奈良・興福寺 国宝館を貸切で拝観!僧侶の解説も聞ける貴重な40分間

2018.08.07 更新

五重塔で知られ、世界文化遺産にも登録されている奈良・「興福寺(こうふくじ)」。貴重な国宝の数々を収蔵した「国宝館」では、僧侶の解説を聞きながら貸切で館内を巡る特別拝観プランを実施しています。歴史好きの方には本当にオススメのこのプラン、さっそく体験してきました!

▲国宝館に入ると飛び込んでくる千手観音さまの神々しい姿!

広大な奈良公園の中にあり、近鉄奈良駅から徒歩10分ほどの場所にある興福寺。仏像や建造物を含め40以上もある国宝の中で、阿修羅(あしゅら)像や千手観音菩薩像など知名度の高い国宝を所蔵するのが「国宝館」です。貴重な文化財を見られるとあって、普段から数多くの拝観者で賑わっています。

「もっとじっくり仏様と向かい合いたい」そんな拝観者の声を受け、実現したのが今回紹介する特別鑑賞プラン。開館前の時間を利用して、貸切状態で館内を巡れるというからなんとも贅沢です。しかも、僧侶による解説付。これは仏像好きの筆者としてはワクワクが止まりません!
今回案内してくれたは、僧侶の大森さん。仏教系の大学で学ばれ、2013年から興福寺にお勤めです。
こちらの体験を案内してくれる僧侶は大森さんのほかに数人いて、中にはドイツ出身の僧侶もおられるそう。歴史ある寺院も、国際化が進んでいるんですね。
僧侶たちが集まって食事をする「食堂(じきどう)」があった場所に、耐火式宝物収蔵庫として昭和34(1959)年に建てられたのが国宝館です。
実際に見ることはできませんが、地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されているそうです。

それでは、さっそく中に入って仏像に会いにいきましょう!

静かな館内を独り占め!国宝の存在感に圧倒される拝観タイム

▲国宝の仏像は、天井も高く広めに取られたスペースに安置されている

扉を開け薄明りの通路を抜けると、パッと開けた視界に輝かしい仏像たちの姿が目に飛び込んできます。スポットライトを浴びた仏像の姿はなんとも神々しく、しばし茫然となって見とれてしまいました。
「左右にいる金剛力士像(写真右から1番目と4番目)は、もともと1体の神様だったんです」と大森さん。え、そうなんですか!知らなかった!
執金剛神(しゅこんごうしん)というインドの神様で、金剛杵(こんごうしょ)という武器をもって仏の教えを守護する存在でした。

1体が2体になったということで仁王(におう)と呼ばれる元になったそう。阿吽(あうん)の呼吸で息がぴったりなのも、もともと1体だったのなら納得ですね。
金剛力士像に挟まれた中央の2体は右から天燈鬼・龍燈鬼(てんとうき・りゅうとうき)です。大森さんいわく、鬼単体の仏像というのは大変珍しいんだそう。

「右の天燈鬼は、左肩に燈籠を乗せ体を傾けています。もともとは直立した形で作っていたものを、よりリアリティを追求するために、途中で腰のあたりに接ぎ木をして傾けているんです」と大森さん。確かに、重いものを持っている力感がすごいですよね!

金剛力士像や天燈鬼・龍燈鬼があるゾーンには、鎌倉時代の国宝が展示されています。この時代の仏像は高い写実性が特徴で、どの像も筋肉の隆起や質感、ポージングにおける力感などがとてもリアルで、精巧なディティールに思わず見入ってしまいました。
続いては少し移動して、鎌倉時代以前のゾーンを拝観します。写真右は木造釈迦如来像で平安時代の作。左は薬師如来像の銅造仏頭で白鳳時代(飛鳥~奈良時代)の作です。

