本美濃紙はなぜ世界の文化遺産として認められたか。あなたは40分で納得し、20分の紙すき体験で痛感する

2015.10.05 更新

2014年。本美濃紙が、細川紙・石州半紙と共に「和紙:日本の手漉和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。日本が世界に誇る「手漉和紙技術」とは、いかなるものか。頭と体と心で知る岐阜県美濃市の旅へ。

最近は和室のない住宅も増えているというが、「障子」や「襖」を知らない方はいないだろう。日本人は和紙に囲まれ生きているようなものだが、それだけに「和紙」の何がスゴイのか、実のところよく分からない。
岐阜県民でありながら、本美濃紙のユネスコ無形文化遺産登録を知っても、手すきだから評価されたのかな、くらいにしか思わなかった。
そこで今回、本美濃紙に代表される美濃和紙とは何なのか、どのようにつくられるのか、知ることができるうえに、紙すき体験もできる「美濃和紙の里会館」を訪れることにした。
「美濃和紙の里会館」は、常設展をすべて見て回っても40分ほどのコンパクトな博物館。しかし、全ての謎を解くには十分なほど、密度の濃い施設だった。

美濃の寒村から生まれた和紙が、
京都で世界の賓客を迎える

今回、特別に館内を案内してくださったのは、館長である船戸 友数さん。まずは、なぜ約1300年も前から美濃市で紙すきが行われるようになったか、から伺ってみた。

「美濃和紙の里会館」への道中でも実感したことだが、このあたりは山がほぼ垂直に川へと滑り込む地形をしている。このため、農地が少ない。
そんな環境で暮らす人々にとって、紙すきは数少ない生活の糧。功名心や野心からではなく、他に生きる術がないからこそ編み出され、細々と受け継がれる技術だった。
それが変わるのは、明治に入ってからのこと。旧幕時代、庶民に使用が許されたのは、半紙サイズ(習字紙とほぼ同形)のみ。これを新政府は自由化した。すると爆発的に普及したのが、それまで裕福な商人か武士・貴族の邸宅、寺社仏閣にしか存在しなかった「障子」だった。
広く庶民の住宅でも障子が用いられるようになると、必然的に「障子紙」の需要が増える。それに応えたのが、美濃和紙。紙すきを専業とする職人が増加し、美濃和紙の生産量は一気に拡大した。

しかしここで、ブームに乗り大量生産だけに走らなかったことが、後にその品質を高く評価されることへとつながる。
職人たちは考えた。人々は、何を障子に求めるだろう。
障子を通る、清々しい光で目覚める朝。我が家の障子に浮かぶ明かりに、ほっとする夜。人々の暮らしの中で、障子は常に光と共にある。だから障子紙で重要なのは、「光」だ。
こうして「光」をいかに美しく見せるかを追求する、美濃和紙の進化が始まった。
職人たちが考えたのは、まず「混じりけのない白」であること。そのためにこだわったのが、原料となる楮(こうぞ)。茨城県大子町産の那須楮が、色合い・繊維の質感とも最上として、現在も職人たちに愛用されている。
写真は、紙すき体験用に保管されている那須楮。原木から黒い樹皮をはぎ、白皮だけを乾燥させたものだ。ひと束は大人がようやく抱えられる大きさだが、ひょいと持ち上がるほど軽い。しかし取材時の相場で100g500円、国産牛肉並みの高級品なのだ。

しかし、良い原料を選ぶことで進化は終わりではない。ここからいよいよ、他の産地では思いもよらない、美濃和紙ならではの職人魂が燃え始める。
まずは水に浸すことにより、不純物「あく」を取り除き、原料を柔らかくする「さらし」という作業が行われる。2~3日、冷たい川に晒した後、繊維だけを取り出すため炭酸ソーダで2時間ほど煮る。これを、「煮熟(しゃじゅく)」と呼ぶ。

圧巻なのは、ここからだ。原料に残るわずかな黒皮などのチリや、変色した部分を取り除く「ちりとり」。どこの産地でも行われる作業だが、「ちりとり」に2日間もかける産地は美濃以外にない。
凍えるほど冷たい流水の中、人の目と指で徹底的に不純物を取り除く。この根性と気迫が、美濃和紙の「白さ」を生むのだ。
簀(す)を敷いた桁(けた)を用いて紙をすくのは全国共通だが、美濃和紙の最上級品である本美濃紙ともなれば、簀からして違う。写真の御簾のような美しい物が、本美濃紙に用いられる簀だ。

一般的に用いられる簀は、細い竹ヒゴを重ねながら結束して編まれる。しかしこうすると、簀の表面を走る糸目(写真で縦に走る白い線)が2本になる箇所がどうしても生じる。和紙をよく調べると、うっすら線が浮かんで見えることがあるが、これが糸目の跡。和紙であれば糸目が残るのは、宿命と言っていい。

