黒田官兵衛が築城した「中津城」と福澤諭吉ゆかりの城下町めぐり

2018.11.02 更新

日本各地に点在する城下町の数々。大分県の人気温泉地・別府温泉から車で約60分の中津市もその1つ。シンボルである「中津城」や『学問のすゝめ』の著者・福澤諭吉ゆかりの地をはじめ“歴女萌え”なスポットはもちろん、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で主人公・黒田官兵衛を演じた人気俳優も訪れた老舗菓子店など、城下町・中津の魅力と楽しみ方をご紹介します。

中津の歴史と街並みが丸わかり!黒田官兵衛が築き、家康の末裔が引き継いだ「中津城」

まずは中津のシンボル的存在の中津城へ。今回は、中津耶馬渓観光協会にお願いをして、地元のボランティアガイドさんに中津城と城下町を案内していただきました。ガイド料は2時間2,000円(税込)~となりますが、地元の方ならではの解説があるとないとでは、楽しみ方や奥深さも全然違いますからね。
「中津耶馬渓観光協会に申し込んでいただければ、お1人様からでもご案内しますよ」と事務局長の栁井信雄さん。長い海外生活でポルトガル語、英語もご堪能だとか。

「中津城を築城したのは、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛(以下、官兵衛)です。豊臣秀吉の家来であった官兵衛は、九州各地の大名を監視するという命もあり、天正15(1587)年に豊前国(ぶぜんのくに)の中の6郡を与えられました。その翌年の天正16(1588)年、領地の中心にあり、豊前海に流れ込む山国川の河口という天然の堀を活かした城の造営を開始しました」(栁井さん)
まずは大手門をくぐり、五重の天守閣の右手前にある「黒田官兵衛資料館」へ。
▲こちらが軍師官兵衛様。兵庫出身で中津のある豊前国に入ったのは40歳の頃とか
館内には黒田家と敵対した地元豪族・宇都宮鎮房(しげふさ、別称・城井鎮房)との関わりや九州各地での戦の様子など、歴史資料をパネルで紹介。また、中津ならではのお土産も販売しています。

「官兵衛は中津城を手掛けるものの、完成させることなく慶長5(1600)年、黒田家は筑前、つまり福岡に転封(てんぽう)、国替えになります。その後、中津城は細川家、小笠原家と新たな城主を迎えながら、その都度、築城、修復を繰り返しながら形を整え、その後、徳川家とゆかりの深い奥平家が維新までの約150年、中津藩主とこの地を納めました」(栁井さん)
ちなみに代々の城主による築城、修復の姿はお城の石垣に表れています。
▲その一例がこちら。本丸北側にあるy状の目地の右側、四角に加工された石が黒田官兵衛時代のもの。左側の自然石が、後から入場した細川時代のもの

実は官兵衛、築城の際、川上にあった7世紀の遺跡「唐原山城」の石垣を利用したようです。できるだけ早く、無駄なく築く。軍師官兵衛ならではの知略がここにも表れていますね。
続いて城内にある五重の天守閣へ。ここは中津藩奥平家の歴史資料館になっています。
官兵衛時代から江戸期を通じ、中津城にはこのような天守閣はなかったとのことですが、中津市の郷土の誇り、観光のシンボルとして昭和39(1964)年、旧藩主の奥平家が中心となって、中津市民からの寄付金も併せ、建てられたそうです。
館内に入ると奥平家の歴史を物語る品々や資料がズラリ。1階は歴代藩主の甲冑(かっちゅう※鎧や兜からなる武具)などが並んでいます。
こちらは奥平家15代、中津藩ラスト藩主の奥平昌邁(まさゆき)公のお写真。維新後は元中津藩士の福澤諭吉が創立した慶応義塾にも入学した、まさに元祖慶応ボーイ。

栁井さん曰く、「もともと奥平家は三河の小豪族でした。しかし、2代目定昌(のちの信昌)が長篠の戦いで織田・徳川連合軍の勝利へと導く大活躍をします。さらに徳川家康の娘、亀姫をめとり、娘婿として功を挙げながら、徳川幕府創設にも貢献して、ついに徳川御三家に続く “徳川御連枝(ごれんし)”として、確固たる地位を得ます」。
その名門の家宝が「白鳥鞘」の鑓(やり)。もともと信長から家康へと送られた徳川家の家宝でしたが、元和2(1616)年、家康の病気見舞いに行った家康のひ孫・奥平忠正公がご所望され、拝領したとのこと。「じいじ、これちょうだい」と言ったひ孫の可愛さに、家康が思わずあげてしまった…?
しかもこの槍、穂先には源氏の弓の名手、源為朝が使用したといわれる矢じりが。実に約850年もの歴史を持つ、年代物!

