奥飛騨の濃厚すぎる「緑の温泉」、雪国で育つ南国果実「ドラゴンフルーツ」。かつてない温泉旅へ出かけよう

2015.10.15 更新

名湯・奥飛騨温泉郷の中でも珍しい、緑色の温泉「うぐいすの湯」。湯の花がびっしり凝固した神秘の温泉を楽しんだ後は、あなたの既成概念を打ち砕く「ドラゴンフルーツ」を味わう。今度の奥飛騨温泉郷は、驚きに満ちている。

山深い奥飛騨温泉郷(岐阜県高山市)の中心に位置する新平湯温泉。そのもっとも奥に、目指す温泉はあった。
その名の通り、緑色の湯をたたえる露天風呂「奥飛騨ガーデンホテル焼岳 うぐいすの湯(日帰り入浴利用料 税込700円)」。透明、もしくは淡く白濁した湯が多い奥飛騨温泉郷にあって、おそらくは唯一、緑色を帯びた源泉かけ流しの温泉である。

これはもう、入浴というより化粧水浴
できることなら、すっぴんで入りたい

なぜ緑色なのか。その謎を解明する鍵は、地球の歴史にある。
現在、私たちが目にする緑の湯は約3億6千万年前、デボン紀に海底が隆起し形成された地層に堆積したもの。地球最古の森が形成されたデボン紀、地上は緑に染まっていたことだろう。
初めて両生類が陸上での生活を始めたのもこの時代。生命の進化と巨大な森を支えた豊富なビタミンやミネラルなどが、今も当時の状態のまま「うぐいすの湯」には含まれている。
▲湯の花が、まるで粉を振ったように湯の表面全体を覆っている。当然これが、湯の中全体に溶け込んでいる
3億6千万年も前の地層から汲み上げる温泉というのは珍しく、国内唯一の超深層水温泉だと確認されている。
「超深層水」、聞きなれない言葉だが簡単にいえば、地表に降った雨や河川の影響を受ける「表層水」と異なり、外部の影響を全く受けない極めて清浄な水だということ。
何より温泉成分が薄められることなく湧出するから、その濃厚さは驚異的だ。香りも濃く、浴室に入る前からもう気分は温泉。そして浴槽の底に足が触れた瞬間、ザラリとした感触が伝わるのは、凝固した温泉成分でびっしり覆われているから。湯の花が固まってできたテーブルは、1年で直径約50cmほどにまで成長するそうだ。
▲湯口付近では凝固物が、まるで鍾乳洞のような景観をつくり出している
サラリーマン時代に九州で過ごした2年間、各地の温泉を巡って週末を過ごした温泉マニアとして、やらずにはいられないのが「飲泉(いんせん)」。湯口の温度は70度を超える熱湯(あつゆ)のため、不慣れな方にはお勧めしないが、飲用の適応症として慢性消化器病・慢性便秘・糖尿病・痛風・肝臓病が認められている。
口に含むと、舌に微かな金属の気配が感じられる。しかし非常に丸い味わいで、3億6千万年分の地層によって不純物から守られた温泉、という実感がある。
そしてお気づきかと思うが、「うぐいすの湯」に入浴の際は専用の「湯衣(ゆあみ)」を着用する。というのも、女性専用となる22:00~6:00以外は混浴。でも男性用はスコートタイプ、女性用はワンピースタイプだから、混浴は初めてという女子も安心して楽しんでほしい。
浴用の泉質別適応症に、きりきず・やけど・慢性皮膚病が含まれるだけあって、「うぐいすの湯」は美肌効果が高いと言われている。事実、この温泉水からつくられた化粧水も発売以来、好評を博している。
つまり「うぐいすの湯」に入ることは、化粧水で満たされた浴槽に全身浸るに等しい。湯口付近は熱めだが、少し離れるとちょうどいい湯加減。3分ほど浸かっているだけで額が汗ばんでくるが、奥飛騨の山を渡る風は涼しく心地よい。半身浴と合わせれば、長時間入っていられそうだ。
効果効能については個人差があるため、これはあくまで私のケースだが、夏の農作業でガサガサになっていた手が、夜になってもずっとハンドクリームを塗った直後のような滑らかさだった。

