たらい舟で川下りができるのは、水の都・大垣だけ。葉桜のトンネルをくぐり抜ければ、気分はリアル一寸法師

2017.03.21

子供の頃、お椀の舟に揺られる一寸法師の絵姿に、憧れた覚えがあるのは私だけではないだろう。浮き輪をお椀に見立てようにも、どうも勝手が違う。そんな残念な思いを重ねてきた、かつての少年少女たちの夢がついに叶う場所がある。「水の都おおがき たらい舟(2017年4月15日~5月7日の土・日・祝開催※事前予約制)」で川を下ればもう、心はリアル一寸法師。今年は幸先の良い春を、水の都から迎えよう。

桜の天井は和船、葉桜のトンネルはたらい舟
春に染まる大垣を、水の上から楽しむ

豊かな湧水に恵まれた岐阜県大垣市。松尾芭蕉が記した紀行文「奥の細道」結びの地として知られ、また近年は「水まんじゅう」ブームの火付け役として注目を浴びたこともある。その市街地のほぼ中央に位置する大垣城をぐるりと囲む外堀が、イベントの会場となる水門川(すいもんがわ)だ。

川といっても一般の河川と異なり、水門川の水はほとんどが地下からの湧水。15mほどの川幅いっぱいを、澄んだ水が満たしている。その川面を覆うように枝を伸ばしているのは、戦後に植えられた染井吉野の桜並木。植樹当初からそう意図されていたのか、ここの桜は完璧に、水の上から楽しむための枝ぶりだ。
▲こちらは2015年の様子。桜が満開となるのは例年、4月の第一日曜前後とのこと
見上げた先がすべて桜で埋め尽くされる時期には、水門川を和船で下る「水の都 おおがき舟下り(2017年3月25日~4月9日のうち4月2日を除く毎日開催※事前予約制)」が開催される。その翌週、葉桜が十分に育つのを待って開催されるのが「水の都おおがき たらい舟」。水面まで緑に染まった水門川を、たらい舟に揺られながら愛でることができる。

水門川は城の外堀であると同時に、古くから桑名(三重県)へと向かう水運の要路でもあった。江戸時代には和船が舳先を連ね、芭蕉が「奥の細道」結びの句、
蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ
を詠んだのも、大垣から水門川を下り伊勢詣でに向かう場面でのことだ。
明治に入ってからは定期汽船の営業も開始。物流の中心が鉄道やトラックに変わるまで、水門川は人荷を運ぶ重要な役目を果たし続けた。

落城前夜、決死の脱出行がたらい舟のルーツ
かつての外堀で、関ヶ原の昔に思いをはせる

舟下りで用いられるのは、江戸時代に水運を担った和船。しかし「たらい舟」については、少々歴史を紐解く必要がある。発端は400年以上の昔、関ヶ原の合戦だ。
関ヶ原の合戦(1600年)というと、西軍・東軍が激突した関ヶ原での野戦ばかりが有名だが、実は西軍の本拠地であった大垣城も東軍の猛烈な城攻めを受けた。その城の守りを任された武将の中に、石田三成の家臣で山田去暦(きょれき)という人物があった。
現代の感覚からすると奇異に思われるが、当時の籠城戦には妻子を伴うことも珍しくなく、去暦もまた妻と息子(籠城戦中に戦死)、そして娘と共に城に籠っていた。この娘が後に出家し、歴史の生き証人として壮絶な籠城戦の様子を後世に残すことになる。それが、
「子どもあつまりて、おあん様、むかし物がたりなされませといへば…」
という書き出しで始まる「おあむ物語」で、「おあむ(ん)」とは尼の敬称を指す。関ヶ原から数10年を経たある穏やかな日、子供たちにせがまれ昔話を始めるおあむ。語られるのは、血と硝煙の匂いに満ちた凄惨な落城前夜の模様なのだが、子供を前にしているからだろうか、文面からはおとぎ話のような穏やかさすら感じられる。
▲かつてはその威容から巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれた大垣城。戦災により焼失したが、現在は復元された天守閣と乾櫓(いぬいやぐら)を楽しむことができる
「おあむ物語」によると、父の去暦は能筆家であったらしく、徳川家康の幼少期に手習いの師匠を務めていた。その縁である夜、一家に脱出を促す矢文が届く。すでに関ヶ原では勝敗が決し、大垣城が落ちるのも時間の問題。去暦は妻と娘を伴い脱出を決意するのだが、戦時のことで外堀を超えようにも舟がない。そこで一家は、
「北の塀わきより はしごをかけて。つり縄にて下へ釣さげ。さて たらひに乗て。堀をむかうへ渉り…」
とおあむが語ったように、たらいを舟の代わりに堀を渡り、城を抜け出すことに成功した。大垣城の天守閣脇には今もなお、おあむ一家が松の木を伝って城を脱出したことに由来する「おあむの松(現在は2代目)」が青々と枝を広げている。