天守閣の2階には、さらに中津藩奥平家関連の品々が多数展示されています。
▲奥平家をメジャーにした、長篠の合戦を表した掛け軸
慶応、つまり幕末に近い時期での諸藩の石高一覧もありました。石高=財を表したものでしょうか?270もの大名、中津藩は10万石で40位。1位はやはり加賀百万石の加賀藩、2位は意外にも薩摩藩。さて、あなたの故郷は何石?
3階は奥平家と蘭学をはじめとする、西洋文化・科学についてのパネル資料を展示。
中津藩の藩医・前野良沢(まえのりょうたく)と若狭小浜藩の蘭学医・杉田玄白が翻訳した、日本初の西洋医学『解体新書』。その作成経緯から出版に至るまでを細かく紹介しています。さらに地元の小学生たちによる絵が飾られた4階を抜け、5階に上がると…。
ご覧のような気持ちのいい展望スペースが!西側からは中津市街地を一望できます。
さらに東側は山国川、その先に豊前海が広がります。快晴時には左手に山口県宇部市、右手に国東半島も見えるそうです。

「天は人の上に人を造らず」でおなじみの福澤諭吉先生の功績と実家を訪ねる

続いて栁井さんが案内してくださったのは中津城から徒歩約5分、城下町にある「福澤諭吉旧居・記念館」。ちなみに中津城とともに見学できるお得な共通入場券もあります。
名称の通り、敷地内の左側には福澤諭吉が長崎に遊学する19歳まで暮らしていたという旧家、右側には資料館があります。

「実はここ、福澤諭吉のお母さま・お順さんの実家なのですが、間借りのような形で暮らしていたそうで、その暮らしは貧しいものだったそうです」と栁井さん。また、福澤諭吉の“人間は皆平等“という考えは、母親の影響が大きかったそうです。
▲福澤諭吉旧居の縁側

「福澤先生が幼少のとき、お順さんが身なりの汚い女性を庭に呼び寄せ、頭についたシラミをとってあげ、諭吉少年に銘じて石の上でつぶさせたそうです。そして、シラミを取らせてくれたお礼にと、女性に握り飯を作って食べさせたそうです。憐みでモノを与えては女性が傷つくし、人にはそれぞれ役割というものがある。そんなお順さんの深い思いやりや配慮が、その後の福澤先生の規範になっているんでしょうね」と栁井さん。
▲享保3(1803)年築、つまり築215年以上前の建物。室内は庭先、または土間から見学

また母屋の裏に土蔵もあり。土間横の階段を上ってみると…
▲あら諭吉くん!こんな薄暗い所でもお勉強してたのね

諭吉少年は5歳の頃から勉学を始め、藩内で儒学を極めた後、19歳で長崎に遊学。翌年には大阪へ渡り緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)にて蘭学を学び、23歳で江戸に出て、中津藩邸にて蘭学塾の教師になります。その後の活躍は、旧居のお隣にある記念館で詳しく紹介されています。
▲福澤記念館は2階建て。1階は時系列に福澤諭吉の一生を紹介
現代人にとっては、福澤諭吉はお札の“顔”として身近な存在。その登場は昭和59(1984)年からですが、記念館の入口には、その記念すべき第1号券も展示されています。他にもゆかりの品々が多数展示されていますよ。
▲こちらは勝海舟らと共に咸臨丸(かんりんまる)で渡米した時、サンフランシスコで撮影した地元の女性との2ショット写真。ちなみにこの時、福澤諭吉26歳