3億6千万年という、悠久の時が育んだ神秘の温泉力がいかほどか。あとはあなた自身の肌で確かめてほしい。

農業経験ゼロの土木施工管理士×雪国で南国フルーツ
それは始まりからして、異色だった

湯上りに、スイーツはマストアイテム。そんな方に今回ご紹介するのは、奥飛騨の温泉力を新しい形で活用することから生まれた果実「ドラゴンフルーツ」。通称「奥飛騨ドラゴン」だ。
あなたの中に「ドラゴンフルーツ=水っぽい味」という既成概念があるなら、それは大きな間違い。単にこれまで、本当においしいドラゴンフルーツと出会っていないだけのこと。
育つ環境と育てる人が変われば、同じ食物でも味は大きく変わる。それは紛れもない真実だと、あなたはここで知ることになる。
県道475号線を穂高岳に向かって走っていると、左手に「奥飛騨ドラゴン」と書かれた看板が見えてくる。その奥に建つ温室の中で、ドラゴンフルーツたちは暮らしている。
栽培するのは、「FRUSIC(フルージック)」の代表取締役・渡辺祥二さん。以前は土木建設会社で一級施工管理士をしていた人物だ。
かといって単純に、事業多角化の一環として建設会社が農業を始めた、という話ではない。米作農家が転作のため果樹栽培を始めた、という話でもない。実際、渡辺さんは農業生産法人を立ち上げる35歳まで、農業はおろか花木を育てた経験すらなかった。
自分の目で見て、触れて、心が動かなければ、学ぶことができない。そういう自分を渡辺さんは「不器用モノ」と呼ぶ。けれど、そんな35年の歳月を経てたどり着いた一つの答が、「奥飛騨温泉郷でのドラゴンフルーツ栽培」という生き方だった。
「時間をかけて築いてきたものは、不思議とつながる」と渡辺さんは述懐する。たしかに、過去のいくつかの出来事を伺うと、「奥飛騨で南国フルーツ」という突拍子もない事業が、むしろ必然に思えてくる。

たとえばそれは、友人と旅したアメリカでの光景。
観光客が決して訪れることのない、小さな町のバス停。真新しい軍服を着た若者が、家族の見送りを受けていた。まだ、酒を買える年齢にも達していない。ハグする母親は、泣いていた。
「この町じゃ、高校を出て働こうにも、軍隊くらいしか選択肢がない」、バスの運転手が呟くように言った。その言葉が、「地域資源を活用することで経済を活性化し、都会と地方の格差をなくす」という現在の活動の原点となった。
▲こちらは灌水や施肥など、栽培を管理するためスタッフが作成するスケジュールボード。こうした緻密さは、元施工管理士ならでは
大きな転機が訪れたのは、建設会社で施工管理をしていた時のこと。土木工事を進める上では、自然破壊を伴うことも少なくない。自ら陣頭指揮を執って開発工事を進めながらも、「人間は生きるために、何をしてもいいわけじゃない」という思いが日増しに強くなった。
しかし、働かなければ人は生きていけない。自然に対し許される範囲内で、自分たちの仕事をどうつくっていくか。そもそも、生きるとはどういうことなのか。
考え抜いた末に、「生きること」は「食べること」であり、「食べるもの」をつくる農業は、「生きること」そのものだと気付いた。
▲ドラゴンフルーツの花は夜ひらく。事前に予約すれば、夜の花見見学も可能
元来が、「人の作った道を進むのはキライ」な性分だ。新規就農者が選びがちな野菜類は見向きもせず、最初に栽培を始めたのはアセロラだった。
当時、ジュースなどの加工品しか流通していなかったアセロラ。酸味が強い果物だと誰もが思っていたが、実は「フロリダスウィート」という甘い品種があると知った渡辺さん。どうしても食べてみたい、と始めたのがアセロラ栽培だった。これは現在も美濃加茂支店のハウスで続けられているが、実はこの「フロリダスウィート」がドラゴンフルーツ栽培へと渡辺さんを導く。
▲こちらは「ヘイレーズコメット」という品種。日本で言う、ハレー彗星の名を持つドラゴンフルーツだ
「フロリダスウィート」という品種名が示す通り、苗を手に入れるならフロリダだろうと現地を訪れた渡辺さん。2度目の買い付けの際、農園主から薦められたのがドラゴンフルーツの一種「イエロードラゴン」だった。
ドラゴンフルーツを食べた経験はある。しかし記憶にあるのは、もう一度食べたいと思える味ではなかった。
薦められるまま口にしたイエロードラゴンに、渡辺さんは衝撃を受ける。

