薩摩の小京都・知覧武家屋敷群で個性豊かな日本庭園と美しい町並みを堪能

2018.11.07 更新

薩摩半島の南中央部に位置する南九州市知覧町(ちらんちょう)には、江戸時代に造られた武家屋敷群が今でもそのままの形で残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。“薩摩の小京都”とも称される「知覧武家屋敷群」。今回はボランティアガイドに案内してもらい、その魅力を探ってきました。

歩道に鯉が泳ぐ美しい町・知覧

鹿児島市から車で約50分。電車ならJR鹿児島中央駅から40分の平川駅で下車してバスに30分ほど揺られると、知覧町に到着します。

知覧町は武家屋敷群があることから、景観がとても美しい町です。武家屋敷群のある通りと並行して走る県道には、麓川(ふもとがわ)の疎水が流れる「清流溝」があり、鯉がのんびりと泳いでいます。
▲町に優美さを添える清流溝

そんな県道から麓川を挟んだ向こう岸に広がるのが、今回の舞台「知覧の武家屋敷群」です。
▲麓川に架かる「河上橋」を渡ると、町並みが江戸時代にタイムスリップ!

武家屋敷群が形成されたのは、島津家の分家で江戸時代にこの地を治めていた佐多氏16代・島津久達(慶安4~享保4年/1651~1719年)の時代から18代・島津久峯(享保17~安永元年/1732~1772年)の時代ではないかとされています。

約700mの通りに現存している武家屋敷うち、7軒の屋敷の庭園は国の名勝にも指定されています。現在は、この7軒のほか、屋敷のみが残されている「旧高城(たき)家住宅」を加えた8軒が一般公開されています。驚くべきことに、今でもほとんどの屋敷には子孫の方が暮らしていて、住民たちは景観を守るため、組合を作って自ら武家屋敷群の管理や清掃などを行っているのだそう。
▲今回案内していただいた森重忠さん

知覧の武家屋敷群では、事前に電話やインターネットを通じて1週間前までに予約すると、無料でガイドに案内してもらうことができます(入場料別途)。通常はボランティアガイドに案内していただくのですが、今回は特別に「知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合」代表の森重忠さんに案内していただきました。

森さんは武家屋敷の住人の一人。それだけに中身の濃いお話が聞けそうです。期待に胸を膨らませつつ、武家屋敷群の散策が始まりました。

知覧武家屋敷唯一の池泉様式「森重堅庭園」

最初に向かったのは、森さんのご自宅でもある「森重堅(もりしげみつ)庭園」。立派な門構えですね。武家屋敷の表門は「腕木門(うでぎもん)」といって、屋根付きの門が特徴なのですが、森邸のように両側に小屋根がついているのは本家、ついていないのは分家といった具合に、門構えを見ただけで家の格の違いがわかるようになっているのだそう。
中に入ると、敷地の広さにビックリ!驚く筆者を見て、森さんは笑います。「うちの敷地はここだけじゃなくて、裏の山まで全部です」。

実はこのあたりに住んでいた武士は皆、半農半士だったのだそう。だから敷地内には畑があり、山では薪を拾って自給自足の生活をしていたんですね。

そしてもう一つ、ユニークなものを発見!屋敷の屋根に注目してみてください。屋根が二重になっていますね。これは昔の名残りなのだそう。「今は全部瓦屋根になってるけど、昔は上の屋根が茅葺だったんです。武家屋敷は上が茅葺で、その下に瓦屋根を重ねていたんですよ。農家には瓦屋根はありません」と森さん。
奥に歩を進めると、見事な日本庭園が姿を現しました。曲がりくねった池に、洞窟をイメージして造られたという岩が架かり、池の周囲には巨岩や奇岩が並びます。この見事な庭園は寛保1(1741)年に造られたといわれています。
「知覧の武家屋敷庭園は基本的に水を使わない『枯山水』の様式なんですけど、うちの庭園には池があるんです。池の水は山の湧き水なんですよ」と森さんは話します。
▲縁側に座って日本庭園を鑑賞

