その濃密さが命を支えた。郡上の奥の奥、伝説の「母袋燻り豆腐」を求め、800年の歴史と古道をたどる旅へ

2015.11.02 更新

スモークされた豆腐、通常より大量の大豆からつくられる豆腐と聞いて、その味が想像できるだろうか。平家の落人によって伝えられたとも言われる「母袋(もたい)燻り豆腐」。現存する唯一の地は、郡上の深い山の中。いにしえの鎌倉街道をたどる旅に出よう。

故郷を思う昭和の男が、
消滅の半歩手前から「母袋燻り豆腐」を救った

「母袋(もたい)」。何とも謎めいた響きだが、これは岐阜県郡上市大和(やまと)町に存在する地区の名で、川岸などにある袋状の小盆地を指す言葉が由来らしい。伝承によれば、その母袋地区で鎌倉時代からつくられているのが「母袋豆腐(もたいどうふ)」と、それを燻した「母袋燻り豆腐(もたいいぶりどうふ)」だ。

母袋地区へは、東海北陸道を「ぎふ大和」ICで下り、長良川を左手に眺めながら国道156号線をしばらく走る。「母袋温泉スキー場」の案内を頼りに道を東に折れると、のどかな田園風景が広がっていた。
このあたりから電柱をよく見ると、「母袋工房」「燻り豆腐」の看板がそこかしこに現れ始める。道の両脇には、注連縄で祀られた杉や松の巨木が涼しげな影を落とし、ここがかつて白山詣でや鎌倉街道への宿場として賑わった場所だと思い起こさせた。
道はやがて深い山間へと進み、ついには人家も絶える。方向は合っているのか心許なくなった頃、視界が突然開けた。
険しい山肌に張り付くようにして家々が点在し、田では黄金の稲穂が風に揺れている。挿絵のように美しい里山の風景を縫うように走ると、ほどなくして目指す場所、「母袋燻り豆腐」を製造・販売する「母袋工房」と、併設の豆腐・湯葉料理店「奥の奥」に到着した。
「奥の奥」。実に的を得た名前だ。これより先はスキー場があるだけの行き止まり。店の裏手を流れる栗巣(くりす)川の源流点も歩いて行ける距離だ。
店の前を通るのは、鎌倉時代に各地と鎌倉を結んだ鎌倉街道だという。奥の奥の先、山の上へとかつての街道は続き、ここから旅人たちは山越えの旅に挑んだ。現代と異なり、旅は命懸けの事業。体力維持が何よりも重要だった。
そんな旅人たちを支えたと伝わるのが、大量の大豆を用いることで栄養価を高めた「母袋豆腐」を、囲炉裏の煙で燻し保存性を持たせた「母袋燻り豆腐」。都を逃れた平家の落人が伝えたという説もあるが、正確なことは分かっていない。ただ、携帯保存食として道行く旅人たちに大変重宝されたことは確かだ。

昭和の初めごろまでは、ごく当たり前に各家庭でつくられた母袋豆腐。囲炉裏の「火あま」(下写真)に吊るして燻し、お歳暮として贈る習慣も残っていた。しかし時代が変化する中、母袋地区でも豆腐は「お店で買うもの」となり、自家製の母袋豆腐が食卓に並ぶ家庭は急速に数を減らす。囲炉裏もガスレンジやストーブに取って代わられ、燻し豆腐はつくる環境すら奪われた。
「母袋豆腐」と「母袋燻り豆腐」が、誰に気付かれることなく消滅するのも時間の問題となった昭和末期。一人の男が、時代の流れに抗い始めた。
その男の名は、筧 政之助(かけひ まさのすけ)。母袋地区の一大産業であるスキー場の建設に参加、後に町会議員も務めた人物である。それだけに、減り続ける人口と失われる活気に心を痛めてきた。
町の賑わいを取り戻すため、何かできないか。考え抜いた末に思い浮かんだのが、子供の頃に食べた「燻り豆腐」の記憶だった。
鎌倉時代より母袋の地にのみ伝わる郷土食を産業化し、地元に雇用を生む。それだけでなく「母袋燻り豆腐」を通じ、広く全国の人々にこの地を知ってもらう。町おこしのアイデアとして、他にない妙案と思われた。

