魚介のだしが決め手!月島「しなのや」のもんじゃ焼き

2016.02.06

東京・月島の名物としてすっかり定着したもんじゃ焼き。地域の活性化を目指す「月島もんじゃ振興会協同組合」に加盟する店だけでも約60店舗あるという。観光で訪れた人はどの店へ入ればよいか途方にくれてしまうだろう。そこで今回は、筆者のおすすめとして、魚介のだしが効いた和風味が特徴の「しなのや」を紹介する。

▲「しなのや」の店内。間口は狭いが奥行は広い

ソースの香り漂う「もんじゃストリート」を行く

東京メトロ有楽町線もしくは都営大江戸線の月島駅を出ると、まず目に入るのが清澄(きよすみ)通り。ここから2本ほど隅田川寄りに入ると、そこが西仲通り商店街、通称「もんじゃストリート」だ。目指す店「しなのや」はその三番街にある。
▲「しなのや」がある三番街はアーケードに隠れているが、古い建物が並ぶ
▲黄色いのれんが目を引く外観

「しなのや」は、現店長の岡戸秀樹さんのおじが2001年に始めた。「しなのや」という屋号は、月島育ちのおじの家系のルーツが長野県の諏訪だからだという。おじが体調を崩したのをきっかけに、もともと繁忙期には手伝いにきていたという岡戸さんが2011年に引き継いで、いま6年目になる。ちなみに岡戸さんは北区・赤羽出身でもとは製造業の営業職だったとか。
▲店長の岡戸秀樹さん(左)と妻の由夏さん
▲店内には関取など著名人のサインが。関取が満足した味ならば……と期待感が高まる

インパクト抜群!この大きな明太子を見よ

▲一番人気の「明太もちチーズもんじゃ」。明太子が大きい!

詳しい作り方は秘密だというが、「しなのや」のウリは、鰹節や昆布を用いた和風の魚介だしだ。
「何店も食べくらべてみましたが、『ウチのはおいしい』と思ったので、おじの代から味は変えていません」と岡戸さん。
極端なことをいえば、もんじゃ焼きは小麦粉を水に溶くだけでできてしまうというが、だしに力を入れることで味に旨みが生まれ、お客さんの支持を得ている。

メニューのなかで人気なのが「明太もちチーズもんじゃ」(税込1,550円)。近くの築地市場から仕入れているという明太子がとにかく大きくてびっくりする。それだけでなく、汁やキャベツの量も他店にくらべて多いような気がする。
岡戸さんとともに店を切り盛りする奥さんの由夏さん(月島出身)に焼いていただいた。焼き方は次のとおりだ(焼くのは自分で焼いてもいいし、店員さんに頼んでもいい)。
▲「明太もちチーズもんじゃ」。具材は明太子ともち、チーズのほか、キャベツ、揚げ玉、切りイカ、サクラエビ
▲1.油をうすく引いて十分に熱くなるのを待つ
▲2.キャベツと明太子、もちをそれぞれ焼く
▲3.キャベツは刻むように焼く。こうすると甘みが出る
▲キャベツをリズムよく刻む由夏さん
▲4.ドーナツ型の土手を作る
▲5.土手の中央に明太子を置いて、土手の内側に汁を流し込む。汁は何回かに分けて土手から溢れないように入れる
▲6.もちも土手のなかに入れる
▲7.汁にとろみが出たら全体を混ぜる
▲8.最後にチーズを振りかけて完成
▲ハガシ(小さいヘラ)ですくって食べる

コクがあるから何もつけなくてもうまい

「何もつけずに食べてみてください」と言われたとおりに食べてみると、たしかに魚介の旨みを感じる。しっかりと魚介でだしをとったラーメンのスープのようなコクがある。だしのほかに少しソースも入れているのだという。ソースをつけなくてもどんどんハガシが口に進む。

明太子のつぶつぶとした食感と、もち&チーズのとろみが口のなかで合わさって、なんともいえない幸福な気持ちになった。
少し焦げた部分がまた香ばしくてうまい。
しっかりとだしがきいているからか、「食べたなあ」という満足感がしっかり残った。
水っぽくて安っぽいおやつのもんじゃではない、大人の食事のもんじゃである。
「しなのや」は、2016年2月中旬に「もんじゃストリート」の四番街に支店「しなのや別邸」をオープン予定。こちらも楽しみだ。
▲ハガシにのせて熱々を食べる
▲こういう焦げたところがうまい

隅田川沿いを佃島に向かって散歩する

お腹がいっぱいになったところで、店をあとにして隅田川に向かって歩いた。
岡戸さんと由夏さんが散歩スポットとして挙げてくれた住吉神社と佃大橋に向かうためだ。
月島3丁目児童遊園という小さな公園から隅田川沿いの遊歩道に降りることができた。
▲隅田川沿いの遊歩道から佃大橋方面を眺める

ここで月島の場所をよく知らない方のためにその位置を説明しておくと、簡単にいえば、隅田川をはさんで銀座や築地の対岸である。
じつは明治から大正時代にかけて、隅田川河口の佃島の南西にあった三角州が埋め立てられてできた人工島だ。第一次世界大戦(1914~1918年)前後の好景気を受けて、金属・機械工業の工場が集まり、その従業員と家族が住むようになって町ができた。
昭和63(1988)年に営団地下鉄(現東京メトロ)有楽町線が開通するまでは、都心でありながら不便な場所で、比較的開発が進まずに古い町並みが残った。
▲月島と佃島の位置関係。佃大橋を渡って5分ほど歩くと有楽町線の新富町駅

遊歩道沿いの東京都建設局の案内板には、月島のもんじゃ焼きの由来が書いてあった。

《1954年に飲食店としてもんじゃ店を開いたのを筆頭に、10年に数軒の割合で増え始め、90年代始めには情報誌等の影響で一大ブームが到来し、以後も大変な賑わいを見せています。戦前からの商店が次々ともんじゃ店に変わるなど、個性的な「もんじゃ」屋の世界が広がっています。》

どうやらもんじゃ焼きの店は人気が人気を呼んで自然と増えていったようだ。

大阪の漁師たちが移り住んだ佃島

隅田川を5分ほどさかのぼって佃大橋の橋げたをくぐると、そのあたりが佃島。
江戸時代のはじめに徳川家との縁で大阪の佃村の漁師たちが移住してきた土地として知られている。「佃煮」の発祥の地であり、大阪の住吉大社の分社である住吉神社がシンボルだ。
住吉神社は隅田川の土手のすぐ内側あって、細い路地と小さな民家に囲まれている。近くに木造の古い店構えの佃煮屋もあり、この一角だけ奇跡のような下町の風景が残されている。
▲佃島の住吉神社
▲佃堀にかかる小さな橋、佃小橋の上から見た船だまり

佃大橋に上がると、下流の勝鬨橋、上流の中央大橋のライトアップが美しい。中央大橋の先には東京スカイツリーも見える。
ここまで歩いてくると、ちょっとおなかが空いてきて、もんじゃストリートがまた恋しくなった。
▲佃大橋から見た勝鬨橋
▲佃大橋から見た中央大橋と東京スカイツリー
大塚真

大塚真

編集者・ライター。出版社兼編集プロダクションの株式会社デコに所属。最近編集した本は、服部文祥著『サバイバル登山入門』、松崎康弘著『ポジティブ・レフェリング』(ともにデコ)ほか。ライターとしては『TURNS』(第一プログレス)、『BE-PAL』(小学館)などで執筆。

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