すこぶる爽快。写真左手はUSJオフィシャルホテル群です。
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そしてあっという間の3分間の船旅が終わり、天保山上陸作戦は無事終了。
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▲遠くからでも、なんとなく船内が華やいでいるのが分かる

あっけない頂上と航海安全の神さま

名前の由来となった「天保山」に登頂せんと向かう。すぐに広場に出たが、そこから少し上にある、天保山公園の小高い丘(写真左手)が天保山かなぁ…と思っていた…。
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すると回れ右をしたらこんな立て札が(ん)!?
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そしてその左側にはこんなプレートが!
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どうやらここが天保山山頂らしい。確かにいっちょ前に二等三角点(富士山剣ヶ峰にもお江戸の高尾山山頂にもある)が埋設されている。
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それはいいが、「名所」たる山がちゃんとあるのに、天保山公園内にそれよりも高い丘があったら目立ちませんやんか。

「天保山」については前述の大阪市HPによると
「安治川の開削によって上流の流砂が堆積し諸国廻船の航行に支障が生ずるようになったので、幕府により、天保2(1831)年から2年の歳月と延べ10万1,200余人を動員して『御救大浚(おすくいおおざらえ)』と呼ばれる大工事が行われた。このときの捨土を盛り上げたものが出船、入船の目標となった」
という。
辛い仕事の川浚えも、「やるなら楽しく」と町ごとにお揃いの衣装をつくったり、太鼓やお囃子で盛り上げたり、お祭り気分で作業が行われたそうな(大阪人の「うれしがり」は昔から変わらない)。

同じHPには『浪花百景』の「天保山」が出ていて、ここが「目印山」と言われるほどの標高(当初は20m)だったことが分かる。
ちなみに、司馬遼太郎の国民的ベストセラー『竜馬がゆく』(文春文庫)第6巻には、西郷隆盛の勧めで大坂から薩摩の塩浸(しおひたし)温泉に新婚旅行に出かける坂本龍馬とおりょうが天保山沖から船に乗り、「爛漫の春じゃな」と桜を愛でるくだりもある。
それで大阪市港区を始め地元では「日本で最初の新婚旅行カップルが旅立った場所」ということでこの天保山をもっと売りだそうとしている。うむ。

天保山は明治期に砲台建設のため土砂が採取され一気に標高7m台まで落ち、さらには地盤沈下で現在の4.53mにまで低下している。しかし地元の愛好家の皆さんによって登頂証明書も発行されるほどに熱烈に愛されている山なので、とくにカップルの皆さん、今後は天保山に登ってください。
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▲龍馬にあやかって(?)天保山公園から下りてくる外国人カップル

さて、そこから南に10分ほど歩いた場所に、港住吉神社がある。
天保山が誕生して10年ほど後の天保13(1842)年に、本家の住吉大社(大阪市住吉区)から四座の御分霊が勧請(かんじょう=神仏の分霊を請じ迎えること)された。以来、ここから航海に出るひとびとや海運業者はここでお参りをするのが常である。
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本家の住吉大社は太古の昔は波打ち際にあったが、今や海岸線は1㎞以上遠くに離れている。それを考えると、この港住吉神社は海岸線まで徒歩数分の距離にあり、本家には失礼だがより海の神さまらしい。本日の安全を祈願して参拝。
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本殿の横手では、毎年11月上旬に開催される天保山まつり(2015年は11月1日)に曳行(えいこう)される菱垣廻船(ひがきかいせん)の復元作業が大詰めに入っていたので、ちょっと覗かせてもらいました。
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大坂と江戸の間をこの菱垣廻船が物資を満載して行き来していた頃をしのんで建造されたもので、これはちょうど1/3サイズ。写真で明らかなように、装飾として木製の菱組格子が両舷にあしらわれている。商都を象徴する廻船であったためか、細部まで洒落てますな。

帰りに、狛犬にご挨拶したら本殿に向かって左手のこの人は愛想なしだった…が、
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右手のこの人はエラい愛想がよくてびっくり。
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バタ臭い街の60年洋食店

そして街なかの洋食店「BEE HIVE(ビーハイブ)」に入る。
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天保山は明治以降の近代化により大阪の地下水が汲み上げられたことで深刻な地盤沈下が進行していたが、加えて昭和20(1945)年3月の大阪大空襲で壊滅的な打撃を受けた。復興中に枕崎台風(1945年)やジェーン台風(1950年)の被害に遭い、地域に盛土(もりど)工事を行って「かさ上げ」することで水害をはねのけてきた。周辺のお家や事務所の入り口が50~70センチほど上がっているのはそのためです。
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洋食店「ビーハイブ」はそのような復興のさ中、昭和26(1951)年に開業した。時代は朝鮮戦争の真っ最中で、アメリカ海軍の関係者が頻繁に立ち寄ったらしい。ハンバーグ(ライス別)にはしっかりと味が付いているが、ご覧のとおりタルタルソースが横にある。
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▲オリジナルのハンバーグ1,380円(税込)

「タルタルソースはサラダのために付けていたのですが、アメリカのお客さんはハンバーグにもつけていたんですね。へぇ~面白いなあって。サンドイッチが生まれたのもお客さんのリクエストからです」と創業者の孫にあたる現店主の重松史朗さんは語る。

ハンバーグはそのままでも十分美味しい。しかしタルタルソースの酸味が入ると、また違った味になる。言うなればバタ臭い味ということか。個室もあるゆったりした店内で、昼間からハンバーグとビールは楽しいだろうな。
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白身魚のフライにも目移りしたので、ミニサイズのハンバーグが付いたランチもリクエスト。タルタルソースはやっぱりこっちが合う。
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▲こちらは1,360円(税込)でライス付き