森重堅庭園は、大規模な刈り込みを行う1月とお盆の時期が特に見頃とのことですが、取材時もここに人が住んでいるとは思えないほど美しかったです。

また、敷地内の休憩所では知覧茶のサービスもあります。お茶処としても全国的に有名な知覧。白薩摩の器でいただくお茶は格別です。
▲森邸内の休憩所で一服。ここで知覧茶を購入することもできる

ここでは、入園料(7庭園共通で高校生以上500円、小中学生300円、ともに税込)を支払うこともできますよ。というのも、景観保存の観点から武家屋敷群の入口に料金所を設けないかわりに、森邸や付近の商店など、合計5カ所に入園料取扱所が設置してあるんです。1回支払えば、7カ所すべての庭園を見て回ることができますよ。
さて、通りに出てきました。取材した10月上旬には柿の実がたくさんなっていて、風情もたっぷり。風にのって金木犀の香りも漂い、歩いているだけで癒やされます。
続いて「旧高城家住宅」にやってきました。旧高城家住宅には庭園は現存せず、屋敷のみが残っていて、無料で一般公開されています。

こちらには、門の両脇に小屋根がありません。ということは、分家ということですね。ちょっとした知識があるとこのような気づきがあって、散策がより一層楽しめます。

森邸もそうでしたが、武家屋敷は表門の真正面に石の壁があります。「屏風岩」といって、外からの視線を遮ったり、弓矢などで命を狙われるのを防ぐための工夫なのだそう。それに、たとえ大勢の敵が押しかけても一気に攻め入ることができないので、敵を分散させるというメリットもあります。
旧高城家には人が住んでいないので、部屋の中まで見ることができます。古くから高城家に伝わる調度品もそのまま展示されていて、まるで時が止まったかのような雰囲気です。
▲茅葺に虫がつくのを防ぐため、定期的に薪を燃やして煙で燻(いぶ)し、煤(すす)をつけているそう

旧高城家は無人ということで、屋根が昔ながらの茅葺屋根です。茅葺屋根は葺き替えなどのメンテナンスをしながら今に受け継がれています。そして、2つの屋根が直角に繋がっていますね。これが「知覧型二ツ家(ふたつや)」という特徴なんです。

もともと薩摩の武家屋敷には、お殿様や家の主、客人が利用する「男玄関」と女性や子どもが利用する「女玄関」があり、男玄関は居住スペースの「オモテ」に、女玄関は炊事場のある「ナカエ」に繋がっていて、それぞれの棟が独立しているのが一般的です。でも知覧の屋敷は、オモテとナカエが合体した独自の「二ツ家」とよばれる造りで、文化的にも貴重な財産なのです。

ちなみに、知覧の武家屋敷の中では、森邸のみお殿様専用の玄関もあります。

通りでもさまざまな仕掛けを発見!

知覧の武家屋敷群は、通りを歩いているだけでもさまざまな発見があります。たとえばここは、石垣の石の形が家によって違いますね。左側の石垣は切石ですが、右側の石垣は玉石です。これにもちゃんと意味があるんです。

「本家・分家で切石と玉石の石垣があり、石垣の違いで家の格式を分けていたのではないかと思います。同じ切石でも、少し不揃いな家もあればとても整った石もあります。石垣が整っているほど家の格も高い。本家に近づくほど石垣もきれいになっていきます」と森さんは言います。
▲緩やかな曲線を描く武家屋敷の通り

そして、どの通りを通っても道が少し曲がっていることにも気づきます。

「もし敵に追われて弓矢を射られたとき、道がまっすぐだったら逃げられないでしょう。曲がっていたら、角を曲がってしまえば射られることはないんです」と森さん。なるほど、武家屋敷らしい造りです。

また、生け垣にイヌマキを植えているのも武士ならではの理由がありました。
「イヌマキは柔らかいから敵がよじ登れないんです。しかも外からの視線は遮断できるのに、中から外の様子を伺うことはできるんですよ」。ここは町の隅々に至るまで、徹底的に身の安全を考えて造られているんですね。
▲三叉路には大小さまざまな「石敢当(せっかんとう)」があるので、探してみるのも楽しい