「福澤先生は日本への帰路で立ち寄ったハワイで、これを仲間に見せたそうです。アメリカで見せたら、みんながわーっと押し寄せて同じように撮りたがると思って、隠していたみたいです」と栁井さん。
▲彼が作った英語辞書や直筆の英語の手紙も展示
▲2階は明治以降の活躍や著書、さらに福澤諭吉とゆかりのある人物などを紹介
そして福沢諭吉の著書の代表作『学問のすゝめ』の原本もありました。
「『天は人の上に人を造らず~』の言葉が有名で、自由主義的な雰囲気を持つ人もいますが、そのあとに続く内容が大事。身分関係なく自由に生きるにはどうしたらいいか、それは学問だ、勉強せぇ!ということですね」(栁井さん)
実は全17冊もある『学問のすゝめ』。明治5年(1893)年2月に初編発行、同年9月の17編まで約340万冊が出回ったとか。
こちらも福澤諭吉の代表著書『西洋事情』の原本。他にも様々な著書が点在するほか、福澤家をはじめ、ゆかりの方々との写真も多数展示。身長173cmと当時の日本人としては大柄だったり、お妾さんを作らず妻一筋だったり、しかも子だくさんで子煩悩、などのエピソードも満載で、偉大ながらもちょっと身近に、福澤諭吉先生を感じられました。
「もう一つ、歴史の舞台と福澤諭吉ゆかりの地へご案内しますよ」と地元ガイドの栁井さん。
福澤諭吉旧居・福澤記念館を出て、昔ながらの城下町の風情を残す寺町通りを進むこと、徒歩約5分。
真っ赤に塗られた塀のお寺に到着。
「ここは合元寺(ごうがんじ)、別名赤壁寺ともいわれています。ここで黒田官兵衛の息子・長政の家来が、敵方である宇都宮鎮房の家来衆を襲って壊滅させました」(栁井さん)

その時の血しぶきで境内の白壁が真っ赤になり、漆喰(しっくい※石灰)で塗り替えるが、何度やっても血痕が浮かんでくるので、とうとう赤塗にした、という伝説があるそうです。
▲山門の大柱には、当時の刀傷も残っている

なかなかシュールな過去を持つお寺さんですが、境内には3つの願い事を聞き届けてくれる「お願い地蔵(三願成就の地蔵尊)」があり、ご利益寺としてなかなか人気だそうです。
福澤諭吉も長崎に遊学する前に、ここでお願いしたそうで。
願い事を書き込んだ絵馬もいっぱい。恋、仕事、健康などなどの願いがぎっしり書かれていました。皆さんもぜひどうぞ。
この後も時間が許す限り、ガイドの栁井さんに城下町を案内していただきました。やっぱり地元の方は詳しいですね。いろいろ勉強になりました、ありがとうございました。

中津城のすぐそば。外界をシャットアウトした庭園喫茶で味わう豊後牛カレー

せっかくの城下町さんぽ。中津にはからあげやハモなどの名物グルメもありますが、せっかくなら中津城のすぐそば、お堀に面した自然庭園の喫茶 「ギャラリー茶論(さろん)蓬莱観(ほうらいかん)」で、ひっそり優雅に楽しんでみるのもおすすめです。
お堀のすぐそば。うっそうとした木々に囲まれた門をくぐった瞬間、通りの喧騒が消え、虫や小鳥のさえずりが。まさにこの世との境界線。さらに趣のある露地を進むと…、
京都にあるような純和風の建物が登場。実際、南禅寺にある野村別邸を模して、約50年前に建てられたそうです。
室内からは10本もの桜を始め、多彩な樹木を一望。しかも畳に腰を下ろすと大絵巻のように、美しい木々が目の前に。

「例年なら3月下旬~4月上旬ごろまでは桜が、11月下旬~12月初旬にかけては紅葉が楽しめます。爽やかな若葉の季節やしっとりとした梅雨時期もいいですよ。ときどきですが雪景色も楽しめます」と店長の金谷さん。

もともとここには明治15(1882)年建築の歌舞伎も興行される大劇場がありました。その劇場名が「蓬莱観」。しかし、戦争により解体され、戦後は茶室を配した回遊庭園として中津の観光名所の1つとなり、平成11(1999)年からは四季折々の自然美を望む〝居心地の良すぎる”隠れ和風喫茶となり、現在に至ります。癒しあふれる空間ですが、さらにここで味わえる品々も大評判です。

そんな蓬莱観の人気メニューを紹介していきましょう。
▲こちらに来たらぜひ食べてほしい「ビーフカレー」(1,600円、税込)

大分県といえば豊後牛(ぶんごぎゅう)。その豊後牛をビーフカレーの具材で使うだけでなく、そのステーキもご飯の上に、しかも3枚!多彩な蒸し野菜、さらに別皿でサラダもついたボリューミー&ヘルシーなランチです。食後のコーヒーにはカカオ70%チョコも添えられています。

喫茶としてご利用されるなら、こちらがおすすめ。
▲「抹茶と桜葉観(さくらようかん)」(600円、税込)
茶道の師範でもある金谷さんが点てるお抹茶はもちろん、添えられた蓬莱観のオリジナル羊羹「桜葉観」が絶品!生地に練りこまれた桜の塩漬けにより、羊羹の表情を春色に染めるだけでなく、そのほんのりとした塩味が、甘さ控えめな白あんの存在感を際立たせます。
蓬莱観でしか味わえない桜葉観ですが、お持ち帰り用にひと竿900円(税込)で販売しています。お土産にいかがですか?