こんなにおいしいのに、ほとんどの日本人はその存在すら知らない。当然、認知度も販路も確立されていない。つまり自分たちが、ゼロから市場を作り上げることができる。
「面白い仕事になる」。直観的にそう考えた渡辺さんは、さっそくドラゴンフルーツの苗を手に入れた。
▲これが、渡辺さんのその後の人生を決定付けたフロリダのイエロードラゴン。その写真は今も大切に保管されている
しかし、相手は中南米原産のサボテン科。国内で参考にできるような栽培例もない。「誰もやったことがない、それがいい」とは言え、道はあまりに厳しかった。
最初に購入し美濃加茂のハウスに植えた苗は、日差しが強すぎ半数以上が枯れた。ドラゴンフルーツが求める光とおいしい水、そして十分に甘さを引き出す寒暖差のある土地。それを求め、たどり着いたのが奥飛騨温泉郷だった。

ドラゴンフルーツの成長が活発になる4~6月。意外なことだが、奥飛騨温泉郷の日照量は南国九州にも引けを取らない。さらに標高1,000m近い環境は、強い寒暖差を生む。もちろん冬場は氷点下まで冷え込むが、そこは土木施工管理の経験と、この土地に伝わる熱交換技術が活きた。
約70度という高温の源泉によって加熱した水を、地下に埋設したパイプに流し床暖房の原理でハウス内を暖める。すると厳冬期でも、ドラゴンフルーツが根を張る地面の温度は20~30度、室温は10度を保つことができる。
ここなら、美味しいドラゴンフルーツを育てられる。
最初から、その自信はあった。でももしかしたら、ドラゴンフルーツたちに「ここがいい!」と、導かれたのかもしれない。渡辺さんは、真顔でそう語る。
▲社名の由来は「FRUITS+MUSIC」。MUSICは音楽に限らず、会話も含むあらゆる「音」を意味する。だから渡辺さんは、ドラゴンフルーツたちとしばしば会話する。その方がドラゴンたちも楽しく育ち、おいしい実をつけるから
自信はあったものの、夜温の低さにドラゴンフルーツたちは耐えられるのか、最初はやはり心配だったという。そこで寝袋をハウスの床に広げ、ドラゴンフルーツと同じ環境で夜を過ごしてみることにした。自分が大丈夫なら、この子たちも大丈夫だろう、と。
「この子たち」、渡辺さんはドラゴンフルーツをそう呼ぶ。「この子たちのポテンシャル(潜在能力)をどうしたら引き出してあげられるか、なんですよ」とドラゴンフルーツを見つめる眼差しは、まるで我が子の成長を慈しむ父親のようだ。

