少年たちはその川で男になる。水清き郡上八幡を、まちなみ観光案内人と語り歩けば、あなたもきっと踊り出す
日本名水百選の第一号として登録された「宗祇水」を始め、「水の町」として知られる郡上八幡。人々の暮らしは水の流れと共にあり、清流吉田川は夏、少年たちにとって大切な通過儀礼の場となる。ここで実際に暮らす人々が語る言葉を通じてこそ、見えてくる郡上八幡の真の姿。「まちなみ観光案内人」と巡る、郡上八幡の旅へ出かけよう。

おひとり様も利用可能
ガイドブックを捨てて、旅に出よう
しかし「郡上八幡まちなみ観光案内人」というサービスなら、それを知ることができる(1週間前までに申し込み。1回90分以内、案内人1名につき税込2,700円)。この町で育ち、恋をして、大人になり、やがて親として生きてきた郡上人が、自らの言葉で町を語り、案内してくれるのだ。
おすすめコースは、郡上八幡の見どころを中心に構成したA・Bの二種類あるが、あなた好みにアレンジも可能。
今回お願いしたのはAコース、待ち合わせ場所となる「郡上八幡博覧館」からスタートするコースだ。


内部は、郡上八幡の歴史・伝統・水環境などテーマ別に展示が行われているが、見逃せないのは「郡上おどり実演」。11時・13時・14時・15時の1日4回、郡上おどりの名手が浴衣姿で代表的な曲目を踊ってくれる。

毎年8月13日から16日までの4日間行われる、「徹夜おどり」で有名な「郡上おどり」。踊りの多くは、いくつかの所作の繰り返しだから、見よう見まねでもそれなりに踊れるようにはなる。しかし基本の動きをマスターすれば、踊る姿は格段に違ってくる。いつか踊り手の一人として参加する日のため、「郡上おどり実演」をぜひ活用してほしい。

ここや、ここ、と気軽に案内して下さった軒先に、バケツがぶら下がっている。
住宅が密集する郡上八幡には、二度の大火に見舞われた苦い記憶がある。消火器という便利な器具が普及した今でも、やはり頼りになるのは使い慣れた消火用バケツ。防火槽は必要ない。目の前を流れる水路から、息もぴったりバケツリレー。幸い大きな火事は久しく発生していないが、備えは怠らないのが故郷を守る心意気だ。

土地が限られるから、間口の狭い住宅が密集したのかと思いきや、理由は節税対策。江戸時代、税は建坪ではなく「間口の幅」に対し課された。だから間口は狭く、奥へ奥へと部屋を連ねることで居住空間を確保したのだ。いつの時代も、税と庶民の格闘に終わりはない。

決まりというわけではないけれど、新しい家を建てる時もやっぱり袖壁はつけるねぇ、と話す塚原さん。見上げる我が家に袖壁がないと、何だか落ち着かない。これが郡上人のDNAに組み込まれた、家のカタチなのだろう。

なぜ「宗祇水」だったのか。塚原さんに尋ねてみると、宗祇という人物の歴史的評価の高さが大きいのではないか、という答だった。
宗祇(1421年~1502年)は室町時代の連歌師で、芭蕉・西行と並び称される旅の歌人。彼の生きた室町時代、連歌は都を中心に全国的な大流行を見せていた。いわば宗祇は連歌界のスーパースター。そんな有名人が、草深い郡上に三年も滞在したという。その理由を、塚原さんは静かに語りはじめた。

特筆すべきは、古今和歌集の解釈を秘伝として口頭伝授する「古今伝授(こきんでんじゅ)」の資格を持つ、ごく限られた人物の一人であったこと。宗祇が郡上を訪れたのも、常縁から古今伝授を受けるためだった。
常縁の館に通うため、宗祇が庵を結んだ場所は吉田川と小駄良(こだら)川の合流点付近だと言われ、今は公園になっている。
古今伝授を始めて三年。ついにすべてを授かり、都に戻る宗祇を常縁が見送ったのが「宗祇水」の地。ここで二人は互いに歌を詠み交わし、歌人らしく別れを惜しんだ。

山に降った雨が長い時間をかけて地中に浸透し、再び地上に現れたばかりの新鮮な湧水を、塚原さんと並んで一口。
うまいなあ、うまいやろ?、うまいです、うまいやろう
奇妙な応酬が続いたが、それ以外に表しようのない味も世の中にはあるのだ。

最近は岐阜の子供も、スイミングスクールなんて洒落た場所に通うようだが、郡上っ子たちが泳ぎを覚えるのは今も川。岐阜県人たるもの、かくありたいものである。
その小駄良川沿いに木造三階建て・四階建ての住宅が並ぶ風景もまた、郡上八幡ならではの暮らし方。窓を開ければ涼しい川風が吹き込み、その心地よさと言ったらクーラーの比ではない。窓から釣り糸を垂れる、そんな贅沢も川辺の住人ならではの特権だ。

ここしばらく雨が降っていないため、今日の吉田川は抜群の透明度。宮ヶ瀬橋はかなり高さがあるが、それでも見下ろす川底の石を数えることができた。

この町はね、信号が一つもないんだよ。
郡上八幡市街の中心部は、車両通行規制があるわけではない。交差点はむしろ多い方で、十字・T字と至る所で道は交差する。だが、どこを見回しても信号がない。
景観保護のためではなく、昔からなかった、だから今もそのままなだけ。
そりゃあ、ちょっとした接触事故くらいたまにあるけど。信号がないから事故が多い、ってことはないねえ。
飄々と語る塚原さんの言葉に、郡上人の譲り合う美しい交通マナーを見た気がした。

