【全国唯一】本丸が完存する「高知城」の見どころを徹底紹介!

2018.09.02 更新

土佐藩初代藩主・山内一豊(やまうちかつとよ)により創建されて以来、約400年余りの歴史を持つ「高知城」は、“南海道随一の名城”と謳われる優美な姿を今に残す高知市のシンボル。日本国内で江戸時代から天守が現存している12城のひとつであり、天守や追手門など15棟が重要文化財に指定されています。今回は、そんな見どころ満載の高知城を詳しくご紹介します!

高知市街を見守るように佇む、優美な高知城

高知城はJR高知駅から徒歩で約20分。ショッピング・グルメを楽しめる帯屋町(おびやまち)アーケードや追手筋の日曜市などで賑わう、高知市中心街にあります。

明治時代に発布された廃城令や太平洋戦争、南海地震など、様々な危機を乗り越えたうえに、15棟もの建造物が現存している貴重なお城であることから、日本100名城に選定されています。
また、追手門と天守を1枚の写真に納めることのできる、全国でも珍しいお城としても有名です。
▲手前にある門が追手門、奥に見えるのが天守。追手門と天守の両方が現存しているのは全国で3ヵ所(写真提供:高知県教育委員会)

高知城は、慶長6(1601)年、山内一豊によって着工され、息子・忠義が土佐藩主を務めていた慶長 16(1611)年に、ほぼ全ての建物が完成しました。

享保12(1727)年には、城下町の大火で追手門以外の建造物を焼失しましたが、宝暦3(1753)年までに創建当時の姿に再建。その後、廃城令により本丸と周辺の建造物、追手門のみが残され、明治7(1874)年に高知公園として生まれ変わりました。

本丸とは、天守や御殿などが築かれている、城で最も重要な区画のことで、この本丸が完存するのは、現存12天守の中でも高知城だけなんです!
▲土佐藩初代藩主・山内一豊の像

敷地内には「高知城観光案内所」があり、本丸までの無料ガイド(所要時間約50分)と、天守までの無料定時ガイド(9時30分~、13時30分~の2回、所要時間約90分)を実施。「土佐観光ガイドボランティア協会」のガイドさんが高知城の魅力をたっぷり教えてくれます。
今回は、天守までの無料定時ガイドで追手門から天守までを案内してもらって、高知城をめぐります。
▲観光案内所は追手門のすぐ近く。今回ガイドを務めてくれたのは伊藤博幸さん

土佐の風土に合わせた造りと、鉄壁の防護を誇る高知城の魅力に迫る!

高知城の表門である追手門は石垣の上に渡櫓(わたりやぐら)を載せた櫓門です。門前は、鉄砲や矢で敵を射るための狭間(さま)を設けた門と矢狭間塀で囲まれた枡形状になっており、3方向から攻撃できるようになっています。
▲写真右に見える追手門の2階部分には石落としがあり、石や鉄砲で攻撃できるようになっています

矢狭間塀の石垣の中には、ケ・シ・エ・ウという字が刻まれた石があります。
「これは、どの石をどこに積むか分かるように掘ったのではないか、などと言われていますが、詳細は不明なんですよ。」と、ガイドさん。
何故文字が刻まれているのか、自分なりに想像してみるのもワクワクしますよね♪
▲文字が見つけられない時は、ガイドさんが指し棒で教えてくれます。写真中央の石にシと刻まれているのが分かりますか?

また、石垣の至る所に石樋(いしどい)という排水設備があります。これは、全国有数の多雨地域である高知県の城ならではなんだとか。雨水が城内に設けられた水路を流れて石樋から排水される際、石垣内部に排水が入って目詰まりがおきないよう、石垣から突出した造りになっているそうです。
▲石樋を突出させることで、石垣に直接排水が当たらないようにしている

これらの石垣は、安土桃山時代に近江(おうみ)を中心に活躍した石工集団・穴太衆(あのうしゅう)により、自然石をそのまま積み上げる野面積みという方法で造られています。石垣を屈曲させたり、石垣全体を緩い円形に曲げる邪(ひずみ)を造ることで、頑丈にしたんだそう。
▲かつて三ノ丸御殿があった場所の石垣

追手門から階段を上っていくと、詰門に到着。この門は、藩主の居住空間があったニノ丸と本丸をつなぐ役目を担っており、門を入れば本丸に行けるように見えますが、実は進んだ先には何も無く、本丸から遠ざかるようになっているんだそう。