しかし一つ、大きな問題があった。当時すでに、母袋豆腐の製法を知るのは高齢の婦人ただ一人。彼女が死ねば、母袋豆腐も死ぬ。とにかく急いで誰かが製法を学ばねばならない。そこで政之助氏は、自ら教えを受けることにした。
ちなみに政之助氏は昭和13年生まれ、男子厨房に入らずの教えを守り通した世代だ。当然それまで料理などしたこともないし、味に格別うるさい通人というわけでもない。そんな昭和の男が、懸命に母袋豆腐づくりを学んだ。燻しの段階では、様々なスモーク材を試しては町の人々に意見を求め、最も味わい深い「桜材」へと辿り着く。
こうして、消滅の瀬戸際から復活した「母袋豆腐」と「母袋燻り豆腐」。今日も静かな母袋の山間で、政之助氏と妻、息子の嫁、そして地元の人々がつくり続けている。その製法を簡単にご紹介しよう。
まずは通常の豆腐よりはるかに大量の大豆を用い「母袋豆腐」をつくる。例えるなら、非常に味が濃く、しっかりした木綿豆腐が近いかもしれない。
水を切り、木綿を被せたら、郡上味噌・みりん・出汁を合わせた特製の味噌を丁寧に塗り込む。これを一昼夜寝かせ、ゆっくり水分を抜き、味噌の味を浸み渡らせる。
どうにも気になったので、お願いしてその味噌を一口舐めさせていただいた。郡上味噌特有の濃厚な味に出汁の旨み・みりんの甘み。これにお湯を注げば、絶対おいしい味噌汁になる。
そして手作りの燻製機で燻すこと約1時間。途中4回ほど、煙の状態を確認し桜材のチップを追加する。
燻製機の扉を開けると、内部はもうもうたる煙。一瞬で前が見えなくなるが、煙は桜特有の香ばしい匂いがする。写真は工程の半ばだが、「母袋豆腐」はもう琥珀色に色づく「母袋燻り豆腐」へと変化しつつあった。
棚に並ぶ姿は、卵たっぷりのパウンドケーキ、あるいはスモークチーズを思わせる。いずれにしろ「洋」のイメージで、とても「豆腐」という感じはしない。「母袋燻り豆腐」とはいったいどんな味がするのか。謎を深めつつ、「奥の奥」に場所を移すことにした。

母袋燻り豆腐の、思いがけない味
あなたはどんなノスタルジーを、この豆腐に見い出すだろう

2名以上・予約制で現代の旅人をもてなす「奥の奥」は、母袋工房でつくられる豆腐を中心に、豊かな山と川の恵みを活かした料理のお店。静かな佇まいとは裏腹に、扉を開けて間もなく旅人はびっくり仰天するだろう。それが写真の、「引き上げ湯葉」食べ放題の席、その名も「湯葉の館」だ。
中古業者から購入したのだが、どこの誰がいつ製造したか詳細は不明。湯葉の材料である豆乳で満たされた槽が、30cm×15cmほどの枠で仕切られている。この枠ごとに目の前で出来上がる湯葉を、自ら引き上げいただくという趣向だ。
ちなみに数えてみたら、枠は左右それぞれ15列ずつ。なんと最大30枚の湯葉を、片っ端からいただくことができる。これを開発した人物はきっと、無類の湯葉好きに違いない。
何より面白いのは、好みの具合で湯葉を引き上げいただけることだ。ざっくり計測したところ、豆乳の表面に湯葉の膜が生じるまで2分。このタイミングなら、おぼろ湯葉といったところだ。待てば待つほど湯葉は厚くなり、しっかりした歯ごたえとなる。
国中探しても、他にあるかどうか分からないというこのセット。いきなりテンションが上がるのも、やむなし。
いただいたのは、母袋会席(税抜4,000円)。山川の恵みは移ろうため季節によって変わるが、引き上げ湯葉の食べ放題に続くこの日の献立は、