さらに、通りの三叉路で巨大な岩を発見!「石敢当」というもので、沖縄でもよく見られる魔除けなのだとか。知覧の港は江戸時代に琉球貿易の拠点になっていたこともあり、琉球文化の影響も受けているのです。先述の屏風岩も沖縄がルーツといわれているそうですよ。

四季折々の花を堪能できる庭園

▲写真奥に見える山が「母ヶ岳(ははがだけ)」

続いて訪れた「佐多直忠庭園」は、「母ヶ岳」を望む借景庭園。母ヶ岳がきれいに見えるようにイヌマキを大胆に刈り込んでいますね。枯山水の庭には梅の木が植えられています。取材時はオフシーズンでしたが、初春には上写真のような薄桃色の花が咲き乱れるそう。
季節の花といえば、「平山亮一庭園」も見逃せません。こちらは石組みが一つもなく、大刈込み一式の庭園です。母ヶ岳を利用し(借景)、3つの峯が見えるようにイヌマキを刈り込み、サツキの大刈込みを築山に見立てています。シンプルかつ大胆、それでいて計算しつくされた造りに圧倒されますね。

ちなみに、サツキの前に置かれている四角い石は、盆栽を置くための石台なのだそう。他の庭園にも置いてありましたが、平山亮一庭園はひときわ数が多かったです。当時の人は、盆栽を好きな場所に置いてさまざまな風景を想像し、歌を詠んでいました。「日本庭園は想像力とセンスが大事なんですよ」と森さんは話します。

武士の暮らしが見えてくる武家屋敷のアイテムに注目

平山亮一庭園の玄関のすぐ脇で、細長い手水鉢(ちょうずばち)のようなものを発見!「これ、何に使っていたと思います?」と森さんに聞かれ、答えに窮した筆者でしたが、皆さんはわかりますか?実はこれ、「太刀洗(たちあらい)」といって、血で汚れた刀を洗うための水溜めなんです。

実際に使用したかどうかは不明ですが、「使うかどうかはわからなくても、何が起きてもいいように抜かりなく準備しておく」というのが武士の鉄則。こういうものを見ていると、本当に江戸時代にタイムスリップしてしまったような気分になります。
そして、こちらは平山亮一庭園の「三和土(たたき)」です。一見、石が敷かれているだけのようですが、これは今でいうセメントのようなもので固められているんです。三和土は、砂利や赤土などに消石灰とにがりを混ぜて練り、敲(たた)き固めて造るのだそう。現在はヒール靴などの影響で所々欠けてしまっていますが、当時の人はワラジを履いていたため、強度もまったく問題なかったそう。
そしてここで森さんが説明してくれたのが、知覧の武家屋敷の名物ともいえる「雨戸返し」です。平山亮一庭園の屋敷は、外側に縁側がある「濡れ縁」。そして、濡れ縁の内側に雨戸があるのですが、戸袋がないんです。そのかわりに、角の部分で雨戸を引き出してクルッと方向転換できるようになっています。

なぜこんな斬新な造りになっているかというと、「戸袋があると死角ができて、敵が隠れやすいでしょ?死角を造らないためにこんな造りにしたんです」と森さん。さらにここにはもう一つ仕掛けがあります。
森さんが持っている角の棒は取り外し可能。主人が留守中に不審者が現れても、女性はこの棒を持って敵を追い払うことができるんです。画期的な造りですよね!