「詰門1階部分は容易に通り抜けられないよう、入口と出口の扉が筋違いになっていたり、2階部分には東面に3ヵ所、西面に5ヵ所の隠し狭間が設けられていたりと、敵にとっては難所となる場所です」と、ガイドさんが教えてくれました。
▲階段の上に見える門が、重要文化財に指定されている詰門。2階部分は向かって右手の二ノ丸から左手の本丸をつなぐ通路になっています

本丸への正規ルートは、詰門手前の階段を上らずに右に進みます。
詰門の手前の階段を上って左側に進んでも本丸に直接行けますが、そこには、敵に石垣を登らせないための忍び返しや、鉄砲や矢に応じて作られた狭間、敵の動きを見やすくする物見窓など、あらゆる防御・攻撃手段が設けられています。
▲本丸北面の壁にある忍び返しは、現存天守で唯一残されているものなんだとか!先端のとがった鉄の棒が、見た目にも痛そう…
▲本丸北面の城壁。左側の横長の窓が物見窓、丸や三角の小さな穴が狭間、右側の張り出している部分が石落とし

さらに進むと、本丸の南側にある黒鉄(くろがね)門に着きます。柱・門・扉などには小鉄板が打ちつけられ、黒く塗られていることからこの呼び名がつけられたといわれています。現在は開いていますが、当時は非常時のみ開門していたため、ここから本丸に入ることは出来なかったそうです。
▲重要文化財に指定されている黒鉄門

黒鉄門周辺の城壁には、雨対策として長押(なげし)型水切りが設けられています。これも、多雨地域の土佐らしい造りですね。
▲城壁に設けられた長押型水切り

11棟の重要文化財が集中する本丸へ!

では、正規ルートで本丸へ行ってみましょう。詰門前の階段手前を右に進むと、かつて二ノ丸御殿があった場所に到着。ここから詰門2階部分の廊下を渡ると、ようやく本丸へ!
▲二ノ丸からの眺め。写真中央の建造物が詰門、左奥が天守です

詰門の2階部分は、家老や中老、平侍の溜間(たまりのま)が設けられており、いざというときは、天井を支える吊り束(づか)を落とすしかけも作られているそうです。
▲詰門2階部分の廊下。右に見える襖が家老・中老・平侍に分けられた溜間
▲詰門の天井に設けられた仕掛け。吊り束を左にズラすと落ちる仕組みになっているんだそう
天守をはじめ、懐徳館と呼ばれる本丸御殿や納戸蔵、廊下門や東西に設けられた多門など、本丸の全ての建物が完全に残っているのは、現存12天守の中でも高知城だけ!

ガイドさんに天守の構造を聞いてみると、「天守の外観は4重、内部は3層6階建てになっていて、入母屋造りの屋根の上に望楼(ぼうろう)を載せた形です」と教えてくれました。

石灰と発酵させた藁すさなどを混ぜて作る土佐漆喰の壁と、グレーの瓦屋根の色合いが鷹に似ていることから、高知城は、別名「鷹城(たかじょう)」とも呼ばれているんだとか!
▲標高44.4mの場所に築かれた本丸の敷地面積は約1,580平方メートル。中央の建物が本丸御殿である懐徳館、左が天守、右が納戸蔵

懐徳館の入口にある下駄箱で靴を脱いで入場料を払ったら、いよいよお城の内部へ突入!
▲入場料は1名420円・税込。18才未満は無料です

懐徳館に入ると、藩主の御座所(ござしょ)である上段ノ間まで、四ノ間・三ノ間・二ノ間と呼ばれる部屋が続き、座敷飾りの位置や装飾などで身分と格式の序列を表現した、武家の権威を象徴する建築様式を見ることができます。
▲手前の部屋が入口すぐの四ノ間、奥の部屋が三ノ間。三ノ間の左の部屋が二ノ間になっています
▲二ノ間の向かいが上段ノ間になっており、他の部屋より床が一段高くなっています

格天井や違い棚が設けられた上段ノ間には、壷金(つぼがね/開閉のための金具)が打たれた襖障子に揚げ巻き結びを組緒にした房を取り付けた、壮麗な帳台構えがあります。裏側のスペースは、藩主を護衛する武士が隠れる場所になっていたことから、武者隠しとも呼ばれています。
▲上段ノ間にある帳台構え

二ノ間と三ノ間の間には、名工・武市高明が黒潮の波をモチーフにして作りあげたと伝えられている、うちわけ波の欄間が配されています。シンプルですが、江戸時代に作られたとは思えないモダンなデザインが素敵!部屋ごとに異なる装飾を見るのもとっても楽しいですよ。
▲二ノ間と三ノ間の間に設けられた、うちわけ波の欄間