ちなみに寝袋は、まだハウスの中にある。それどころか今も、週の半分はドラゴンフルーツたちと添い寝する。ここまで来ると温度管理のためというより、ドラゴンフルーツが好きでたまらないから寝る時も一緒、そういうことだ。
そんな渡辺さんが育てたドラゴンフルーツ。どんな味をしているのか、いただいてみることにした。
ご覧の通り、品種により果肉の色が異なるドラゴンフルーツ。現在、約30種類が「FRUSIC」のハウスでは栽培されている。
ドラゴンフルーツの収穫期は例年、3月中旬から12月初旬まで。「ドラゴンフルーツの食べ比べ(税込2,000円)」では、その時々で最高においしい実を収穫、6~7カットを取り合わせ提供される。
この日いただいたのは、写真右上・ショッキングピンクが鮮やかな「ブードゥーチャイルド」から時計回りに、果肉の白い「トンプソン」、「ディライト」、渡辺さんが自ら開発した新品種(名前はまだない)、「ダークスター」、「マキスパ」、再び命名待ちの新品種、「イエロードラゴン」、「オレンジドラゴン」の9種類だ。
▲こちらがオレンジドラゴンの実。名前の通り、きれいなオレンジ色の果皮を持つ
ずいぶん昔、南の島で朝食にドラゴンフルーツが並んだことがある。あの時のドラゴンフルーツに似た白い果肉の「トンプソン」からいただくことにする。
一口かじるなり頭に浮かんだのは、「違う、ぜんぜん違う」という言葉。これが同じドラゴンフルーツなのか、疑いたくなるほど味が濃く、そして甘い。
品種により、さっぱりした甘さ、トロリと濃厚な甘さ、鼻に抜けるような香りと、味の特徴はそれぞれ異なる。しかし食べ進むにつれ、深まっていくのは「私が昔食べたアレは、何だったのか」という疑問だ。

自分の中の「ドラゴンフルーツ」に関する認識がキレイさっぱり消えてなくなる爽快感と、今まで味わったことのない「おいしい果実」を知った満足感。ひと皿でこれほど脳が刺激される食べ物は、他にないかもしれない。
収穫期に関係なく、いつでもおいしくドラゴンフルーツを楽しんでほしい。そんな思いから、「FRUSIC」ではジャムやジュースなど様々な加工品も販売している。
その中の一つ、ジャムをソースとしてトッピングしたのが「ドラゴンソフト(税込400円)」だ。ヨーグルト風味のソフトクリームに、甘く濃厚なドラゴンフルーツのジャム。爽やかな酸味と甘みはまるで、上質なレアチーズケーキのよう。リピーターが多いというのも、納得の味わいだ。

ご紹介した2つのメニューをいただけるのは、「FRUSIC」のハウス前にある喫茶店「那由他(なゆた)」。併設の売店では加工品だけでなく、収穫期であればドラゴンフルーツのフレッシュ果実を購入することもできる。
▲売店に並ぶフレッシュ果実。品種・サイズにより価格は変動するが、この日並んでいたのは1個で税込1,000円から2,000円ほど
実はこちらの喫茶店とも、渡辺さんは不思議な力でつながっている。
縁もゆかりもなく、身ひとつで奥飛騨に土地を求めやってきた渡辺さん。「こんな場所で南国フルーツなんて」と誰も取り合ってくれず、途方に暮れて入った喫茶店が「那由他」だった。
会話の端々から事情を察したのだろう。名前も知らない若者に突然、「だったら俺の土地を使え」と声を掛けてくれたのが「那由他」のマスターだった。
マスターもまた、ドラゴンフルーツに導かれた一人なのだろう。あなたもひょっとしたらここで、ドラゴンフルーツの導きを得られるかもしれない。
元気に育つドラゴンフルーツたちと渡辺さん。その土地にしか存在しない環境から、そこにしかないものをつくり出す。そうすることで仕事が生まれ、都会から人が集まり、町が活性化し、いつしか格差も消える。
賢しげに理論を振りかざすのではなく、不器用でも自ら身体を動かし、時間がかかっても汗をかくことで実現する地方再生。渡辺さんが目指したものはいま、着実に花開きつつある。
船坂文子

船坂文子

農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。

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