「郡上おどり」の始まりは江戸時代。日本史上もっとも壮絶と言われる郡上一揆の後、荒廃した領民の融和を願う新藩主が、村ごとに行われていた盆踊りを城下の一か所に集めた。
さらに、「盆の四日間は身分の隔てなく無礼講で踊るべし」と宣言。士農工商の身分制度が厳格に定められていた江戸時代、それを覆した藩主の英断は後世に誇るべきものだろう。
喜んだ人々は、こんな楽しい盆踊りなら4日と言わずもっと長く続けたい、と日程を伸ばしつづけた。その結果、7月第二土曜から9月第一土曜のうち33夜、開催される日本一長い盆踊りとなった。
郡上市の人口は約4万人だが、「徹夜おどり」当日は会場周辺だけで5万人以上に膨れ上がる。つまり踊り手の半数以上は観光客、だが郡上人はそんなことを気にしない。殿様が身分の隔てを排したように、踊りの輪に加われば誰もがみな郡上人なのだ。

幅1mにも満たない小川なのだが、アユ、イワナ、アマゴ、ハエなど土地の魚と、大きく育った鯉が群れ泳いでいる。

食べごろサイズに育ったイワナもずいぶんいるが、ここで魚を捕る悪童はいないそうだ。見上げた心映えである。

しかしここは水の町。郡上八幡らしく一服できる場所も、建物の前にある。

今も多くの家庭や町内で水舟は利用され、一部は観光客の喉を潤す水飲み場として開放されている。心づくしの茶碗や柄杓に、郡上人の優しさが見える。

誤解しないでほしいのは、子供たちは単に面白いから飛び込んでいるのではない。彼らにとって新橋からの飛び込みは、少年を卒業し、大人の男の入口に立つ通過儀礼。その時を迎えるのは早い子で小学校高学年、たいていは中学に進んでからだ。
塚原さんにも息子がある。しかし、彼も新橋から飛び込んだはずだが、いつのことかは知らない、とずいぶん淡白だ。というのも新橋からの飛び込みは、親の許可を得て行うものではない。親もまた干渉しない。少年たちだけで守り継ぐ伝統なのだ。

若者は時として、無謀と勇気を履き違える。怖じ気づいた自分に打ちのめされても、そこからまた這い上がればいい。人生にとって大切な教訓を、郡上の少年たちは新橋の上で学んで大人になる。



最近の小学生はダンスが必修らしいが、岐阜県人として正しい教育を受けた私は、体育の授業で「かわさき」と「春駒」を習った。だから一応、この二曲は踊ることができる。
しかし、本場の踊り手はやはり動きのキレが違う。洋装にも関わらず、足さばきが艶っぽい。だが、旅の恥はかき捨てと言う。下手でも楽しく踊って別れる、これもまた郡上八幡流の旅なのである。

“郡上のなア、八幡出て行く時は、雨も降らぬに袖絞る”
雨も降らないのに、なぜ絞るほど袖が濡れるのか。その所以は、江戸時代に起こった百姓一揆にある。
藩主の過酷な年貢の取り立てに苦しんでいた郡上の人々。堪えかね一揆が勃発する都度、役人は交渉の席に就いたが、約束は口先ばかりで一向に藩政が改まる気配はない。残されたのは、江戸に上り幕府に直訴するという最終手段しかなかった。
たとえ藩主に非ありと認められたとしても、直訴はそれ自体が大罪。首謀者は死罪が必定だ。どうしても生きる望みなど見つからない、そんな旅に出る訴人たちを見送る場面を描いたのが、「かわさき」の歌詞。拭っても拭っても涙は溢れ、ついに袖は絞るほど濡れた。それでもまだ、涙は尽きることがなかったろう。

先にご紹介したとおり、一揆後の荒廃した人心融和を願い始まった郡上おどり。だからこそ、罪人である訴人を大っぴらに悼むことを憚ったのだろう。悲壮な別れの場面を「雨も降らぬに袖絞る」と、かくも美しく歌い上げた郡上人。その暮らしと心の真ん中を、今も川は流れ続ける。
(一財)郡上八幡産業振興公社
岐阜県郡上市八幡町島谷520-1
[案内料金(税込)]案内人1名につき 2,700円 ※1回90分以内
追加料金(30分毎)/540円
キャンセル料金/当日キャンセル 100% (連絡なく30分以上の延着となった場合も、キャンセル料が必要となります)
※1名様よりご利用いただけます。
※ご案内料金には、施設の入場料等は含まれておりません。ご希望により観光案内中に発生する費用(施設の入場料、駐車料、お食事料等)は、ご依頼主様のご負担となります。
[申込方法]利用日の1週間前までに、ホームページの「案内人依頼フォーム」よりお申込みいただくか、依頼書をFAXにて送信ください。
0575-67-1819

船坂文子
農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。
岐阜県で体験できるプラン
-
オンライン予約OK
【岐阜・飛騨古川】天然木のカッティングボード(まな板)作り …
約60分|3,000円(税込) / 人
飛騨・高山・白川郷
-
オンライン予約OK
【岐阜・飛騨古川】天然木の珈琲ドリップスタンド作り 飛騨職人…
約60分|3,500円(税込) / 人
飛騨・高山・白川郷
-
オンライン予約OK
【岐阜・飛騨高山】大ヒット映画で有名!飛騨高山の丸台で本格的…
約15分|2,500円(税込) / 人
飛騨・高山・白川郷
-
オンライン予約OK
【岐阜・飛騨高山】本格的なオリジナルさるぼぼ作り(15cmプ…
約15分|2,500円(税込) / 人
飛騨・高山・白川郷
-
オンライン予約OK
【岐阜・飛騨高山】本格的なオリジナルさるぼぼ作り(6cmプレ…
約15分|2,000円(税込) / 人
飛騨・高山・白川郷