元離宮二条城 江戸時代の始まりと終わりの地に刻まれた歴史を辿る

2016.01.17 更新

京都市内の中心部にある元離宮二条城。その広大な敷地内に残る建築や庭園、障壁画の数々は、いずれも貴重な文化財として往時の姿を今に伝えている。いにしえに思いを馳せ、歴史を紐解きながら巡ってみよう。

国宝、重文、世界遺産…。
貴重な文化財の宝庫・二条城

慶長8年(1603年)、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として徳川家康により創建され、寛永3年(1626年)に三代将軍家光の時代に完成した二条城。

慶長年間に建築された二の丸御殿は6棟が国宝に指定され、22棟とその壁面に描かれた1,016面の障壁画は国の重要文化財に、二の丸庭園は特別名勝に、それぞれ指定されている。

また、平成6年(1994年)にはユネスコより「古都京都の文化財」として世界文化遺産にも登録されている。

そんな貴重な文化財で溢れる二条城の数多くの見所を、その歴史や背景を教えて頂きながら巡った。
今回、特別に城内を案内してくれたのは、元離宮二条城事務所で広報や施設活用の担当をされている谷口さん。歴史関連に疎い筆者にとって強い味方だ。

早速、谷口さんの案内で唐門をくぐり城内へ。
▲唐門に施された見事な彫刻。2013年に行われた修理工事で、往時の美しさが再現されている
門をくぐると、まずは二の丸御殿がお出迎え。
車寄(くるまよせ)には、唐門同様の豪華で美しい装飾が施されている。(写真右の低い屋根の建物)

建築は江戸時代の武家書院造の代表的なもので、面積は3,300平方メートル、部屋数は33,800畳もの畳が敷き詰められた広大なものになっている。

ではいよいよ中へ…とその前に。
障壁画などを保護するために、御殿内は撮影禁止になっているのでご注意を。
▲写真提供:元離宮二条城事務所
車寄から入り、最初に現れるのが遠待(とおざむらい)。ここは二条城へ参上した大名たちの控えの間で、御殿内で最大の床面積を誇っている。

写真の「竹林群虎図(ちくりんぐんこず)」は、遠待二の間に描かれた障壁画。
虎の絵は御殿の玄関近くに描かれることが多いとのこと。谷口さん曰く、「訪れる人を威圧するためだったのではないか」とのこと。
▲写真提供:元離宮二条城事務所
城内を進み、廊下を歩けばキュキュっと音がする。いわゆる「うぐいす張り」といわれる廊下だ。従来は侵入者を防ぐための仕掛けだったとの説が一般的であったが、近年では単に構造上の副産物であったとの説も有力だ。
着物の裾がひっかからないよう、釘を上から打ち込まず、床下から固定するために「目かすがい」という金具を取り付けているのだが、時とともにその目かすがいが緩み、釘とこすれることで音がなるのだそうだ。
▲写真提供:元離宮二条城事務所
続いて、御殿内で最も格式が高いといわれる大広間へ。将軍が諸大名との対面で使用した部屋で、一の間、二の間と合わせて92畳の広さがある。
そしてここは、慶応3年(1867年)10月、15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還を発表した歴史的な場所だ。
部屋には諸大名の人形が置かれ、将軍との謁見の場面が再現されている。
▲大広間 四の間にある障壁画「松鷹図」。勇壮な一羽の鷹と巨大な松が描かれている。 写真提供:元離宮二条城事務所
大広間、黒書院を抜け白書院へ。江戸時代には御座の間と呼ばれ、将軍の休息場であった白書院。障壁画は水墨で描かれていて、安土桃山文化の色濃い二の丸御殿においては、非常に質素な印象を受ける場所だ。

四季を映す美しき庭園へ。
広大な名勝をぶらり散策

二の丸御殿の見学後は、広大な敷地内に広がる庭園を散策しよう。

まずは、二の丸御殿の西に広がる二の丸庭園へ。
作庭の時期は二条城創建時に遡り、寛永3年(1626年)の後水尾(ごみずのお)天皇行幸の際に一部改修されたといわれている。
大広間、黒書院、当時庭の南側にあった行幸御殿の三方向から鑑賞できるように設計され、特に大広間からは庭園越しに天守閣を望むことができたといわれている。

その後、徳川慶喜の時代までに庭園は荒廃し、大政奉還後に宮内省の所管となってから何度も改修が行われた。幕末の頃の大規模な改修によって、現在に至る景観の基本が完成したそうだ。
▲庭園内の木々も、こもに巻かれて冬支度。このようにして、美しい景観が守られている
続いて、本丸庭園から天守閣跡へ。
創建当時の本丸御殿は二の丸御殿と匹敵する規模で、狩野派の美しい障壁画で飾られていたそうだが、度重なる落雷や大火により天守閣ともども焼失してしまったとのことだ。

現在の本丸御殿は、京都御苑にあった旧桂宮邸を明治時代に移築したもの。孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深き建築だ。

写真は天守閣跡からの眺め。本丸御殿と本丸庭園が一望できる。
最後は、城内北側にある清流園へ。
昭和25年(1950年)に進駐軍によりテニスコートに転用されていた場所に、昭和40年に造営、完成した比較的新しい庭園だ。
東半分がテニスコートの名残を感じる洋風庭園、西半分が池泉回遊式枯山水園という、和洋折衷の珍しいスタイルだ。

西端にはお茶室がある和楽庵があり、歩きつかれた観光客に一服の休息タイムを提供している。
城内は広く、足早に見て回っても1時間はかかるだろう。
しかし、二の丸御殿内にある自動ガイダンスや、庭園の案内板を活用しながら、ゆっくり時間をかけて巡ることをお勧めする。

各スポットの歴史的な背景を知りながら巡ることで、より深く、江戸時代初期~幕末、明治期の歴史を体感することができるはずだ。
妙加谷 修久

妙加谷 修久

京都市在住の旅行系ライター兼ディレクター。全国各地に足を運び、旨いモノを食べ、温泉に浸かる日々。ここ京都を中心に、知っているようで知らない「日本のイイトコロ」を紹介します。日本酒好きが高じて利き酒師の資格を取得しました。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。
PAGE TOP