しかし美濃和紙の職人たちは、避けがたい糸目の跡が光を遮ることさえ嫌った。しかもそれがところどころ2本に増えるなど、許し難いこと。「糸目さえも美しい」、これが美濃和紙職人たちが求めた「光を美しく見せる和紙」の姿だった。
そこで考え出されたのが、「かきつけ」もしくは「そぎつけ」と呼ばれる特殊な技法。0.5mmにも満たない竹ヒゴを斜めに切り合わせ、絹糸で結束。こうすることで、接ぎ目を極限まで滑らかにし、糸目がすべて1本の簀を実現したのだ。
そして最後は、紙すきの所作。美濃和紙の紙をすく動きは、女性的だと言われる。縦、横、と簀桁(すけた)を揺らす間、桁から紙料があふれることはない。
優しく揺らされ、繊維が複雑に絡み合うことで、美濃和紙は薄くても丈夫な紙となる。美濃和紙職人が「光を美しく見せる和紙」に求めた最後の条件、それは「美しく丈夫なこと」。美術品ではなく、暮らしの中で生きる品だからこそ、こだわった性質だった。

職人たちが追い求めた「どこよりも、光を美しく見せる和紙」。それが一目でわかる展示が上の写真。日本各地に点在する和紙を筒状の照明にしマッピングしたものだ。
もちろん、何を美しいと思うかは人による。しかし、日本国が海外の賓客をもてなす京都迎賓館では、障子はもちろん和紙照明に至るまで、用いられるのはすべて本美濃紙なのである。

紙すきに必要なリズム感、姿勢の良さ。
どれも持ち合わせない女に紙はすけるのか

一人前になるまで10年と言われる美濃和紙。本美濃紙ともなれば、さらに20年の修業を要するという。気の遠くなるような職人技の世界だが、その一端を「美濃和紙の里会館」では体感することができる。それが「紙すき体験」だ。
美濃和紙の基本「美濃判コース」では、すき上げた紙に楓など植物を入れることができる。「落水コース」なら、水をあてることで紙の表面に凹凸模様をつくる「落水紙」の技法を用い、動物や花の模様を浮かび上がらせることもできる。体験料金はいずれも税込500円(入館料別途)。所要時間は個人差があるものの、「美濃判コース」は20分、「落水コース」は30分程度だ。
今回、私が体験したのは基本の「美濃判コース」。指導して下さったのは日比野 啓一さん。愛知県でサラリーマンをしていたが、ふとした思いつきで出展した「美濃和紙あかりアート展」で、いきなり来場者特別賞を受賞。これをきっかけに和紙の世界へ飛び込み、美濃市に移住までした人物だ。
その日比野さんの指導のもと、体験コースが始まる。といっても、素人にいきなり道具は持たせてもらえない。先生の模範実技を見て学ぶことからスタートだ。
まずは、すき舟の準備。原料となる楮の繊維と、アオイ科の植物トロロアオイの根から抽出した液体「ねべし」、そして井戸水を加えたものが和紙の素である紙料となる。
すき舟をかき混ぜる作業は簡単そうに見えるが、紙料の状態は紙質を大きく左右する重要な要素。残念ながら、素人に混ぜさせてはもらえない。
次に、簀桁(すけた)の正しい持ち方。持ち手の中心より少し手前を握り、親指を持ち手に添える。ちなみにこの簀桁、職人たちが使うのと全く同じもの。持ち上げるのに苦労すると言うほどではないが、ズシリと持ち重りのする感触だ。
そしていよいよ、紙すきデモンストレーション開始。しかし、1分としないうちに紙がすき上がってしまう。解説しながらでなければ、もっと早いのかもしれない。素人目には一瞬の作業だが、いくつかの段階があるのでご説明しよう。

「化粧水」…紙の表面となる層をつくる。すき舟に簀桁をゆっくり静かに入れ、浅く紙料を汲みあげる。そして素早く簀桁を手前に引き、紙料を捨てる。これを3回繰り返すことで、薄く滑らかな表面が出来上がる。

「横ゆり」…今度は簀桁をすき舟に深く入れ、化粧水の時より多めに紙料を汲みあげる。簀桁の手前側をすき舟の壁につけ、くれぐれも紙料が簀桁からこぼれないよう優しく、しかし素早く左右に4~5回ゆする。
この時、簀桁を完全な水平に保たないと、傾いた部分に紙料がたまり、厚さが均一にならない。終わったらいったん、残った紙料を捨てる。「横ゆり」の動きは、美濃和紙特有のものだそうだ。