女子大生船頭さんも登場
鯉の速さで川を下る30分

この史実に基づき平成15年から始まったのが「水の都おおがき たらい舟」で、用いられるのは水に強い岐阜県産の椹(さわら)材のたらい舟。1.8m×1.5mの楕円形を成す現代のたらい舟は、大人3人が肩を並べて乗ることができる。
おあむ一家が脱出に用いたのは標準的な「洗いたらい」で、おそらく大人一人がようやく乗れるほどの大きさしかなかっただろう。しかも時折銃声が聞こえる中、夜陰に紛れての決死行だ。楽しいということなど全くなかったと思われるのだが、現在のたらい舟はもう、楽しいの一辺倒だ。

取材に伺ったのは、朝から小雪のちらつく2月中旬。しかし運よく、たらい舟試運転の日に行きあたった。「おあむ様」というより、気分は大垣のご当地キャラ「おあむちゃん」。たらい舟で、いざ水門川に漕ぎ出した。
イベント期間中、たらい舟を操るのは西濃水産漁業協同組合の組合員ほか、地元の大学生を含めた総勢30名の船頭さん。その操船技術の確かさは、これまで一度も事故が起きていないという事実が物語っている。

本日、私を案内して下さるのは宮川靖司さん・73歳。普段は西濃水産漁業協同組合で、河川環境を守るためフナ・アユなど川魚の放流を担当しておられる。たらい舟を操って11年、新米船頭の指導も務める大ベテランだ。(※2016年取材時)
他県のたらい舟が「櫂(かい)」を用いるのに対し、大垣の船頭は竿一本でたらい舟を操る。右に左に、巧みに竿を繰る宮川さんだが、川の流れに任せて進むたらい舟に、さほど力は必要ないという。むしろ重要なのは、楕円形のたらい舟が流れに押されクルクル回ってしまうのを防ぐバランス感覚で、これは「女房を扱うより難しい」そうだ。

事実、船頭さんの中には数名の女子大生も含まれるそうで、バランス感覚さえ掴めば、うら若き乙女にも操船可能。たらい舟とはそういう、優しい乗り物なのだ。
乗り心地も、「漕ぎ進む」というより「浮き流れる」という感覚に近く、一般的な川下りとは違った浮遊感がある。一寸法師のお椀の舟のように、掌に収まるサイズではないのだが、たらい舟の円周と取り囲む水面の全てが視界の内に収まるからか、川に包み込まれたような不思議な安心感もある。素朴でありながら、なんとも贅沢な乗り物、そんな印象が強く残った。
イベント期間中は下流を堰き止め、水深約80cmまで水門川は水かさを増す。乗員の重量により異なるが、たらいの舟べりから水面までは20~40cm。子供を背に乗せて泳ぎそうなほど大きく育った鯉を、間近に見ることもできる距離だ。
乗船区間は約1.1km、これを30分ほどかけて下るのだが、時速に換算すると約2km。鯉は時速2.5kmで泳ぐと言うから、まさに鯉と一緒に鯉の速さで川を泳ぐ、そんな感覚を楽しむことができる。これには子供たちも大喜びで、たらい舟をクルクル回してほしい、とリクエストされることもあるのだとか。
「水の都おおがき たらい舟」は年々人気が高まり、2015年は北は北海道・南は九州、さらに海外からも含め1,900人超の観光客が訪れた。例年2月1日から受付を開始する乗船予約は、当日までにほぼ埋まってしまうそうだ。しかし予約状況はホームページにて随時確認可能なので、ぜひチェックしてほしい。

入学式に入社式と、新しいこと続きで何かと気ぜわしい春。時には日常を離れ、川面に浮かぶ葉桜のように、たらい舟でゆらゆらクルクル、自然のリズムに身をゆだねてみてはどうだろう。
船坂文子

船坂文子

農家・ライター。本籍地は生まれた時から飛騨。情報誌出版社にて15年間、人材・旅行領域の広告・編集記事作成に従事。若い頃から「田舎に帰って百姓になる」が口癖で、退職後は農業大学校での研修を経て就農。一畝の畑を耕し野菜を販売する傍ら、ライターとしても活動。「人」を通して物事を伝えることを心がけている。

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