仏頭は近くでみるとその存在感に圧倒されます。重さはなんと約600kg!
ちなみになぜ頭だけになっているかというと、それは火事があったからです。「興福寺はその長い歴史の中で大小合わせ100回以上もの火事に見舞われています。この仏頭も、火事で溶け落ちたところを頭だけお救いすることができたので、現在も有り難く拝むことができるのです」と大森さん。
ちなみに、こちらの仏頭は普段見慣れている仏様よりも少しお顔の表情が違うと思いまんか?鼻も高いし、目も切れ長で大きい。大森さんに聞いてみると「それはこの仏様を作ったのが、百済など大陸から渡ってきた人たちが作ったから」とのこと。

仏像のお顔はその穏やかで悟りを開いた表情から、赤ん坊の顔をモデルに作られると言われています。なので、作った人の民族性・身体的な特徴が反映されるのだそうです。う~んなるほど~。仏像の世界は本当に奥が深いですね!
続いてはズラリと並んだ姿が壮観な乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)。列の中心で6本の手を広げ、ひときわ目をひくのがそう、教科書にたびたび登場するあの阿修羅像です。
阿修羅像を含む合計8体は、いずれもインドなど海外由来の異教の神様。仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を持っています。

外来ゆえに、その姿形の由来はさまざまで、仏教に取り入れられてからも異教の神の姿のままのものが多いのです。例えば迦楼羅(かるら)像(写真一番左)は頭が鳥の形をしていて、これはインドのビシュヌ神が乗る巨大な鳥である金翅鳥(こんじちょう)を表しています。
3つの顔と3対の腕を持つ阿修羅像。その造形と知的で思慮深い表情から「天平の美少年」とも称される美しい仏像です。

阿修羅はゾロアスター教の神様で、とても古い時代の神様です。仏教の守護神である帝釈天と戦ったという神話があり、戦いの神様とも言われています。そのため興福寺以外の阿修羅像には憤怒の表情をしているものも多いのだとか。

しかしながら興福寺の阿修羅像は、少し悲し気な、何とも言えない表情をしていますよね。大森さんによると、「戦いに明け暮れていた阿修羅が仏の教えに出会い、今までの行いを悔い改めている時の表情」なのだとか。3面の顔も、少しずつ変わっていく心の内面を表現しているそうです。

時代を超えて愛される阿修羅像。その神秘的な魅力の秘密は、ミステリアスな表情にあったんですね。
8体の像のうち、1体だけ体を失ってしまった像が写真の五部浄像(ごぶじょうぞう)。頭には地上で一番大きい動物であるゾウの冠をかぶっています。
乾漆八部衆立像は、全て脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)という製法で作られています。

作り方は、まず芯になる心木と粘土で型をつくり、その上に布と漆を重ねて乾燥させます。ある程度乾いたら中の粘土を取り出し、内部に補強材を入れ、彩色して完成…ということなので、実はこの像、中が空洞なのでとっても軽いんです。火事の際も比較的持ち出しやすかったため、今にその姿を残しているとも言えます。

五部浄像は、その体部分を失っているがゆえに、脱活乾漆造の内部構造まで見ることができる、とても貴重な仏像なんです。
阿修羅像から振り返ると、「千手観音立像」を見ることができます。
千手観音の手は42手あります。中央で合掌する2本を除く40本の手が二十五有(にじゅうごう)の仏教世界の生き物を救うと言われ、40×25=1,000ということで千手観音になるんだそうです。

もともと食堂の本尊だった千手観音さま。今も当時と変わらない場所に安置されていて、法要時にはこの国宝館でお経を読み上げるのだそうです。
見上げると、身長5mの千手観音様の優しいお顔が。高いところから世界を見渡し、慈悲深い眼差しで我々を見守ってくれているんですね。
プランでは、朝の8時20分頃から開館時間の9時まで、約40分間じっくりと国宝を見てまわることができます。僧侶の大森さんの解説はわかりやすくて、質問にも的確に答えてくれました。今回記事で紹介しきれなかったエピソードも沢山伺っているので、正直、40分間はあっという間に過ぎてしまうでしょう。

国宝館の拝観が終わったら、境内を歩いて伽藍を見学しよう!

国宝館の見学が終わったら、あとは境内の自由散策、適宜解散となります。せっかくなので、こちらも国宝がいっぱいの伽藍の数々を見て回りましょう!