「縦ゆり」…再び紙料を汲みあげ、「横ゆり」同様、簀桁の手前側をすき舟の壁につけながら前後に4~5回ゆする。紙料を簀桁の全面に均一になるよう流したら、残った紙料を捨てる。
この、「横ゆり」「縦ゆり」をもう一度繰り返すことで、繊維が複雑に絡み合い、薄くても丈夫な美濃和紙となる。
そしてフィニッシュ、「払い水」。簀桁をすき舟に浅く入れ、紙料をごく浅く汲みあげる。まんべんなく紙料を行き渡らせたら、一回で完全に残った紙料を払い捨てる。
捨て方が不十分だと、厚さに不均衡が生じてしまう。このため、「一回で完全に」がこの工程では最も重要であり、紙すきの全工程における最難関なのだとか。
日比野さんが簀桁をヒュッと跳ね上げると、見事に残った紙料が垂直に飛んで落ちる。思わず歓声を上げてしまったが、これを今度は自分がやらねばならない。そう考えると、少し気持ちが沈む私であった。
気を取り直し、紙すき体験スタート。ちなみに紙すきに必要なのは、小気味よく簀桁を前後左右に動かすリズム感と、簀桁を水平に保つ姿勢の良さ。いずれにも欠ける私は、出だしからおっかなびっくり。「化粧水は浅く、薄く…」とか考えているうちに動きが鈍くなり、思わず先生が横から介添えに入る。
これが正しい紙すきなのか、全く確信が持てないまま、「横ゆり」「縦ゆり」の1クール目が終了。残った紙料を勢いよく捨てるはずが、完全にヘタレている。しかも、この段階ですでに手前側だけ紙料が厚くなり始めている。
ひゃー、とか言っても止まらない・止められないのが紙すき。「今度はもっとたっぷり、すくってください」と日比野さんに促されるまま、どっぷり紙料を汲みあげる。簀桁が左に傾いているのは重さのせいではなく、背骨が歪んでいるからだ。
ついに最大の難関、「払い水」に到達。日比野さんの「払い水」の鋭さ・美しさに比べると、明らかに不細工。そしてやっぱり、簀桁が傾いている。
あれよあれよという間に完成した私の和紙。手前側が白っぽく見えるのは光の加減ではなく、事実そこだけ厚くなっているから。
日比野さんに、すき上がった紙を簀から乾燥用の枠へと移していただいたら、装飾の楓を配置。葉は3枚までなので、形のよいものを慎重に選んで和紙の上に。
この段階で、和紙はまだ濡れている。従って、葉を置く指が触れれば、くっきり跡が残ってしまう。当然、置き直しもできない一発勝負。爪の長い女子は特に要注意だ。
次は乾燥の工程。職人は1日かけて徐々に圧力を加える「圧搾(あっさく)」を行うが、体験コースでは下から水分を吸引する巨大掃除機のような機械を使用。台の中央に吸い込み口があり、そこに向かって枠を往復させるのだが、かなり吸引力が強い。みるみる半透明から和紙の白へと変わっていく。
さらに乾燥させるため、内部を湯が循環する真鍮製の乾燥器に、刷毛で優しく密着させる。そして待つこと15分。完全に乾き、いよいよマイ美濃和紙の完成である。ニヤニヤしながら「何点くらいの仕上がりですか」と尋ねたが、先生は「…なかなかですよ」と言葉を濁すばかり。
ちなみに学生時代、別の産地で紙すきを体験したが、その時できあがったのはゴツイ便所の落とし紙のような物体。それを思えば今回は、和紙を名乗っても恥ずかしくない1枚となった。
せっかくすいたマイ和紙。飾って眺めるのも悪くないが、より身近な普段遣いの品に仕立てるのはどうだろう。「美濃和紙の里」で販売されているキット「美濃和紙照明スタンド(税込2,000円)」「ミニついたて(税込1,500円)」を使えば、世界に一つだけのマイ和紙を使ったインテリアを手軽につくることができる。
私が選んだのは、「美濃和紙照明スタンド」。作り方は簡単、乾燥させた和紙を円筒形にし、スタンドに差し込むだけだ。
にもかかわらず、あかりを灯せば美濃和紙特有の、陶器のように滑らかで優しい光を放つ照明に早変わり。なんともハンサムな姿である。

あんなにゴタつき、たとえ手前側が厚くなったとしても美しく仕上がる。それほどに、美濃和紙の紙料と道具は優れている。これが職人の手に掛かれば、どれほど美しい美濃和紙がすき上がることか。それを痛感させられる紙すき体験となった。

美濃和紙の職人は、現在30人ほど。本美濃紙の職人は、わずか6人しかいない。しかし、紙すき職人を目指すなら美濃で、と全国から若者が集まり、11人の研修生が本美濃紙づくりを学んでいるそうだ。
量を追わず、名を求めず。冬なお緑深い山中で、美濃和紙はこれからも、愚直に「光を美しく見せること」を追い求める。
敷地内に生息する楮の木の前で、偶然居合わせた職人歴60年以上の伝統工芸士・藤田 好章さんと、奥さまの淳子さん。右端は、この4月に自らの工房を立ち上げた城 尚子さん。突然のお願いにも関わらず、快く撮影に応じて下さった。こうした懐の大きな熟練職人の温かさと、失敗を恐れない若手の意欲が、美濃和紙の未来を守っていく
船坂文子

船坂文子

農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。

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