二ノ間の南側は庭になっており、先程外側から見た城壁の物見窓や狭間を内側から見ることができます。敵方の矢や鉄砲玉が入ってこないよう、狭間は小さく作られているため、物見窓で監視範囲を広げていたんだそうですよ。
▲物見窓。こちらも高知城のみに残っているんだそう
▲狭間の設けられた塀には控え柱があり、ここに板を渡してその上から攻撃したり、物見台にする役割もあったんだとか

三ノ間の西側には懐徳館と接続する納戸蔵があり、かつて二ノ丸や三ノ丸に配されていた欄間や駕篭(かご)、土佐藩船の船印として使われていた三つ柏と呼ばれる山内家の家紋などが展示されています。
▲懐徳館入口から西廊下を進むと納戸蔵があります
▲山内家の家紋。三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎は、この家紋と岩崎家の家紋を統合させて、会社のロゴを作成したんだそう

懐徳館と納戸蔵を巡ったら、天守の1階部分へ移動します。
▲天守1階に展示されている築城の様子を再現した模型

北面には2ヵ所の石落としと、6ヵ所の鉄砲狭間を見ることができます。
▲天守1階の北側にある石落とし

天守2階には、宝永2(1705)年に石垣修繕の為、徳川幕府に提出した書に基づき、推測を加えて制作したとされる高知城の模型を展示。その他、高知城の歴史や建造物の造りなどを紹介したパネルの展示もあります。
▲模型では、かつてあった二ノ丸御殿や三ノ丸御殿も見ることができます

3階には、屋根の妻側に設けられた破風(はふ)の間というスペースがあります。「ここは、敵に攻め入られた際、物見や鉄砲狭間としての役割があったそうですよ」と、ガイドさん。今では、風が通って涼しい窓も、当時はそんな役割を担ってたんですねぇ。
▲柵の向こう側が破風の間。北側の破風の間には、向かって左側に隠し部屋もあるんだとか

4階には、全国のお城の写真などを飾っています。窓からは、青銅製の鯱(しゃちほこ)を間近に見ることができます。高知城の鯱は雄雌一対で、阿吽の相を表しているそう。
▲青銅製の鯱は珍しいそうです。ちなみに、口を開けているこの写真の鯱が雄、閉じているのが雌

物置として使われていたといわれている5階を通り、最上階の6階へ。こちらには、廻縁(まわりえん)・高欄が付けられており、高知市街の風景を見ながらぐるりと一周できます。
▲気持ちの良い風が吹き抜ける最上階。天井は上段ノ間と同じ格天井になっています
▲南側の景色。目の前の筆山には山内家代々の墓所があるそう。右側に見える緑色の屋上の建物は県庁
▲東側の景色。写真右側に、日曜市が行われる追手筋や帯屋町アーケードがあります

天守の最上階まで案内してもらい、ここでガイドは終了。城内には説明板などが多くありますが、ガイドさんと巡ると、より詳しい紹介や独自で調べた情報などもしっかり説明してくれるので、とてもおもしろかったです。お城に詳しい人でも、きっと知らないことを教えてもらえるハズです♪
高知城を楽しんだ後は、すぐ東側に2017年にオープンした「高知城歴史博物館」へ。
館内には、国宝や重要文化財を含む約67,000点に及ぶ山内家伝来の貴重な資料や、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料を収蔵。定期的に展示内容を変更しているほか、季節にそった多彩な企画展や催し物も開催しているので、訪れるたびに新たな魅力を体感できます。
▲堂々たる佇まいが印象的な高知城歴史博物館

体験型展示や映像などもあり、大人から子どもまで楽しめます。高知城を目の前に望める展望ロビーも人気ですよ。
▲外観もさることながら、素敵な内観も必見!1階には、オリジナルグッズや県産品などを販売する、ミュージアムショップも併設
また、高知城周辺には、帯屋町アーケードや日曜市、酒国・土佐の象徴ともいえるグルメ&宴会スポット「ひろめ市場」など、様々な観光スポットもあるので、併せて楽しんで下さいね。

小さなお城ながら、ここでしか見られない見どころや魅力が満載の高知城。春夏秋冬に移ろう、その優美な姿をぜひ一度ご覧下さい。
▲日没後から、22時まではライトアップされる高知城を楽しめます。暗闇に浮かぶ、美しい姿も素敵(写真提供:高知県教育委員会)
畔元志保

畔元志保

高知県生まれ、高知県育ち、高知県が大好きな高知県民。高知県のタウン誌「ほっとこうち」の編集部勤務を経て、フリーライターになり、横長の高知県を西へ東へ駆け巡っている。高知県の大自然と、可杯・箸拳・菊の花を愛するお酒好き!

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