個性豊かな庭園が続々

残る庭園は3つ。ちょっと駆け足になりますが、ご紹介します。
こちらの「平山克己庭園」は、母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景庭園。イヌマキの生垣が母ヶ岳の文脈と繋がるように刈り込まれています。また、どこを切り取っても絵になるように設計されているそうです。
▲京都や琉球出身の庭師が手がけているそう

続いては、巨岩奇岩を積み重ねて造った「佐多民子庭園」。麓川の上流にあった巨岩を石目に沿って割り、牛馬でここまで運んできたのだそう。確かによく見ると岩の割れ目は確認できますが、遠目からだとまったくわかりません。
▲佐多民子庭園

まだまだあります。「佐多美舟(さたみふね)庭園」は、知覧武家屋敷の中で最も広く豪華な庭園です。枯滝を中心に組まれた石組みがただでさえ広い庭園に一層の迫力を与えています。
▲佐多美舟庭園
▲西郷恵一郎庭園

最後にご紹介するのは、「鶴亀の庭園」というおめでたい異名を持つ「西郷恵一郎庭園」です。「鶴亀の庭園」とよばれる理由は、庭園をよく観察したらわかります。
森さんは指し示している部分に注目!岩が亀の頭に、刈り込みが甲羅に見えませんか?とても愛らしい亀さんですよね。

庭園の奥の方には鶴の形をした刈り込みがあります。取材当時は刈り込んでから少し時間が経っていたのですが、刈り込み後はその姿をきれいに見ることができます。

教えてもらったらわかるけど、教わらなければわからない。そんなさり気ない演出に、この庭園を造った庭師さんの洒落っ気が伺えますね。

「ハート型」にちなんだイベントを続々開催

このようにガイドに案内してもらったことで、ここではすべてのものにきちんと理由があることがわかり、当時の人々の思慮深さや精神性の高さが感じられました。さらに、散策するだけではスルーしてしまうような小さなことにも気がつき、当時の人々の暮らしがよりリアルに伝わった気がします。
この森重堅庭園にあるハート型の手水鉢もそんな小さな気づきの一つです。これはハート型ではなく、魔除けや火事除けに良いとされる「猪目(いのめ)」を模して造られたものなのだそう。

武家屋敷には、他にも猪目のアイテムがあちこちにあり、現在ではその形から、猪目は縁結びのキーワードになっているんだそう。

そこで知覧武家屋敷群では、2018年11月1日~2019年2月28日まで「ちらんハート今昔物語」というイベントを開催。期間中にスタンプラリーや武家屋敷内のハートのアイテムの写真をSNSに投稿すると、各種商品をもらえるのだそう。
▲灯りと音楽を楽しめる年に一度のイベントも。写真は2017年の様子

さらに、2018年11月17日(土)には「あかりの道標~ちらん灯彩路~」を開催。こちらのイベントでも美しすぎるハート型が登場します。
▲通り沿いの部屋は消灯してもらうよう、住民にも協力を要請するほどの徹底ぶり

当日は、武家屋敷の通りに地元の小学生などが描いた灯籠を設置します。何とも幻想的な雰囲気ですね。
そしてメイン会場では、毎年趣向を変えた演出を楽しめます。2017年は竹の中にキャンドルを灯し、ハート型に敷き詰めたインスタレーションが多くの来場者に好評だったそう。2018年は一体どんな演出になるのでしょうか?ぜひカメラ持参で参加してみてくださいね。

ここが「薩摩の小京都」と称されるワケ

最後に知覧の武家屋敷がなぜこんなにも美しいのか、森さんに尋ねてみました。

「この武家屋敷群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているし、7つの庭園は国の名勝にもなっているけど、行政任せではなく地元住民が協力して日々管理しているんです。7つの屋敷以外の方々も皆、毎日欠かさず通りを掃除してくださっています。だから昔のままの姿を維持できているんだと思いますよ」と森さんは言います。
観光スポットなのにもかかわらず、ゴミ一つ落ちていない通り。美しい模様が描かれた日本庭園。季節の移ろいを教えてくれる花々たち。そのすべてを維持しようとたゆまぬ努力を続ける住民たちには、間違いなくご先祖様の高い精神性が受け継がれているのだと感じました。

皆さんもぜひ一度、この美しい町並みを見に来てみてください。“薩摩の小京都”と言われる理由が、きっとわかるはずです。
さわだ悠伊

さわだ悠伊

鹿児島市出身・在住のフリーライター。グルメ、旅、コラム等ジャンルや媒体を問わず活動中。鹿児島県内の離島取材も豊富。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
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