なお、お昼時は混み合いますので、ランチ利用時は事前予約をしておくことをおすすめします。

福澤諭吉もきっと食べ、官兵衛役の人気俳優も訪れた老舗和菓子店

さらに城下街・中津のお土産にピッタリな和スイーツ店をもう1軒ご紹介。創業300年以上の老舗「外郎本舗 栗山堂」さん。店名通り、ういろうが看板商品。

そしてこちらが300年以上受け継がれている、福澤諭吉もきっと食べたであろう栗山堂の「ういろう饅頭」。
▲1個65円から販売。賞味期限は2日。10個入り皮包み648円、賞味期限4日の箱包み756円(すべて税込)

栗山堂では、けしの実を乗せた2種類のういろう饅頭を用意。しょうがの風味がほんのり感じるプレーンタイプの白、生地に黒糖を練りこみ、中にこしあんを入れた黒。味はもちろん、なんといってもそのモチモチ感が秀逸。

さらにこちらのご先祖は、あの黒田官兵衛の筆頭家老、栗山利安(善助)なんです。
▲中津城から徒歩8分。5代目店主が建てた明治初期のお店で今も販売

ういろう=名古屋名物と思う方も多いかもしれませんが、実は中国のお菓子で、博多を経由して室町時代に日本へ。その博多にはういろう発祥の寺「妙楽寺」があります。

「黒田家が中津から福岡に国替えをした際、家老の栗山利安の次男が、妙楽寺でういろうの作り方を学んだそうです」と語るのは7代目社長の栗山喜代子さん。
その後、栗山の姓を絶やすな、との父の命で中津に戻り、当時は副業だったういろう作りがやがて本業となり、現在に至ったそうです。
ういろう饅頭を作る際に使う歴代の型も見せていただきました。左から古い順に並び、一番右の菊型が現在使用しているもの。米粉と砂糖に生姜の絞り汁を入れて練り、蒸しあげた生地を小さくまとめ、型に一つ一つ丁寧に。300年前から変わらぬこの製法で、毎日作られているそうです。

また、このういろう饅頭は、大河ドラマ撮影時の差し入れにもなったそうです。当時のエピソードを7代目の喜代子さんが話してくださいました。

「あれは11月の朝でした。まだカーテンが締まっているのにガラス戸をドンドンとたたく方がいて、開けてみたらマスク姿の男の人がひとり。すっとマスクを外して『官兵衛を演じました岡田と申します。その節は大変お世話になりました。お礼に参りました』って、いうのよ。そりゃもう~びっくりしちゃって~」(喜代子さん)
▲7代目の栗山喜代子さん。お隣は8代目の英之さん

「なんでその時サインもらわなかったの?」と言う8代目英之さんに
「だってもう頭真っ白になって、お茶を出すのも忘れて、20分くらい立ち話したかしら。ほんとに礼儀正しい、いい男だったわよ」(喜代子さん)

駅前の観光協会でゲット!城下町散策に便利なレンタサイクル

最後に中津城下町めぐりのお役立ち情報を。JR中津駅前にある中津耶馬渓観光協会では、城下町散策に便利なマップをはじめとする多彩な観光資料の提供や中津城を案内してくださった柳井さんのような観光ガイドの手配をしています。
さらに城下町散策に便利なレンタサイクルも提供中。城下町内の道は狭いところもあるので、車より自転車での移動がスムーズです。ちなみに観光協会から中津城、福澤諭吉旧居・福澤記念館までは共に自転車で約6分です。
中津城と城下町のおすすめスポット、いかがでしたか?中津城および城下町はJR中津駅から徒歩圏内にある、まさに電車で行ける城下町。JR別府駅からは特急で45分、JR博多駅からも特急で1時間15分ですから、各地に泊まっての日帰り散策も十分可能ですよ。
山田誠

山田誠

新潟県十日町市生まれ、現在は福岡県福岡市在住のフリー編集者・ライター。九州の宿や温泉、飲食、雑貨系のショップ、さらに漁村、農村、道の駅など、暮らしと休日に関わるスポットをほぼ毎月、年間150軒以上を取材。取材後は必ず近隣の直売所で地元食材を買って帰る。1児の父。

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