重松さん(右端)は天保山全体に人が集まるように、花火大会や盆踊りなど地域の活動に率先して取り組んでいて、地元住民や港区の関係者からの信頼も非常に厚い。
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▲見事なオープンキッチンを前に料理人の方々と

ちなみに史朗さんの姉、重松みかさんはニューヨーク在住のオペラ歌手。港町から世界へ旅立っていったのだなぁ…と感慨も深く、お店を後にした。

世界の人と一緒にぐるぐる、スーパー・アクアリウム

海遊館は、逆に世界各国からここを目指してやって来た人でごった返していた。
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最上階から環太平洋の海を凝縮した水槽を眺めながら螺旋状に下りるという方式は開館から25年経ったいま体験しても画期的で、これまでの水族館の概念を大きく変えた。
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▲入場券売り場でサメの形をしたお札置き。ナイスコピー

入場料は大人2,300円(税込)。開業当時に比べて400円ほど値上がりしたが、ここのファンは涼しい顔でひと言おっしゃるのみ。
「ラッコはね、体重30㎏でも1日7㎏以上も食べるのよ。そんな生き物のエサ代を考えたら2,300円でも安いじゃない」ごもっとも。
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▲よう食べてはりましたわホンマに

館内は、ストロボ撮影がダメな個所もありますが、基本的にはお構いなし。みんなデジカメやスマホでバシバシ撮っておられます。
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▲目の前にピラルクーの巨体が!

ところどころにベンチや和める場所がたくさんあるし、何よりもゆる~く下っているので足の負担も大したことない。それでも軽く1km近く歩いてます。
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▲大阪の水族館だからか「兄ちゃん構(かも)うて」と魚くん

今回は初めて音声ガイド(500円・税込)に頼ったが、これがまた「へぇ~」の連続でためになりました(サメは魚類で唯一、交尾をするとか)。周りの歓声が相当なのでボリュームをMAXにして聴かねばならないけど、子どもの頃に知らなかったことがいろいろ分かって、お薦めです。
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▲ジンベエザメ君はやはりスーパースター

「新しいホームタウン」天保山に住むクマさん

けっこう歩いて小腹が空いたので、天保山交差点の近くにある「KUMA KAFE」(CAFEではなくKAFEです)に寄る。
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店主のクマさんことシドニー生まれのポール・ウィットン(Paul Whitton)さんはスタントパフォーマーとして30年のキャリアを持つプロフェッショナル。
クルーズ船やテーマパークなどで働いていたが、USJからもお声がかかり、2003年からは誰もが知ってる役(ここから先は言えまへん)でゲストを喜ばせたり驚かせたりしていた。
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▲写真や絵はすべてポールさんの作品

「そうこうしていると日本の友だちが多くなってね、日本に住むことにしたんだよ。アートカフェをつくるのが夢だったから」
写真や絵画のプロでもあり(店の2階には撮影スタジオがある)、みんなが集まると自ら厨房に立ち、「ポールの料理は美味い」と仲間たちを喜ばせていた。だから「カフェ」にしては料理メニューがピッツァ、ミートパイ、チリコンカーン、パスタ、フリッタータ、サラダ、ホットドッグ、そしてハンバーガーと実に多彩で、すべてポールさんのレシピによるもの。
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▲パートナーである末弘順子さんと一緒に

USJで働いてるっぽい外国人アクターや内外の観光客に交じっていかにも近所のオジさんやオバさんが店に出入りする。みなのんびりと、楽しそうに過ごしている。まるでこの店が港そのものやな…という感じである。
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▲港区だけの情報誌(無料)も置いてある

ホットドッグ(オニオンとピクルスのトッピングで700円・税込)は「小腹ケア」にしては結構なボリュームだが、彼の味付けは実に美味い。
オーストラリア産の、ええ意味で水のようなビール(VB・600円・税込)で流し込むと港町気分も手伝ってゴキゲンになったが、お店も混んできたのでクマさんたちにお別れしてまた街に出る。
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▲パンが柔らかいのはオーストラリア仕様でしょう

ダイヤモンドの場所で夕焼けの海を

腹ごなしに海岸までぷらぷら歩く。
海遊館以降、天保山は「新名所」ばかりが目立つが、最近は昭和の近代建築にも脚光が当たり、新たな店舗やカフェ、レストランとして再生されているのもここ数年の傾向だ。

商船三井築港ビル(1933年築)には2014年秋に「築港麺工房」といううどん屋さん(!)が入って人気。この建物も戦後「盛土」したのが分かる。
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▲色違いの部分は後に増築したところ

その西側にある天満屋ビル(1935年築)には「ハaハaハa」というハヤシライスの店が10年以上前から入っているが、こちらも人気である。
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▲この1階部分はかつての2階だった

そこから西に5分ほど歩いた「ダイヤモンドポイント」は大阪屈指の夕日の名所で、ピークは冬至の前後10日間ぐらい。正面、赤白両灯台の間に真っ赤な日が沈むからである。
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▲雲が出てもこのパノラマ!

締めくくりに雄大な空を見ることができました。今度は12月に来るとするか……いやいや、町の人たちに曳行される菱垣廻船を見ないといけないので、まずは11月1日の天保山まつりに再訪することにしよう。
中島淳

中島淳

編集者。京阪神エルマガジン社時代にSAVVYとMeets Regionalの副編集長、Lmagazine編集長を歴任、2006年に独立して編集出版集団140Bを立ち上げ、代表取締役に。海遊館完成前の1988年春、クイーン・エリザベス2(70,327t)の天保山寄港時の騒然とした、でも楽しげな街の人たちの表情が忘れられない。

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