先付 前菜…政之助氏の妻が春に採り、保存しておいたフキとウドの煮物、味付きこも豆腐の卵巻き。そしてミニトマトに合わせた母袋燻り豆腐だ。
▲チーズを使ったオードブルと見紛う、ミニトマトに合わせた母袋燻り豆腐、マヨネーズ添え

ウドというと、アクが強く苦手という人もあるが、保存されることでエグみは完全に抜け、山の香りと滋味だけが残る。フキと合わせ、秋に春を思う一品だ。燻り豆腐については後ほど詳しくご紹介する。
揚物…春ならもちろん山菜づくしだが、秋はミョウガ、シイタケ、むかご、湯葉、豆腐、エゴマの葉の天ぷら。大葉に見えるのがエゴマの葉で、岐阜では昔より葉から実に至るまで食されてきた植物だ。近年は、エゴマ油の健康増進効果が全国的にも注目されている。

豆乳茶碗蒸し…こちらの豆乳は、引き上げ湯葉と同じものを使用。甘く柔らかい豆乳で、茶碗蒸しが苦手な私も思わず完食。
よせ豆腐…水に晒していない、いわばすっぴんの豆腐。それだけに、良い畑で育った豆の、しっかりした味が口に広がった。おいしい大豆は甘い、それを実感できる一品だ。

焚合…シイタケ、ニンジン、飛竜頭(ひりょうず)。飛竜頭に用いられるのはもちろん、母袋豆腐。

おからのサラダ…ポテトサラダのようなマヨネーズベース、おからにはこんな使い道もあるのかと驚かされた。
豆腐田楽…甘辛い味噌を、軽くあぶった母袋豆腐にのせた王道の田楽。中央が郡上味噌、左右は赤味噌。味噌カツが理解できない方には、郡上味噌がお勧めだ。

川魚焼物…この日は鮎塩焼き。鮎にもいろいろあるが、釣ったばかりの天然鮎を食べて育った私も太鼓判を押す、これは良い鮎だ。

魚造里…川魚の刺身は苦手という方も安心、新鮮な海のお刺身。この日はイカ・サーモン・マグロが並んだ。
釜飯…おいしいお米を、おいしい水で釜炊きにする。それだけでおいしくないはずがない。さらに、ワラビ・姫竹など山の香りが加わる贅沢な炊き込みご飯。

赤だし…燻り豆腐の漬け込みに用いる、あの味噌でつくられた味噌汁。舐めた時、味噌汁にしたいと思ったのはやはり大正解。味噌のうまさが臓腑に沁み渡る。具はもちろん、賽の目切りの母袋豆腐。

デザート…豆乳ゼリーは千歳飴のような、素朴で懐かしい甘さ。サッパリしているので、食後のデザートにぴったりの和スイーツだ。
さて、燻り豆腐である。その質感は「濃度」というよりむしろ「密度」の高い豆腐で、スライスされた滑らかな断面はまるでチーズのよう。芳しい桜の煙と、郡上味噌の香り。つくづく、これが豆腐だとは信じられない。

一口いただくなり、強烈なノスタルジーを呼び覚ます味噌の味が広がった。子供の頃、祖父母の家にいつも漂っていたあの匂い。甘いような切ないような、純朴な記憶の味だ。
そして噛むほどに、戸惑うくらい魚の旨みが現れる。マヨネーズと合わせれば、まるで上質なスモークサーモンだ。

どういうことか、製法を思い出し合点がいった。一昼夜漬け込んだ郡上味噌に合わせた出汁。そこに含まれる鰹の旨みが、母袋豆腐にここまで深く染み込んでいたのだ。
最後に残るのは、大豆の健やかな甘さ。どういうわけか、ここに来るまでの道すがら見かけた田畑を思い出した。
昔話に出てくるような、里山の人と暮らし。これらを「日本人の原風景」として、再評価する動きが近年高まっている。その背景には、失われつつあるそうした風景を守ろうという危機感があるのだろう。

今から20年以上前、生まれ育った里山の暮らしを守るため奮闘する男がいた。その結晶である「母袋燻り豆腐」はもしかしたら、「日本人の原風景」そのものの味なのかもしれない。
船坂文子

船坂文子

農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。

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