と、その前に、少しだけ興福寺の歴史や概要の解説を。
法相宗(ほっそうしゅう)の大本山として知られる興福寺。その創建は約1300年前にさかのぼります。その前身は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の私邸に造営された山階寺。平城遷都の際、和銅3(710)年に現在の地に移され、「興福寺」と名付けられました。 

奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられました。また、春日社の実権を手中におさめ大和国を領するほどになりましたが、治承4(1180)年の南都焼討ちによって多くの堂塔や伽藍、仏像が焼失しました。 

鎌倉時代には復興を遂げ、徳川政権下においても春日社興福寺合体の知行として2万1千余石を与えられましたが、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈などで荒廃してしまいました。
その後はさまざまな人々の縁や努力によって復興し、現在も歴史を刻んでいます。

日本の長い歴史をそのまま刻み込んだような興福寺。その伽藍の数々、さっそくご紹介していきましょう!
国宝・東金堂(とうこんどう)。神亀3(726)年に聖武(しょうむ)天皇が叔母の元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を願って建造しました。
創建当時は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来(やくしにょらい)の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界を表していたそうです。

堂内には本尊薬師如来像などの重要文化財のほか、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像などの国宝も安置されています。
古都奈良の風景を象徴するのが国宝・五重塔。東金堂の隣に凛々しくそびえています。
こちらは天平2(730)年に興福寺の創建者である藤原不比等(ふひと)の娘の光明(こうみょう)皇后が建造しました。5回の火災と再建を経ていて、現在の建築は応永33(1426)年頃に再建されたものです。
国宝・三重塔は康治2(1143)年に創建されたのち治承4(1180)年に被災し、間もなく再建された興福寺に現存する最古の建造物です。
東の須弥壇(しゅみだん/仏像を安置する台座)に弁才天(べんざいてん)像と十五童子像を安置し、毎年7月7日に弁才天供が行われます。
治承4(1180)年の被災後、承元4年(1210)年頃に再建された、国宝・北円堂(ほくえんどう)。
日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛され、堂内には本尊弥勒如来(みろくにょらい)像などが安置されています。
2018年7月現在、再建中の中金堂(ちゅうこんどう)。興福寺最初の御堂として和銅3(710)年に藤原不比等によって建てられ、以降伽藍の中心となる最も重要な建物でした。創建以来、七度の焼失を経験し、その度に再建されてきました。今回の再建は約300年ぶりで、2018年10月に完成します。一般拝観は10月20日からです。
西国三十三所観音霊場の第九番札所になっている南円堂(なんえんどう)。こちらは国の重要文化財に指定されています。弘仁4(813)年に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父・内麻呂(うちまろ)の冥福を願い建造しました。創建時には弘法大師空海とも縁があったことで知られています。

最後は「一言だけ」願い事を聞いてくれるという「一言観音堂」へお参り

国宝館を案内頂いた大森さんに「境内で、特にありがたいご利益のあるスポットはないですか?」と質問したところ、教えてもらったのがこちらの一言観音堂(ひとことかんのんどう)です。
南円堂に向かって右側にある小さな御堂には、願い事を一言だけ聞き入れてくれるという一言観音様が祀られています。

「一言だけ」というのは、1回に1つだけ、という意味。しっかりお願いして願いが成就したら、また次のお願いごとを「一言だけ」持ってお参りしてください。
お願いごとも終わり、時計をみるとまだ午前10時過ぎ。国宝館の拝観と境内の散策やお参りを合わせても約2時間ほど。朝が早いと時間に余裕があり、この後の予定も立てやすいですね。

今回の体験、予約は開催日3日前の10時まで、一人から申し込み可能です。
国宝だらけの展示館を貸切で、しかも僧侶の解説付きで巡るという貴重な体験。とても学びの多い有意義な時間が過ごせますよ!
妙加谷 修久

妙加谷 修久

京都市在住の旅行系ライター兼ディレクター。全国各地に足を運び、旨いモノを食べ、温泉に浸かる日々。ここ京都を中心に、知っているようで知らない「日本のイイトコロ」を紹介します。日本酒好きが高じて利き酒師の資格を取得しました。

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